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4忘れかけていた夢
体育祭が昨日で終わって、もう明日が舞台祭であることが信じられない。実感が湧かないのだ。
最後の詰めをしてから家路についた時には、既に日が沈みかけていた。衣装を着ての最終確認をやり、それを見てから渉が衣装の手直しをして、また通して、とやっていたら、いつの間にかそれくらい経っていたのだ。といっても、他のクラスに比べれば早い方だと思う。
雫と共に並んで帰っている時、雫は「もう明日が本番かぁ」と呟いた。
「実感沸かねえよな」
「うん。かなり。……あーどうしよ、今からお腹痛え! すごい吐きそう」
「早えよ」と笑うと、つられて雫も笑いながらふと、なあ、と真剣な顔で問いかけてきた。
「平太最近さ、浮かない顔してね? どしたの? 先輩となんかあった?」
「俺になんかある時は全部真空さん関係だと思ってんの?」
「それ以外でお前が悩む? 先輩以外に興味ないくせして」
「うるせえな、俺だって悩むわ」
「何に?」
俺は黙った。雫に言うのが何となく気恥ずかしかったのだ。今まで「ホワイト企業のサラリーマンになって毎日平穏に暮らしてやる」と言って憚らなかった俺が、今更俳優の道に進むか揺らいでいる、なんて。
「お前には関係ねえよ」
「はー? 俺に隠し事かよ?」
「いや……恥ずかしいし」
そういうと雫は黙った。そして、けらけらと笑い出した。
「あっははは! お前にも恥ずかしいって気持ちあんのかよ! 応援団長ですら『どう? 俺かっこいいだろ?』くらいの顔でやってたお前が?」
「んなこと思ってねえよ」
「思ってた思ってた! 最後に振り向いて先輩見たときの顔、超ドヤ顔だったぜ? ……で? 何言っても笑わねえから言ってみ?」
「いやさ、俺……芸能界進むか悩んでて」
そう言うと、雫はぽかんと口を開けた。少しいたたまれなくなって、俺は視線を逸らした。
「……お前が? 芸能界って何だか分かってる?」
「分かってるわ」
「……は? 待って待って……お前本当に平太? ……え? ちょ、芸能界って……一体何に……」
「……俳優」
「はあ? マジで? お前芝居の楽しさに目覚めちゃったの?」
「目覚めたっていうか……」
真空さんとの電話の内容、それから俺が思ったことなんかを全部話すと、雫は黙った。しばらくして、ぽつりと呟いた。
「平太がそんなこと考えてたなんて思いもしなかった。……てかすげえよな、前園先輩一人にそんな影響されるなんて」
「いや、真空さんももちろんだけど、お前の影響もある。お前がどんどん変わってくの見てて、俺も変わらなきゃかなって思ってさ。それに、芝居自体は楽しいしな」
へええ、と呟いた雫はその後、しばらく黙った。雫相手の沈黙は気まずくなかったので、俺も黙って歩いた。
それからふと、思い出したように雫が言った。
「あのさぁ平太、今日この後暇?」
「何か用事あると思う?」
「ないと思う。じゃあさ、俺ん家来てくんない? でさ、飯作ってよ」
「マジ? お前がそんなこと言うなんて珍しいな」
「いやさ、俺昨日はおにぎりしか食ってないのにそれ全部吐いちゃって、で今日は何も食ってないの。それで本番迎えるのはさすがに体もたなくね? 舞台の上でぶっ倒れなんかしたらシャレになんねぇし」
「分かった。じゃスーパー行くか」
雫はほっとしたように笑った。そして、おもむろにスマホを取り出して電話をかけ出した。
「誰に?」
「伊織。昨日いくらでも俺のこと束縛していいよって言ったらさ、これからは誰か家に呼ぶ時とか誰かと遊ぶから帰りが遅くなる時は必ず連絡しろって言われて」
親かよ、という言葉も、一緒に住んでもいないのに、という言葉も、それを当たり前に受け入れてるお前すげえな、という言葉も、俺は何とか飲み込んだ。あの先輩なら言いかねないし、雫なら受け入れかねない。それに当人が構わないなら、部外者は口を挟まないべきだろう。
立ち止まってしばらく話すと、雫は頷いて「行こうぜ」と再び歩き出した。
「食べ終わったー! どーよ、俺すごくね?」
自慢げに完食したことを言ってくる雫だったが、量はかなり少なくしてある。俺だったら全然足りないくらいだが、雫にとってはすごいことなので、とりあえず適当に褒めてやった。
俺は雫が食べ終わるのを待ちながら、何となくテレビを見ていた。手持ち無沙汰からリモコンをいじっていて、ふとあるチャンネルに変えると、雫が「あっそれ、懐かしいなあ」と呟いた。
見ると、昔そこそこヒットした家族を描いたドラマが放送されていた。確か、三、四年前に俺も雫も見ていたっけ。仮面家族の家庭が一度破綻して、そこからもう一度家族をやり直すというあらすじのドラマだった。
「俺そういえば、ユミに共感しながら見てたっけな。お前はケイに感情移入してたよな」
雫の挙げたユミというのは、優秀な兄のケイと比べられることにストレスを感じ続け、男に走ってしまった役だった。それから長男のケイは、優秀であったが無気力ゆえに何も成せず、結局落ちこぼれ引きこもってしまう役だった。
いま再放送されているのはちょうど、最終回だった。俺はぼうっとそれを眺めていたが、不意に『それ』に気付いて、あっと声を上げた。雫に訝しげな顔で見られたが、全く気にならなかった。
彼は引きこもりだったが社会復帰を兼ねて演劇のワークショップに参加し、そこから少しずつ社会復帰を果たしつつ、最終的に初めてできた俳優という夢のため「努力」することを覚えていったのだ。
俺は確かに憧れていた。自分によく似た省エネ人間なのに、夢を見つけ、努力を覚え、少しずつ輝いていく彼に。それは本当に短い期間で、俺はすぐ「俺には無理か」と諦めて忘れてしまっていた。それを今、唐突に思い出した。――そうだ、俺は昔、今自分が選ぼうとしている道に憧れていた。
「おい平太、どうしたんだよ」
俺は、何でもない、と答え、立ち上がった。今はすぐ帰りたかった。真空さんに話したかった。台本を読みたかった。
「俺、帰るわ」
突然立ち上がった俺を訝しみつつ、雫は「分かった。じゃまた明日」と頷いた。
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