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鳥の囀りがやまない、澄み渡る空気に満ち満ちた冬木立 。
夏は避暑地として賑わう自然豊かなリゾート地。
観光スポットのひしめき合う中心地から逸れた閑静な高台、国道沿いの並木道にデザイン性に富んだ立派な戸建てがバランスよく点在している。
繭亡の父親が所有する別荘もその内の一つだった。
「迷子になるなよ、式部」
「僕はもう中学二年生だ、迷子になんかならない」
隹川と共に電車を乗り継ぎ、駅からタクシーで移動し、数時間かけて辿り着いた場所に式部は感嘆した。
本道を外れ、舗装されていない小道の突き当たり、冬枯れの雑木林に抱かれるようにしてその別荘は佇んでいた。
地上木造二階建て、地下ガレージつき、外国の古民家を彷彿とさせる和モダンテイストな建築。
招き屋根と呼ばれるアシンメトリーの切妻屋根が特徴的だった。
ビルトインガレージはシャッターで閉ざされており、アンティーク調の瀟洒な手摺りが目を引く階段を上れば、日当たりのいいウッドテラスへ。
「来てくれたのね、式部!」
ホットコーヒー片手にガーデンチェアで寛いでいた繭亡の妹・セラに出迎えられた。
あったかそうな大判ストールを羽織っているとはいえ、片方の肩が剥き出しのオフショルニット、風邪を引かないだろうかと式部は心配になる。
「ハロウィンぶりね、私、ずっと式部に会いたかったの!」
「そうなのか、ありがとう」
「ほんっとかわいい!!」
「……」
「俺のことはガン無視か、セラ」
熱烈な歓迎にやや戸惑っている式部の前に隹川が平然と立てば「アンタ邪魔」とセラは平然と言い放った。
「式部、案内してあげる」
「うん」
「今日は普通の格好なのね」
ぱんっぱんなトートバッグを肩から提げ、チェック柄のマフラーをし、ネイビーのダッフルコートを着込んでいた式部はキョトンした。
「隹川に聞いたの、式部には女装癖があるって」
「ッ……そんな癖ないっ」
「へぇ? 俺と出会ったときはカワイイ格好してたじゃねぇか?」
ファーフードつきオリーブカラーのミリタリージャケットが恐ろしく似合う隹川にそう言われて式部はぐっと詰まった。
「あれは罰ゲームで……仕方なく……」
「だから式部のために今日はいっぱいお古持ってきたの」
「お古……?」
「腕によりをかけてドレスアップさせてあげる!」
「着せ替え人形の奴隷にされる流れだな」
「奴隷じゃないし? アンタの物差しで判断しないでよ? ほら、こんな野蛮人は放置して行きましょ、式部」
「いや、あの、誤解なんだ、セラ……」
上機嫌なセラに手をとられて式部は別荘の中へ。
どうしたものかと背後を見れば、ステンドグラスがはめ込まれた玄関ドアの向こうで隹川は愉しげに笑っていた。
……早速、先行き不安になってきた。
……でも、隹川と一緒に移動してきた時間は楽しかった。
吹き抜けの広間の天井にはシャンデリアが吊り下げられ、張り巡らされた剥き出しの梁や敢えてビンテージ加工された柱が重厚感を醸し出している。
三方向の壁に広くとられた開口部は落ち着いた自然光を室内に取り入れ、趣き深い冬の雑木林が存分に見渡せた。
見栄えよく配置された一人掛けのソファやカウチソファ。
壁際にレトロな薪ストーブが設置されていたが、こちらは使用されておらず、室内には暖房がしっかり効いていた。
「セラ、荷物はどこに置いたらいい?」
「その辺にテキトーに置いちゃって大丈夫。こっちがキッチンね。何か飲む? 獅音に作らせるから」
「俺はコイツのための飲み物なんか一滴も作んねぇぞ!」
ダイニングと隣接する、格子壁に仕切られた壁付キッチンでは前掛けエプロンをつけた隹川の弟・獅音がてきぱき料理中だった。
「獅音、こんにちは、何か作ってるのか?」
「呼び捨てにすんなッ年下のくせにッ」
「獅音は私達の晩ごはんを作ってくれてるの、式部も私と一緒に手伝ってくれる?」
「……洗い物とかならできると思う。割るかもしれないけど」
「はッ、お前そんなんじゃあ兄貴のきらびやかな胃袋掴めねぇぞ? 俺を見習え!」
「式部、今度はこっちね」
「あ……ッセラ、行っちゃうのかよ……」
急にシュンとなった獅音シェフをキッチンに残し、セラが次に式部を案内した先は、仕切りを挟んでキッチンの向かい側に設置されたバーカウンターだった。
「式部」
阿羅々木がいた。
バーチェアに腰掛け、顔の前に掲げた左手には文庫本、右の手元にはミントの浮かんだグラスが置かれていた。
『俺も式部と遊んでみたい』
図書館の屋上での出来事を思い出し、一瞬、躊躇したものの式部は相変わらず黒ずくめの彼に声をかけた。
「こんにちは、阿羅々木……それってお酒か?」
「それ、モヒートじゃなくてミントウォーターだから。ここに滞在する間は禁酒・禁煙デー、式部のために清く正しく過ごそうと思ってるの」
「お前のせいで楽しい冬休みが台無しだ!」
阿羅々木の代わりにセラが説明し、格子壁の向こうで獅音が喚いた。
「獅音、お酒とタバコは二十歳を過ぎてからでないと」
「式部は物知りだな」
「……それくらい誰だって知ってる、阿羅々木」
阿羅々木は閉じた本をカウンターに下ろして立ち上がると式部の頭を撫でた。
「……またそうやって。こども扱いしないでくれ」
「式部は半分こどもだろう」
「私も式部の頭イイコイイコしたい!」
「イライラするからグシャグシャにしてやる!」
「ううう……」
「随分と愉しそうに年下の中学生をいじめているんだな」
繭亡がやってきた。
タイトなタートルネックは上品なワインレッド色、ストレートのデニムパンツもスリム仕立てであり、足元は室内用の本革サンダル、スレンダー体型によく似合うきれいめコーデだった。
「繭亡、お邪魔しています……」
高校生三人にそれぞれのペースで頭を撫でられている中、式部は繭亡に挨拶した。
『いずれは飽きが来て放置される』
図書館のカフェで出し惜しみすることなく振り翳された敵意を思い出し、ちょこっと警戒している式部に、繭亡は麗しげに微笑する。
「俺も撫でてみたい」
「ううう……」
その頃、ウッドテラスに一人残り、手摺りに両腕をもたれさせて凍てつく空気を満喫していた隹川は愉しげに呟いた。
「信じてるからな、式部」
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