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2. Voiceless Wish 10
「おはよう」
次の教室に移動しようとキャンパスを歩いていると、背後から声を掛けられた。振り返ると同じ学部の友人が笑顔で歩み寄ってくるのが見えた。
「乃空 、おはよう」
初夏のそよ風にさらりと前髪が揺れて煌めく。
原田乃空は大学に入学して最初にできた友人だ。初めて会った時、パーツの整った顔とクリクリとした目が印象的だったのをよく憶えてる。どんな講義でも真面目に受ける乃空は、適当でいい加減な俺とは正反対だと思う。なのに一緒にいると居心地よく感じるから不思議だ。
乃空は絶対にうるさく騒ぎ立てるタイプじゃないけど意外と人懐こいところがあって、入学ガイダンスで話しかけられてからすぐに打ち解けることができた。二年生になった今も、肩を並べて講義を受けるぐらいには仲がいい。
「伊吹、疲れてる? 大丈夫?」
開口一番そう指摘されてギクリとする。睡眠不足なのは一緒に住んでる相手のせいだなんて、まさか言えるはずもない。
「平気平気。ゲームで夜更かししちゃって眠いだけ」
適当にごまかせば乃空は安心したように微笑んだ。素直で優しい友人に嘘をついてしまったことに、ほんの少し心が痛む。
乃空は顔も性格もよくて彼女がいたっておかしくないのに、いつ訊いてもいないんだと笑って否定されてしまう。だけど言葉の節々に誰かの存在を感じる瞬間があって、もしかすると隠してるだけかもしれないなと思うことがある。
まあ俺だって幼馴染みとルームシェアしてるって言ってたけど実はそれ彼氏なんだ! なんてぶっ飛んだことを告白する勇気は今のところ持ち合わせてないし、他人のことをとやかく言う権利はないんだけど。
「次、民法だな。あんまり興味ないから退屈」
「先生の話し方が単調に聞こえるしね」
「そうそう。なんかブツブツ言ってるなあと思っちゃって、全然頭に入ってこない」
「でもね、先週授業の終わり間際に配られた資料、代理権についてきちんとまとめられててわかりやすかったよ」
プリントにきちんと目を通してることに舌を巻く。俺には代理権が何かさえわかっちゃいない。やっぱり乃空はちゃんとしてる。
他愛もない話をしながら肩を並べてキャンパスの中を歩いていると、白く古びたワゴン車が横を通過していった。どこかの業者の車だろうと思って何気なくその軌跡を視線で追いかけていると、乃空がポツリと呟いた。
「警察の車だ」
意外な言葉にびっくりして乃空の横顔を振り返る。その目は真っ直ぐに車のリアボードを見つめていた。赤色灯も付いてないし、とても警察車両には見えない。
「あれが?」
「うん。あれはね、亡くなった人を乗せる専用の車なんだ。うちで司法解剖されるんだと思う」
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