60 / 138

第60話

憧れの人だなんてそんな風に言われれば悪い気はしない。 話くらい聞いてやってもいいかと甘い考えすら湧き起こる。 「ありがとう。勉強を教えて欲しいって手紙にあったけど、実は俺の成績下から数えた方が早いんだ。だからそれには付き合えない。ごめんな」 図書室だから自然と声は小さくなるが、成績が悪いことなんて話したくないばかりに、ことさら声が小さくなった。 健人の断りを聞いて黒川は残念そうに目を伏せる。 「すいません、成績の事を聞きたかったわけじゃなくて」 「え?」 「俺、単純に先輩とテスト勉強したかっただけなんです。それもダメですか?」 来週からテスト週間が始まる。 今更焦ってテスト対策したって遅いことはわかっていたが、人の良さそうな後輩が健人に愛の告白をするでもなく、ただ一緒に勉強がしたいと言うのだから、それは引き受けてもいいのかなと思ってしまった。 「じゃあ……、どっちみち俺も勉強しなきゃいけないからこの図書室でやるなら、付き合ってもいいよ」 健人の言葉を受けて黒川はパッと顔を上げた。 さっきまでの悲しそうな顔ではなく、嬉しそうな明るい表情に変わっていた。 それを見た健人の周りに張り巡らされていた壁が知らず知らずのうちに剥がれていく。 早速明日の放課後からこの図書室で後輩の黒川と一緒に勉強することになった。 憧れの人──。 告白以外にそんな風に言われたのは初めてで、後輩から一人前の年上として認められた気になってしまったのだ。 健人が下足置き場で靴を履き替え外に出ると、後ろから声をかけられた。 「あんたバカなんだな、本当に」 「え?」 後ろを振り返ると昇降口の入り口で宗太が壁に寄りかかっている。 頼んだのは自分だが黒川とのやり取りを一部始終見られていたかと思うと少し恥ずかしい。 「原田」 宗太が立ち止まった健人のそばに歩み寄る。 「何で黒川の言うこときいたんだ。気にいらねぇ。俺はあんなもん断る以外に選択肢はねぇって思ってたんだがな。そうやって付け込まれて、最後に泣きを見ても俺は知らねぇぞ」 宗太は不機嫌であることを隠さない。宗太の眼がいつもより鋭く、表情も険しい。 なぜ宗太が怒っているのか健人にはいまいち理解出来なかった。 「黒川は真面目に俺と勉強したいって言ったんだ。図書室の同じ机でってことだったし。それに告白とかじゃなくて俺に憧れてるって……だから勉強するくらい、いいんじゃないか?」 宗太は「アホか」と吐き捨てて、落ちかけた西日を浴びて輝く銀髪を苛立たしげにかき上げた。

ともだちにシェアしよう!