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2. Voiceless Wish 2

「わあ、小さい」 真新しいにおいのする家に上がり込んで、どぎまぎしながら赤ちゃんの寝顔を覗き込む。ふっくらとした頰がマシュマロみたいに柔らかそうで、触れるのも怖いぐらいに小さくてかわいい。 里帰り出産から万里の奥さんが帰ってきて数日経った頃を見計らって、俺は海里と一緒に万里のマンションに来ていた。 生後一ヶ月余りの男の子。胸にすっぽり収まるような大きさなのに、この子が生きて呼吸しているということが本当に不思議で奇跡みたいだと思う。 「へえ、産まれたての頃より随分顔がしっかりしてきたな」 俺の隣で海里がそう言って目を細めた。見慣れたはずの横顔はいつもとどこか違ってて、そんな優しい表情もできるんだなと意外に思う。 俺には憎らしい顔ばかりするくせに。まあ、ずっとニコニコされてるとそれはそれで何かあるんじゃないかと疑ってしまうから別にいいんだけど。 「目を開けると万里によく似てるのよ」 そう微笑むのは奥さんの朱美(アケミ)さんだ。出産後の身体を労わるような、身体のラインを拾わないゆったりとしたワンピースを着ている。ノーメイクでも大きな目と透き通った素肌が際立ってて、我が子を見つめる眼差しは慈愛に満ちている。素の姿がとてもきれいな人だと改めて思って、途端にチクリと胸が痛んだ。 同じ職場で知り合ったという万里と朱美さんは、順調に交際を経てめでたく結婚してしまった。俺の初恋相手は何を隠そう万里だから、周りが祝福する中でこのゴールインは個人的に相当ショックだった。誰にも言えずに落ち込む俺を見て、海里は鼻で笑ってたけど。 今こうして幸せそうな二人と赤ちゃんを見ていると、いいなと思う反面なんだか淋しい。結婚して子どもができて、幸せな家庭を築く。これが当たり前の家族の形で、みんなが望むことなんだと実感してしまうから。 「俺に似てるってことは、海里にも似てるんだろうな」 他人事のようにそう口にして万里が笑う。シンプルな黒のニットに洗い晒しのジーンズ。仕事へ行くときのカッチリとしたスーツ姿も決まってるけど、ラフな服装も万里にはよく似合う。 万里と海里は同じ顔だけど、雰囲気が違うから俺には区別がつく。見分けられなかったのは、母さんが亡くなった十歳の頃だ。 『家族になろう』 万里のふりをした海里に慰められた、夕焼け空の記憶。 俺が恋に落ちたと思っていたのは、実は万里じゃなくて海里だった。だけどそれに気づかなかった俺は、捻れた認識を抱えたまま何年も不毛な時間を過ごしてしまった。 「まあ、双子なんだからそうだろうな。俺にも似てるよ、多分」 そう言って海里はまた微笑みながら赤ちゃんを見下ろす。そんな光景に、ふとこの子が海里の子どもなんじゃないかという錯覚がした。 不吉だと瞬時に目を閉じて首を振ってみる。この子は万里の子なんだから、そんな想像はナンセンスだ。 今は俺と一緒にいるから、浮気でもされない限り海里に子どもができることはない。けれど、これから先のことはわからない。海里に万里と同じ幸福な未来が待ち受けていないなんて、俺には言い切ることができない。

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