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式部はびっくりした。
ソファの背もたれを乗り越えてきたかと思えば自分の真横に腰を下ろした隹川をぎこちなく見上げた。
「お邪魔だったか、阿羅々木」
華奢な肩に腕を回して勢い任せに引き寄せ、僅かに痛がる式部を気にするでもない隹川は幼馴染みに鋭い眼差しを向けた。
「人嫌いのお前にしては、な、初対面のコイツに尻尾振って愛想振り撒いてるように見えた」
「尻尾、か」
「そういえば俺の酒を勝手に飲んだ詫びをまだ聞いてねぇ」
これって幼馴染み同士が交わす会話なんだろうか。
「隹川、あれは僕がーー」
「お前は黙ってろ」
「……さっきから腕が痛いんだ、隹川」
「stay」
隹川は力を弱めるどころか、さらに式部に片腕を巻きつけて「待て」と命じた。
逃げ出せない懐で式部は真っ赤になった。
オモチャの次はペット扱い、心無い服従訓練 に切れ長な双眸をじわりと涙で濡らした。
「お前もコレで遊んでみてぇとか?」
隹川は冒涜をやめない。
阿羅々木は相槌すら打たずに黙って聞いている。
「そうだな、躾もある程度進んだし、どこに出しても自慢の忠犬 ではあるか」
どうしてそんなこと言うの、隹川。
そんなひどいことが言えるの。
「おねだりだって可愛くやれるもんな、式部は」
堂々と貶められたショックで凍りついていた式部はさらなる嘲笑に心身を竦ませた。
「俺に乗っかって、腰振って、上手に従順に欲しがる。そうだろ?」
やめて。
それ以上言わないで。
「それ考えたらお前のツガイにくれてやるのはもったいねぇか、対人嫌悪症の変わりモンには盛りのついた雌犬で十分だよな」
「……隹川」
凶暴な旋律がホール中を容赦なく爆走しているにも関わらず隹川は微かな呼号を聞き逃さなかった。
「さっき待て って言っただろ、式部」
懸命に身じろぎし、ぎこちなく顔を上げた涙目の式部は不敵な眼をかろうじて咎める。
「幼馴染みの阿羅々木のこと、そんな風に言っちゃ、だめだ……」
隹川は満遍なく潤んだ切れ長な双眸を見下ろした。
自分の胸に浅い爪を立て、今にも泣き出しそうな頼りない様に思わず心臓をブルつかせた。
その場で隹川は式部にキスをした。
無防備だった唇をひどく攻撃的に傲慢に嬲り尽くした。
「ッ……」
やっと解放されて虚脱しかけていた式部の視界に写ったのは、さすがに驚いている隹川の幼馴染みらと、暑苦しいマスクを剥ぎかけて硬直している同級生の二人だった。
見られた。
信じられない。
嫌だ。
消えてなくなりたい。
「隹川なんか嫌いだ……ッ」
「さすがに今のはやり過ぎだ」
「その内捕まるわよ、鬼畜やろー、清純な中学生相手に信じらんないわ」
式部は一人走り去り、繭亡は呆れ、セラは傍若無人な幼馴染みを責め、弟の獅音は最愛なる兄のキスシーンに腰砕け、バッチリ目撃してしまった中学生同士は赤くなった顔を見合わせた。
「今の……ほんとに式部?」
「……別人みてーだったな」
隹川を責めることもできずに過激で濃厚なキスに感じきっていた同級生の残像に宇野原と北はどぎまぎしてしまう。
隹川は。
アクリルテーブルに置かれていた繭亡のタバコとライターを引っ掴み、火を点けようとして、やめた。
阿羅々木は手負いの獣じみた昂ぶりを横顔に滲ませる隹川を尻目に、これみよがしに見せつけられた捕食さながらのキスを脳裏に反芻した。
易々と囚われて唇を差し出していた式部の甘苦しい嬌態。
小さな棘でも刺さって眼球がヒリついているかのようだった。
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