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「こんなの嫌だ、隹川……」 ツヤ感に富むリップグロスで彩られた唇が弱々しげに抵抗を繰り返す。 「拒否ってんじゃねぇ、いつも通り俺を感じろ、式部」 隹川がそう言えば、一瞬きゅっと固く結ばれて、ダメージを受けたのがまるわかりな反応を。 明かりが点された勾配天井のシャンデリア。 主寝室にはダブルベッドが二台、丁寧に設えられたその内の一つに仰向けにされた式部は見えない周囲を不安そうに気にしていた。 「嫌だ……」 「何で嫌なんだよ」 「何で、って……当たり前だ……ここは繭亡の別荘で……こんなことしちゃ駄目だ」 「お堅い奴」 「ッ……隹川って、ば……」 頑なに閉じていた内腿をおもむろに割るように撫でられて。 身を竦ませた式部は真上に迫る体を押し返そうとする。 「……」 探り当てた肩に両手をあてがった瞬間、おっかなびっくり続けられていた手足による抵抗がピタリと止まった。 目隠しのせいでどんな表情をしているのか把握しづらいが。 同意からは程遠い戸惑い。 どこか怪訝そうな様子で。 「……あ」 両手をそっとベッドに押し返し、両足の間に体を割り込ませると、その口元は目に見えて強張った。 チークを馴染ませた滑らかな頬に触れてみる。 首筋からうなじにかけて掌を辿らせてみる。 「っ……っ……?」 式部は初めて横になるベッドで可哀想なくらい華奢な肢体を硬直させた。 「どうした」 隹川が問えば震える唇で「目隠し、とって」とお願いしてきた。 「駄目だ」 「っ……じゃあ自分でとる」 「勝手なことするんじゃねぇ」 目隠しを外そうとした両手をベッドにやんわり縫い止められると、ひゅっと、息を呑んだような。 「隹川……?」 「何だよ」 「本当に……隹川なのか……?」 「は? お前何言ってんだ?」 隹川に聞き返された式部は何も言えずに扇情的な唇を凍りつかせた。 服越しに触れる体温。 微かに聞こえる息遣い。 不穏なまでの静けさ。 「しょうもない不安なんか今すぐ蹴散らしてやるよ、式部……」 ギシリ ベッドが軋んで、さらに我が身に近づいてくる気配を察した式部は、可能な限り顔を逸らす。 ゆっくり頭を撫でられると反射的に呟いた。 「……隹川じゃない……」 禍々しくざわつく胸に今にも息が止まりそうだった。 「誰……?」 口にしたくなかった問いかけ。 そして。 知りたくなかった答えは、ようやく目隠しを外されて、無情にも式部に突きつけられた。 「……阿羅々木……」 ベッドで自分に覆い被さっていたのは阿羅々木で。 隹川は二台のベッドの間に立ってこちらを覗き込んでいて。 「ふぅん。なかなかの忠誠心だな」 もう一台の隣のベッドには繭亡が腰かけていた。 視界は開けたはずなのに暗闇が重たくのしかかってくるような錯覚に式部は眩暈を覚える。 「余程、隹川に飼い慣らされているということか」 繭亡の心無い悪意が目の前の暗闇に絶望感を上乗せした。 「阿羅々木と隹川、二人は賭けをしていた。目隠しされた状態でも式部は隹川のことを判別できるか、否か。判別できなかったらお前はそのまま阿羅々木のものになっていた」 丁寧な説明は放心状態に近い式部の耳の外を通り過ぎていく。 「つまり。この賭けは隹川の勝ちだ。日頃豪語しているオモチャとの主従関係が証明されたわけだ」 何も言えずにいる式部の切れ長な目が涙を落とし、ベッドの上で哀れな中学生を抱き起こした阿羅々木は、瞬く間に濡れた頬を拭った。 「式部」 自分と視線を合わせようとしない、斜め下を直視している式部に呼びかける。 「隹川は大事な相手にも平気で害を被る」 「それに加担してやったのは当のお前じゃないのか、阿羅々木?」 「俺は式部にわかってほしかった」 純粋な式部に隹川は相応しくない。 「これで奴の人間性が身をもって理解できただろう。隹川はやめておけ」 「同感だな」 阿羅々木と繭亡の言葉にまるで無反応、ぼんやり聞き流していた式部だが。 「随分と好き勝手なこと言ってくれるじゃねぇか、お前ら」 隹川が口を開くと、ビクリと、華奢な肩を震わせた。 両腕を組んで立っていた隹川は声もなく涙する式部を見下ろして阿羅々木と繭亡の中傷を一笑した。 「まぁ、若干遅ぇ気もしたけどな。阿羅々木がベッドに押し倒した瞬間に気づくのがベストだった」 ……何を言ってるんだろう、隹川……。 「それでも十分健闘したか」 濡れそぼつ目で自分を仰ぐ式部に隹川は鋭く笑いかけてみせる。 「キスして舌入れられる前に気付いたのは褒めてやるよ、式部」 顎に片手を添えて持ち上げると「ほら、ご褒美だ」といつにもまして瑞々しい唇にキスを……。 隹川にキスされる前に式部はその頬を思いきり引っ叩いた。 誰かを叩くのは初めてで、加減もわからずに、衝動のままにありったけの力を込めて。 「隹川なんか大ッ嫌いだ……!!」 それだけ告げてベッドから、主寝室から、飛び出した。 もう一分だって長居したくない繭亡の別荘を勢い任せに後にした。 みんな嫌いだ。 こんなことされて泣く自分も嫌いだ。 ぜんぶ真っ黒に塗り潰せたらいいのに。

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