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2僕が絶対守るから
「どうする? 行きたいところある?」
クリスマス、俺の家で一緒にテレビを見ながら伊織は問いかけた。
プランはあえて立てなかったんだと思う。プランなんて事前にきっちり立てられていたら、俺は恐縮してしまうから。それに、体力があまりないからずっと歩き回るようなテーマパークは疲れてしまうし、ディナーなんて行ったら何か食べなきゃと無理に口に運んで吐いてしまうかもしれない。我ながら、本当に面倒くさいと思う。
「うーん……俺はこのまま家で過ごしててもいいけど」
「本当にインドアだね。まあ、僕も割とそうだけど。……夕方ごろから出かけて、イルミネーションくらいはちょっと見に行く?」
そうする、と頷きかけて、俺はあることを思い出した。……昔から、クリスマスの時期によく売られているスノードーム、憧れてたんだっけ。
一度だけ母親にせがんで、当然のように断られて、その後自分で買えるようになって買おうとしたんだけど、一人で見ていても妙に虚しかったのを覚えている。それで、俺はスノードームがほしかったんじゃなくて、スノードームを誰かからもらいたかったんだと気付いた。
それから、クリスマスといえばジンジャーブレッドも憧れていたのを思い出した。あれは確かテレビで見た洋画だったが、クリスマスに家族とジンジャーブレッドを食べるのに憧れていた。
「クリスマスマーケットに、行きたい……かも」
少し遠出しないとクリスマスマーケットはないので、消極的な意見になってしまった。すると伊織は、遠慮しがちな俺が意見を言ったからか、顔を輝かせた。
「うん、行こう」
クリスマスだけあってさすがに、電車内には人がたくさんいた。ごみごみしていて息が詰まる。
「大丈夫?」
顔色の悪い俺を気遣ってか、伊織は小声で尋ねてきた。頷いたが、伊織は「電車降りたら、休憩しようか」と囁いた。
満員とまではいかないけれど、かなり人の多い電車だったせいか、それとも俺が乗り物酔いしやすいせいか、降りると気持ち悪くなった。でも休むほどではないのでそのまま歩こうとすると、伊織は俺にこう提案してきた。
「あそこにカフェがあるから、ちょっと休憩する?」
「え? そんな、そこまでじゃないよ、別に体調崩してもないし」
慌てて言ったが、伊織は「じゃあ、僕がちょっと休みたい」といたずらっぽく笑った。さすがに伊織は俺の扱いを分かっている。
「あ、無理に何か頼まなくても大丈夫だからね」
俺が何か言う前に、伊織はそう言ってカフェへと足を進めた。
「ブレンドコーヒーのホットと……雫は? なんか頼む?」
「いや、水でいいや」
「じゃあ、ブレンドコーヒーを一つでお願いします」
伊織が店員にそう頼むと、かしこまりました、と店員は一礼して下がっていった。
しばらく世間話をしていたらコーヒーがきて、伊織は一口すすった。そんな伊織を見て俺は、電話でしか言えていなかったことを言った。
「伊織、面と向かって言えてなかったと思うから言うけど……第一志望合格おめでとう」
「うん、ありがとう」
伊織は嬉しそうに言うと「推薦は楽だよ」と笑った。
「受験終わるの、他の人より早いし。まあ、ちょっといい内申が必要だけど」
「内申どれくらいだったの?」
「三年間、体育以外オール五。体育は……苦手だからレポートとか座学とかで何とか稼いで四だけどね」
それは、「ちょっといい内申」どころの話じゃないと思うのは俺だけじゃないはずだ。その成績は理事長の息子というひいきなんかじゃなく、実力で勝ち取ったんだろう。事実、テストの順位はいつも前園先輩と一位を競っていると聞いた。
「すごいね……」
「そう? ありがとう。ところで雫は志望大学決まってるの? うちの指定校推薦の中にあれば、僕が教師陣にかけ合うことぐらいできるけど? それか、内申上乗せとか。あ、あと裏金入学だってできるしね」
伊織は何食わぬ顔で言った。伊織は俺が一言言えば、本気でやるだろう。それはさすがにズルだと思うから、俺は慌ててかぶりを振った。
「そんなことしなくていいから! 第一、志望する学部すら決まってないし」
「そうなの? うーん……雫は歌手になりたいって言ってたよね? 音大は?」
「お、音大なんて無理だよ、何も習ってないんだし。お金だって出してもらえるかどうか……」
「でも雫、歌えるしピアノ弾けるんでしょ? 一年ちょっと習ったら大丈夫だよ。それにお金なら、僕がなんとかする」
俺が言えば、きっと伊織は環境から先生、レッスン代、受験料、学費など、何から何まで用意してくれるだろう。だからこそ、あまり甘えるわけにはいかないと思う。じゃないと伊織がいなければ何もできない人間になってしまう。……伊織は、そうなってほしいみたいだが。
「い、いいって。それにほら、進学せずに就職って道もあるしさ。まだゆっくり考えるから」
「ゆっくりねぇ……そろそろある程度は決めないと大変だよ? とりあえず、音大って道も覚えておいてね」
俺は困って結局、わかった、と簡単に返事をした。
そんな話をしながらふとドアの方に目をやって――血の気が引いた。時間が止まったように感じる。周りの音が聞こえなくなる。「その人」しか目に入らなくなる。
視線の先には、たまたま立ち寄った、という様子でカフェのドアを開けた一人の男がいたのだ。彼は俺の姿を認めると、息を呑んだ。それから、一気に顔を輝かせた。まるで、ずっと探し続けていたものが思いがけない場所で見つかったような……いや、事実そうなのだろう。
覚えている。俺の記憶している彼よりは少し歳を重ねているが、それでも間違いなく彼だ。今でもそのオールバックと銀縁メガネは脳裏に焼き付いている。
忘れられるはずがない――彼がそもそも、俺の人生を大きく狂わせたのだから。
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