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本当にここにやってきてよかったのだろうか。
式部は新たな後悔に呑まれつつあった。
「このコにはこの色が合うってば」
「それじゃあ、つまんない、もっと冒険させなきゃ」
「すっごい、お肌すべすべ、いいなー」
ブランド品の化粧ポーチをそれぞれ手にし、かなり過激なファッションをした年上女子らに囲まれて辟易しっぱなしだった。
そこは芝の緑が美しいガーデンつきの平屋造りの別荘だった。
通りから奥まった立地、L字型の構造、インテリアなど全体的に白を基調とした豪奢な広間には広々としたウッドデッキが隣接していた。
天井埋込のスピーカーからは屋外に洩れるほどの大音量の音楽が流れている。
別荘には付き物なのか、こちらにも薪ストーブが設置されていた、しかしやはり使用されずに暖房をガンガンに効かせて室内は蒸し暑いくらいだった。
それもそのはずで。
「あの……どうしてみんな……下着だけ……?」
その別荘にいたのは女性のみで、皆、ランジェリーしか身に着けていなかった。
ショッキングカラーのベビードールだったりボンデージ風だったり、初心な中学生男子は当然ながら一般男性でも直視するのが憚られるようなセクシ〜〜っぷりだった。
「今日はそういう趣旨のパーティーなの」
式部を車に乗せてくれた彼女が「そういう趣旨のパーティー」のホストであった。
成人済みの女子大生であり、女性向けのマッチングアプリを運営する学生起業家でもあった。
「この別荘は知り合いのモノなんだけど、時々こうして貸してもらってるの」
『君、迷子でしょ。乗って?』
途方に暮れていた式部は藁にも縋る思いで彼女の車に乗り込んだ。
特に身元や事情を尋ねられることもなく、失意の余り自ら素性を名乗る余裕もなく、五分ほどかけてこの別荘へ連れてこられたわけだが。
……こんなにも目のやり場に困る状況、初めてだ……。
対面式のキッチンカウンターには赤やら白やらスパークリングやら、ワインボトルがずらりと並び、オードブルも用意されていた。
無駄に多いふかふかソファ、彼女と同年代らしき二十人近くいる年上女子らは華奢なグラスできゃっきゃと乾杯していたり。
向かい側のソファではまさかのキスシーンがあっけらかんと繰り広げられていたり。
「かわいい、照れてるの?」
「まさか初めて見るとか?」
「もしかして経験ないの?」
別荘を訪れたときから自分に構いっぱなしの女性陣に顔を覗き込まれ、もちろん彼女らも布面積の少ないランジェリー姿、式部は精一杯俯いて赤面するしかなかった。
「赤くなってる、かわい」
「泣いたんでしょ? マスカラがついちゃってる」
「かわいそう。よしよし、イイコイイコ」
フェイスパウダーを頬にぽふぽふされて、グロスを上乗せされて、それはそれは優しく髪を梳かれて。
皆に女の子だと完全に思い込まれている式部は益々縮こまった。
……早く男だって打ち明けなきゃ……。
「やっぱりお酒は飲めない年齢かな」
ホストの彼女は運転時からファーコートの下にシースルータイプの穴開きレオタードを纏っていて、別荘に着いてそれを知ったとき、式部は驚愕した。
そのまま広間へ案内され、さらに目を疑う光景に恐れ戦いて回れ右しようとしたら『このコ誰?』『かわいいっ』とあれよあれよという間に引き摺り込まれて。
正体を明かすタイミングを見失って現在に至るわけだ。
「の、飲めない、あの、僕」
「僕だって!」
「もう、どーしよー、かわいすぎてお腹痛くなりそー」
「そ、それは……そんなに肌を出してるから冷えたんじゃあ……」
「うん、冷えちゃったのかも! あっためて!」
「わぁ……!」
横から抱きつかれて式部は目を白黒させた。
「こーら、だめ、私が拾ってきた迷子なんだから」
ホストの彼女は式部のことをえらく気に入ったらしい。
「名無しの迷子ちゃん、そんなに恥ずかしいのならベッドに行く?」
「え?」
「この別荘、ベッドルームがいっぱいあるの」
「あ……えっと……」
「私といっしょにベッドで遊ぶ?」
「わぁ……! そんなのむりだ、物置小屋とか納屋で十分だからっ……ひゃ!?」
「うっそ、おっぱいちっさ、ほぼぺたんこ、しかもブラしてない!」
「や……やめて……そんなとこ揉まないでくれ……」
「彼氏のとこに忘れてきちゃったか」
「なるほど、いやいやえっちされそうになって、靴も履かないで逃げ出しちゃったか」
当たっているよーな、当たっていないよーな。
背後から胸を揉まれ続けている式部は耐えられずにソファの上で丸まった。
「えー、猫みたい」
「鳴いてみて、にゃあって」
「にゃあにゃあ♪」
くすぐったいし、おっかないし、恥ずかしいし。
色んな香水や化粧品の匂いが洪水になって押し寄せてきて酔いそうで。
猫というより袋のネズミ状態に。
「こちょこちょ♪」
しまいには複数の手にこちょこちょ攻めされた。
「ひぃん……」
ちゃんと正直に言わなきゃ。
自分は男だって。
一晩だけでいいから別荘の納屋にいさせてほしいってお願いしよう。
正体をあやふやにした女装への糾弾を覚悟してありのままを告げようと決意した式部は。
「お前何やってんだ、式部」
耳を疑った。
年上女子だらけの別荘で聞こえてくるはずのない声に心臓をブルリと打ち震わせた。
「あれー、今夜は男子禁制なのに」
「いつの間にこんな大きいコ入ってきたの?」
おずおずと顔を上げれば。
何ら恥じらう様子もないランジェリー女子の隙間から、同じく何らはにかむ様子もなしに自分を見下ろしている隹川と、バッチリ目が合った。
「別に忍び込んだりしてねぇよ。インターホン鳴らしても返事ねぇし、ロックされてなかった玄関から普通に入ってきただけだ」
「うう、隹川……」
式部が思わず洩らした呼号に年上女子らは顔を見合わせる。
「まさか彼氏?」
……彼氏じゃない。
……恋人にあんなひどいことする恋人なんていない。
「……違う……僕は……隹川にとってただのオモチャなんだ……」
性能のいいスピーカーから流れる女性ボーカルの高音シャウト。
向かい側のソファで我関せず続けられる、口紅の混じり合うキス。
誰かがグラスを落としてガラスの割れる音と笑い声が響いた。
「恋人なんかじゃ……ない……」
式部はまた丸まった。
情けない泣き顔をこれ以上誰にも見られたくなくて……。
「やり過ぎた」
ネイルが派手目立つ手に頭をイイコイイコされていた式部は、伏せしたまま、何度も瞬きした。
「悪かった、式部」
乱れた前髪の向こうに見えたのは。
すぐそばに跪いた隹川だった。
「ごめんな」
そんなの、ずるい、隹川……。
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