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1. Rimless Free 5

入院先の病院から家に帰ってきた母さんの遺体は、生きているのとまるで変わらないように見えた。 眠ってるみたいだ。 亡くなったというのは何かの間違いで、本当は心臓だってちゃんと動いてる。そう錯覚してしまいそうなぐらい、すごく安らかな顔をしてた。 こんなに小さかったっけ。 布団に横たわる母さんは、十歳になった自分よりもずっと小柄で細い。 ──帰ってくるまでお父さんのこと、よろしくね。お父さんより伊吹の方がしっかりしてるから。 そう言って微笑んだ母さんが、一泊旅行をするぐらいの小さな荷物を持って家を出たのが、二ヶ月前のことだ。 父さんだけじゃなくて、じいちゃんやばあちゃん、他の親戚。周りの人たちは皆泣いてたけど、俺はどうしても泣けなかった。泣けば母さんが死んだことがゲンジツになってしまうような気がしたからだ。 顔も知らないような親戚が次々と家にやってくる。うちにこんなに人が出入りするのは初めてで、慌ただしくて落ち着かなかった。 『俺、ちょっとだけ外に出てくる。すぐ帰るから』 重苦しい空気にどうにも耐えられなくて、俺は父さんに一言告げてからそっとその場を抜け出した。 外の空気は随分乾いてて、自分の身体も何となく渇いてる感じがした。 俺自身が乾燥してる。だから、こんなに悲しい状況でも涙が出ないのかもしれない。 『──伊吹』 頭上から聞こえてきた声に空を仰げば、声の主が二階の窓から顔を出しているのが見えた。 『万里』 万里の部屋は道路に面してるから、外に出たときにこうして声を掛けられることがよくあった。 窓に掛かる薄いブルーのカーテンが、ひらひらと風に揺れてきれいだ。 『もう帰ってんの?』 万里は俺の問いかけにちょっと笑って小さく頷く。着ているのは高校の制服じゃなくて、ラフな普段着だった。 そうか、もう学校から帰っててもおかしくない時間なんだ。 自分が学校を休んでるから、感覚が全然掴めてなかった。 『どこに行くんだ』 そんなことを訊かれたけど、行くあてなんてなかったから、俺はちょっと迷ってから大きな声で訊いてみる。 『そっちに行っていい?』 いいよ、という返事に門扉を通り抜けて玄関先で待っていると、鍵の回る音がして扉が開いた。 万里の顔を間近で見ると、急に気が緩んでホッとした。ああ、気が張り詰めてたんだなと気づく。 『おばさんと海里は、いないの?』 家の中は人気がなくてガランとしてる。中を覗き込むと、万里は『いないよ』と答えながら少し目を細めて俺をじっと見た。 万里と海里は同じ顔をしてるけど、それぞれの雰囲気で俺にはちゃんと区別が付く。学校や親戚の集まりでいつもどちらがどちらかわからないと言われる二人が、近頃誰の目にもわかるようになったのは、海里がリムレスフレームの眼鏡を掛けるようになったからだ。 海里は軽い近視で、裸眼だと教室の板書が見えにくいらしい。 別に普段は矯正しなくても日常生活に支障はないみたいなんだけど、本人は『こっちの方が誠実っぽく見えるらしくて女の子のウケがいい』なんて言ってご機嫌だ。そういうところがチャラいんだって、全く呆れる。

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