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5僕が絶対守るから

「雫、本当にこれだけでよかったの? せっかくのクリスマスなのに」  クリスマスマーケットで、俺は値段を見て怖気付いてしまって、結局スノードームすらねだらずに安いジンジャーブレッド一つと小さなケーキ一つだけを買ってもらったのだ。伊織は俺が欲しいものを何だって買ってくれるつもりだったらしくて、家に戻ってきた伊織は未だに不服げだった。 「いいんだって。伊織が一緒にいてくれればそれだけで俺は充分」  伊織はそれを聞くと、不意に俺を抱きしめてきた。驚いて「どうしたの?」と聞くと、伊織は愛おしげに笑って答えた。 「雫のそういうところ、大好きだよ。とことん甘やかしたくなる」 「……これ以上甘やかされたら困るよ」 「そんな! まだまだし足りないのに。僕はこれからもっともっと雫を笑顔にして、今までの不幸を全部塗り替えるくらい幸せにしたいんだから」  こんな言葉を真剣に優しく言われたら困る。幸せが溢れて止まらなくなってしまう。たまらなくなって伊織の胸に顔を埋めると、伊織は俺の頭をしばらく優しく撫でてくれた。  それからしばらくした後、伊織は不意に思い出したように俺を離して言った。 「そうだ雫。僕、君に一つ謝らなきゃいけないことがあるんだ」  見当がつかなくて「何?」と素直に首を傾げると、伊織は自分の鞄に手を入れ、一つの小さな袋を俺に渡してきた。 「これ欲しそうにしてたから、雫がトイレに行ってる間に買っちゃったんだ。雫は高いからいらないって断ってたのに、ごめんね」  袋の中を見てみると、それはまさに俺が一目惚れをして、だけどかなり値の張るものだったから諦めた、スノードームだった。手に収まるドームの中に小さなツリーが輝いていて、細かい雪が舞っている。近くで見ても本当に綺麗だと思った。 「わぁ……! いいの、これ?」 「もちろん、雫にあげるために買ったんだから。すごくささやかだけど、僕からのクリスマスプレゼント。気に入ってくれた?」  伊織の問いに俺は勢いよく頷いた。それからもう一度しげしげとそれを眺めた。 「クリスマスプレゼントかぁ……」  そんなの、生まれて初めてもらったかもしれない。そう思ったら嬉しくてしょうがなくて、笑うつもりだったのに涙が一筋こぼれた。気恥ずかしくなって笑って誤魔化そうとすると、伊織は俺の目元をぬぐって、微笑んだ。 「それだけ喜んでくれるなら、こっそり買った甲斐があったよ」  そう言って笑う伊織は、本当に優しい声色をしていた。自分なら君の全てを受け止めてあげるから、と言われているような気がした。 「……俺さ、スノードームが小さい頃からずっと憧れだったんだ。お母さんに欲しいって一回せがんでみたことだってあったくらい。もちろん断られちゃったけどね。……だから、こうやってもらえたの、すごく嬉しくて」  そうひとりごとのように呟くと、よかった、と伊織は言った。 「何が?」 「雫がそう言ってくれたのが。こうやって君の辛い過去が僕で少しずつ上書きできるなら、こんなに嬉しいことはないよ」  伊織といると、驚くほどに感情が素直に出てしまう。伊織のその言葉を聞いたらまた泣きそうになって、それを何とか堪えて俺は、ありがとう、と笑った。  伊織はそんな俺を見て慈しむように微笑むと、「先にシャワー浴びてくるから」と言い残してリビングを去った。 「……はぁ」  伊織がいなくなった後で俺は、思わず顔を覆ってため息を吐いた。  伊織はどうしてこんなに優しくて、俺の欲しい言葉を山ほど言ってくれるんだろう。好きで好きでたまらない。伊織は、俺が今までずっと欲しかったものを惜しみもなく当たり前のように与えてくれるから、隣はすごく居心地が良くて、離れがたくなる。  だけど、それだけ幸せな分、別れたら俺はどうなってしまうだろう。今までで一番深く傷つくだろうから、そしたら自分でも何をするか分からない。それが今から怖い。楽しい時ほど最悪な想像をしてしまうのは俺の悪い癖だ。分かってはいるけれど、それでも不安なものは不安だ。  そんな不安も手伝ってか、俺は伊織ともっと先へ行きたいのだ。きちんと恋人としての段階を踏みたい。それはつまり、そういうことで――。  だけど俺は、ずっと覚悟が決まらなかった。伊織に引かれたらどうしよう、汚い体だと思われたらどうしよう、途中で他の相手との嫌だった行為を思い出してしまったらどうしよう、そんなことをぐるぐると考え続けて踏ん切りがつかなかった。  だけど今日は、付き合ってから半年くらいで、クリスマスでの泊まりのデート。今日できなかったらいつできるんだ、というくらい絶好のチャンスだと思う。伊織がシャワーを浴びてくる、というのもつまりはそういうことだと思う。 「頑張らなきゃな……」  俺はそう、自分に言い聞かせるように呟いた。

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