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4僕が絶対守るから

 伊織は俺の気分が晴れるよう気を回してくれた。だから俺もちょっとずつ、彼に会ったことを忘れていった。そしてクリスマスマーケットに着く頃には、すっかり忘れていた。  店を見て回る前にまずツリーを見に行こう、となり、俺と伊織はまずそっちに向かった。なかなか大きいツリーを見上げて俺は、思わず呟いた。 「わぁ……すごいね」  クリスマスマーケットなんて初めて来たけれど、すごく幻想的な場所だった。暗くなりかけた空を金色の光が照らしていて、奥には燦然と輝くクリスマスツリーがあって、宝石箱をひっくり返したみたいだった。 「うん、ここのは割とすごいかも」 「伊織は他のところに行ったことあるの?」 「あるよ。ドイツのドレスデンとフランクフルトと……あとミュンヘンも行ったかな」  外国の地名が出てくるとは思わなくて、俺は驚いたあと反応に困った。 「……外国のと比べると、しょぼい?」  結局そう聞くと、伊織はうーんと少し悩んでから言った。 「しょぼいかどうかよりも僕は……あれの方が気になるかな」  伊織が目をやったのは、クリスマスマーケットそっちのけで写真を撮るカップルだった。ああいうカップルは嫌いなのかと思ったが、伊織の言葉は違った。 「もちろん優劣はないけどね、ヨーロッパのクリスマスって日本でいうお正月みたいなものだから、やっぱり雰囲気は違うかな。カップルで、っていうよりは家族みんなで過ごす日だから。単純な規模だけでいったら割と本場に近いと思うよ」  伊織はツリーを見上げながら言い、「僕も今までのクリスマスは家族と過ごしてたし」と付け加えた。 「家族か……いいなぁ」  呟いたつもりはなかったが、思わず口からこぼれていた。すると伊織はふっと慈しむように笑った。 「……来年のクリスマスは、僕の家族と一緒に過ごそうか」 「え? い、いいよそんなの、俺なんかが――」  そこで口をつぐんだのは、伊織が不機嫌そうな顔をしたからだ。 「俺『なんか』なんて言わないで。もう家族みたいなものでしょ? 何度もうちにご飯食べに来てるし、お父さんもお母さんも君のことを歓迎してるんだから」 「……そんなんで、家族になんてなれるのかなぁ……」  俺には分からなかった。俺は、伊織のお父さんやお母さんのように子供を優しく見守ってくれる親を知らないし、平太のお兄さんのように心の底から大切に思ってくれる兄弟を知らない。だから、家族が何なのかいまいちよく分からなかった。  伊織も、平太や渉や和泉も、ここにいる人たちも皆、家族を知っていて、それなのに俺だけが知らない。そう思ったら、楽しいはずなのに急に悲しくなってきた。  その考えを振り払おうと、俺は努めて明るい声を出した。 「ごめんね、変なこと言っちゃって。それでさ――」 「雫、僕と家族になろう」  伊織が今なんて言ったのか分からなくて俺は聞き返した。すると伊織はゆっくり、もう一度言った。 「雫、僕と家族になろう。でも今すぐは無理だから、あと二年、僕が成人するまで待って」 「……どういう、こと?」 「養子縁組。僕が二十歳になったら養子を取れるようになるから、そしたら僕と、家族になろう」  同性間のカップルにおける養子縁組が、事実上の同性婚であることを俺は知っていた。だからこそ、俺はわなないた。 「……そんなこと、思いつきで――」 「僕は本気だよ」  伊織の一途な瞳に見つめられ、俺は言葉を失った。  家族――家族になろう、なんて。告白されてこうやって付き合えて、愛してもらえているだけで奇跡なのに、家族になってずっと愛してもらえるとしたら――。そんなことになったら俺は今以上に伊織に縋ってしまうし、そしたら伊織と離れることになった時、本当に立ち直れなくなってしまう。  俺なんかがそんな幸せを得ていいんだろうか。前よりはマシになったとはいえ、俺は未だに幸せが怖い。それに、伊織はいつか必ず俺と付き合っていることを後悔する、とも考えてしまう。 「……急じゃない?」 「言い出したのは急だけど、思ったのは急じゃない。ずっと考えてたんだ」 「後悔するよ、伊織。俺なんかに、」 「だから、その俺なんかってやめて。後悔なんてする訳ないでしょ? 君が全力で僕を拒否し続けない限り、僕は百パーセント他の人を好きにならないよ」 「……自分が、何言ってるのか分かってる?」 「僕は君にプロポーズしてるつもりだけど?」  伊織の瞳はどこまでもひたむきだった。プロポーズ、とはっきり言われて、俺は呆然とした。そしたら伊織は俺の手を握って、微笑んだ。誕生日を祝ってくれたあの日みたいに、綺麗な微笑みだった。 「雫。僕は君の全てを受け入れていくつもりだし、君をどんなものからも必ず守るから……家族になろう」  伊織の言葉の意味がしばらく理解できなかった。だけど優しい伊織の顔を見ていたら、少しずつ飲み込めてきた。プロポーズ、ってことはずっと一緒にいようってことで、つまり俺はもう今までのように愛が欲しいと苦しまなくていいってことで――。  腑に落ちて、それから突然嬉しさが襲いかかってきた。鼻の奥がツンとして、でも衆人環境だったから必死に堪えて、俺は笑った。涙を堪えているから上手く笑えなかったかもしれない。でも俺らしいと伊織なら思ってくれるだろうと思った。 「――うん」

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