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第20話

「―― 出かける前にちょっと、一服して行くか」   平然を装って柊二についてカフェに入るけど、   俺の鼓動は、ドキドキを増していく。 「―― どうかした?」   向かい側でコーヒーカップをテーブルに置いた   柊二が、小首を傾げるようにして俺を   見つめていて。 「えっ?」 「何となく、心ここにあらずって感じだからさ」 「あ、ご、ごめんなさい。週末の繁華街って  思ったよりもずっと人が多くて、びっくりして  しまって……」   彼の甘い声に聞き惚れ、整った顔立ちに   思わず見惚れていたなんて、   口が裂けても言えない。   職場で毎日顔を合わせているのに、   こんな惹きつけられるなんて   自分でも少し軽いか? って思っちゃうけど……   でもきっと他の女の人……特に、この店にいる   女の人だって、俺と大差はないと思う。   それくらい、各務柊二は素敵な男性だから。   カップの中のコーヒーへ目を泳がせる柊二の   左手に、俺の視線が止まった。   彼の左手の薬指には、売約済みを誇示するかのよう   プラチナのリングが輝いている。   彼本人は”ちょっと前から、あぁ、こいつ   いいなぁって思い始めてる子はいる”   なんて、言ってたけど。   やっぱり、そんな上手くいくワケないか……   なんで、もっと早くに気が付かなかったんやろ。   ドキドキの時間は、一瞬にして終わった。   たった短時間で恋をして、失恋まで経験したような   妙な気分。   俺ってば、どうしていっつもこうなんだ?   ひと目惚れしたり、ちょっとでも好意を持った   相手は決まって既婚者だったり、婚約者がいたり   それなりのパートナーがいた。   今年の初詣に引いたおみくじは珍しく”大吉”で。   『待ち人、来る。縁談、良(よろ)し』等など、   人を調子つかせる言葉のオンパレードで、   ”よしっ。今年こそは俺も!”って、密かに期待   してたんだけど……その今年だって、あと数ヶ月   足らずで終わりじゃないか。   あーぁ、もし、恋愛の女神さまがいるんだとしたら   きっと彼女は今長いバカンス中か、自分の色恋事で   人の面倒まで見る余裕がないんだ。    ◎   カフェから出た柊二と俺は、   家族連れ・恋人同士・学生達の   男女混合グループ、など、   老若男女がそぞろ歩くショッピングモールの   ティ-ンズファッションエリアを通過し、   20代~30代男性の富裕層をメインターゲットに   した高級ブティックが軒を連ねるエリアへと   やって来た。       「あ、あの! 柊二センセ ――   往診だったハズじゃ……」   「お前は四の五の言わずに着いて来ればいいのっ」 「は、はぁ……」 「―― おぉ、ココだよ」   と、彼が立ち止まったのは、   周りの店から比べても、ツーランクは上そうな   紳士服のお店。      俺らのために、ドアマンが出入り口の扉を   開けてくれた。    「さ、行くぞ、りんたろ」 「……」  ***  ***  ***       店内へ入ると派手な格好をした中年男性が   すっ飛んできた。 「まぁ、柊ちゃん! 首を長くして待っていた  ところよ!」   (待ってた……?)         ふくよかな体付きのオネエ系の男性は   その存在感だけでも重量級で、   あまりの迫力に俺は思わず後ずさる。   柊二の方は平然とした表情で俺を彼の前に   突き出した。 「彼に合う普段着、それに通勤用のスーツと  パーティー用のフォーマルスーツをいくつか  頼む。靴とバッグも」 「オッケー、この珠姫姐さんにお・ま・か・せ」   ウキウキとはしゃいでいる男性が、   引きずるようにして   俺を店の奥へと拉致する。   お店の入り口は狭かったのに、   店内はかなり広い造りになっていた。   その最奥、10畳ほどの部屋で下着姿に   剥かれてしまった俺は小さな悲鳴を上げた。 「あらまぁ! とってもキレイなお肌ねぇ。そ・れ・に  意外と巨乳」   やたらと張り切っているその男性と、   アシスタントと思しき若い女性から全身をくまなく   採寸されて、泣きそうになった。   自分の貧弱な体のデータを他人に知られる   羞恥だけでなく、    「あら、着痩せする質(たち)なのかしら」とか、    「でももうちょっと太ればバランスもいいわよー」   とか、身体的な批評を聞かされて逃げ出したい   衝動に駆られる。   下着姿なのでもちろん逃げたりなどできないが。   採寸が終わるとようやく椅子に座ることが   許された。   出された冷たいハーブティーで乾いた喉を   潤しながら、ぐったりと椅子にもたれかかっている   間、中年男性 ―― ここの店主である新進気鋭の   デザイナー氏はハンガーラックへ衣装を次々と   吊るしていく。   そして、これとこれを着るようにと俺へ服を   押し付け、部屋の隅にあるフィッティングルームへ   押し込む。   その間に柊二を招き、あることを相談した後、   着替えた俺へ靴を履かせてバッグを持たせ、   壁の前に立たせた。   柊二のスマートフォンで写真を撮られる俺は、   普段とは違いドレスアップしているせいか?   慣れない事に絶句して表情を強張らせるしかない。 「いいこと? お兄さん! 画像の組み合わせで出勤  すれば間違いないから、これを参考にしてもう  ちょっとコーディネートを勉強なさい!」 「は、はいっ!」   柊二はパリコレやミラノコレクションへも   出展経験のあるベテランデザイナーに   叱咤激励される俺を眺めては、   ニヤニヤと楽しそうに笑っている。   絶対にこの状況を楽しんでいるだろう。   一方の俺は何度も着替えさせられ、   その度に撮影されるから再び泣きそうだった。   しかも店主は、「ほら笑って!」とか   「ポーズとってみて!」と   無茶なことを要求してくる。   汗やメイクで服を汚さないかと緊張しすぎて、   情けない顔しかできないのに。   どのシャツ1枚とってもひと月分のお給料と   ほぼ同額だなんて、   平民の常識では信じられなかった。   スポーツテイストのトップスも、   知的さと男性らしさが程よいスーツも、   シンプルな開襟シャツも、着心地が良く肌触りも   上質なものばかりだが、桁がひとつ違う。   しかも全身コーディネートして撮影すること   30回 ――。   同じ服は1度も使っていないので、   総額が幾らになるか考えたくもない。   いや、まさかこれ全部を買うわけではない   だろう……。   しかしヘロヘロになって椅子に座り込んだ   俺の耳に、とんでもない会話が聞こえてきた。 「撮影した服は全てこの住所へ配送して欲しい。  明日には届くな?」 「オッケー。タロちゃんに届けてもらうから安心よ」   どうやら全ての服が俺のワードローブへ   収納されるらしい。   パクパクと金魚のごとく口を開閉させて   呆けていると、俺の心情を察した柊二が   意地の悪い笑みを浮かべて   俺の腕へ自分の腕を絡めた。 「さて、次行ってみよう」 「えっ、つ、次ってどこへ……」   もう帰りたいと言いかけたが、またしても   ひと睨みを浴びて大人しく口を閉じた。          今さらだけど、公務員が勤務時間を   こんな私用で使っても   いいものなのだろうか……

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