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8こんな服装なんて聞いてない

 後夜祭は何とか無事に終わった。  本来、後夜祭で有志のバンドやダンスグループが発表している時に文化祭のアンケートを集計し、その結果を元にクラス順位を発表するはずだったらしいが、どうやら今年は出演団体が少なく、間に合わなかったらしい。  そこで生徒会長の和泉は機転を利かせた。  たとえば、渉のツテを使ってコンビを組んで芸人を目指している後輩に出演をお願いしたり、急遽吹奏楽部に文化祭で演奏した曲を何曲か演奏をしてもらったり、出演しているバンドに数曲かさ増しするのをお願いしたり。和泉が舞台裏で何人にも頭を下げたおかげで、何事もなく無事に後夜祭は終わったのだ。  もっとも、これは後夜祭が終わってから和泉と渉に聞いた話だ。のんきに見ていた側からは、そんな事情は伺えなかった。生徒会長を務めている時の和泉は、本当に頼りになる。和泉自身は「渉くんのツテも頼ったし、僕一人の力じゃないよ」とはにかむように笑っていたが。  そして櫻祭の総合一位は三組と僅差で五組だった。五組は体育祭の成績が振るわなかったが、舞台祭で一位をとったのが大きいんだろう――と担任が語っていた。文化祭の学年別では圧倒的に一位だという話も聞いた。これは五組がすごいというより、渉の作戦勝ちだろう。  そんなことを話しながら真空さんと帰っていると、真空さんは空を仰ぎながらぽつりと漏らした。 「何だか……俺はもう卒業なのか、って実感した」 「何でですか?」 「今まで参加する側だった櫻祭が今年はただ見て終わったから。卒業の前に受験だが……それでも、少し感慨深くなる」  卒業――卒業したら、真空さんはどうするんだろうか。国立にしろ私立にしろ、家から近いところへ通うとは言っていた。だから、遠くで寮生活、とはならないはずだ。  だが――環境が変わる。俺自身は恐らく進学せずに俳優の道を進むんだろうが、そうしたら余計、距離が離れてしまう。今まで通りにはいかないのだ。先輩と後輩、という立ち位置は距離があるなんて思った時もあったが、同じ学校なだけまだ近い。真空さんが卒業したら俺たちは、同じ高校生という立場ですらなくなる。  だから、今のうちにちゃんと約束しておきたい。そう思って俺は、口を開いた。 「……真空さん、俺前に、お互い大学生になったら一緒に暮らそうって話をしたと思うんですけど……あれ、訂正します」  真空さんが傷ついたような顔を見せたので、俺は語弊に気付き、慌てて弁解した。 「ち、違いますよ。そうじゃなくて……俺多分、大学に進学しないので」 「俳優になるから?」 「そうです。だから、お互い大学生になったら、じゃなくて、俺が卒業したら、一緒に暮らしません?」  真空さんはほっとした顔になり、それから嬉しそうに笑った。 「真空さーん、夜ご飯カレーで大丈夫ですか?」  と台所から一応聞いたが、実はもう既に作ってあった。真空さんなら拒否しないだろうと見越してのことだ。案の定真空さんは嬉しそうに頷いた。  あとはサラダを作るだけだ、とレタスときゅうりとトマトを冷蔵庫から取り出して包丁を持ったところで、真空さんが後ろからじっと見ていることに気がついた。 「どうしました?」 「料理してるところを見たいと思って……」 「すみません、もうサラダだけ作れば完成なんですよ」  少し申し訳なくなって言うと「そうか……」と真空さんは残念そうに呟いた。 「真空さん作ってみます?」  思いついて言ってみると、真空さんは青い顔をして首を振った。 「い、いや、包丁なんてほとんど握ったことないし」 「切るっていってもトマトときゅうりだけですよ、ほら」  半ば無理やり包丁を押しつけると、真空さんは絶望的な顔をした。よほど料理に苦手意識があるのだろう。  野菜を軽く洗ってまな板の上に置いて、どうぞ、と言うと、真空さんは恐る恐るきゅうりを手に取った。俺はそれを横目で見ながらレタスをちぎった。  真空さんは戦々恐々としながら切っていった。そのスピードがびっくりするほど遅いのもそうだが、ゆっくりの割にはきゅうりの厚さはとてもまちまちだった。途中で「あっ」とか「うわっ」とか声を上げて顔をしかめるのが、いかにも不慣れな感じがして可愛い。  真空さんが一本の半分を切り終わった頃に俺は既にレタスを器に盛り終わってしまったので、隣で見ていた。多分、他の人がこんな手際できゅうりを切っていたら焦れったくなってすぐに包丁を奪ってしまうが、真空さんだといくら見ていても飽きない。  しかし真空さんは急かされていると感じたのか、急いでやろうとして少し指を切ってしまった。 「いっ……」  真空さんは、痛そうな顔というよりは、こんなことで指を切ってしまった自分が情けないといった顔だった。 「大丈夫ですか?」 「ああ……」  指を切ってしまった自分に自己嫌悪しているようだ。すごく可愛い。俺は思わずその手をとって、咥えてしまった。真空さんは一気に顔を赤くした。 「へ、平太っ」  俺が舐めると、真空さんは「ふぁ……」と声を漏らした。そんな声を上げられると、今すぐ食べてしまいたくなるからやめてほしい。 「ごめんなさい、可愛くてつい。……血、止まったみたいですけど一応洗っといてください」  真空さんは赤い顔で頷いて、流水で洗った。

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