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「あれだけ迷子になるなって言ったのにな」 「……言ってない、聞いてない」 「立てよ。戻るぞ」 「……あそこには戻りたくない」 露出度の高すぎるランジェリー女子の一部がくっつき合って興味津々に傍観している中、恐ろしく平静な隹川は跪いたままため息をついた。 「このまま長居したら乱パに巻き込まれるぞ」 「……らん、ぱ……?」 「下品な言い方やめてくれる?」 「でもね、君だったら特別参加枠として許可してあげてもいーよ?」 式部にべったべたに構っていた女性陣は招かれざる客人であるはずの隹川に好意をちらつかせ始めた。 依然として平静でいる隹川とは逆に式部は焦燥する。 酷い目に遭わされた隹川に縋ることもできず、年上女子らを諌めることもできず、次の行動に迷って一人周章した。 式部の葛藤が手に取るようにわかった隹川は。 すでに食傷気味な誘惑をことごとく無視して。 「俺と帰れよ」 迷える式部に手を差し伸べた。 泣き腫らして痛痒い目を忙しげに瞬かせ、ブラウンのマスカラが施された睫毛を伏せ、どうしようか、やっぱり式部が迷っていたら。 「遅ぇ」 すぐさま痺れを切らした隹川は唯一の捕食対象を有無を言わさず手繋ぎで拘束したのだった……。 「彼はやめた方がいいよ、夏のバカンス中にゴムの物乞いに来るような奴だから」 ファーコートを纏って玄関まで見送りにきてくれた彼女の言葉に、式部は、切れ長な目を見張らせた。 『隹川が<百合の館>に避妊具の持ち合わせがないか尋ねに行ったのは滑稽だった』 ……あれって、ここのことだったのか……。 「えっと……色々、どうもありがとう」 返事に迷った式部は一先ず諸々のお礼を述べておいた。 頼りない柔な手をしっかり握っていた隹川は奥行きのあるポーチに出、両開きの玄関ドアが背後で閉ざされると、大袈裟に肩を竦めてみせた。 「俺が貶されてんのに礼言うのかよ」 「……」 手は繋いだものの視線を合わせようとせずに式部はだんまりを決め込む。 だが、繋いでいた手が不意に離れると淋しさに襲われて咄嗟に頭上を仰いだ。 「わっ?」 隹川は素早く脱いだミリタリージャケットを式部の頭にかぶせて着るように命じた。 「隹川が寒いんじゃ……」 「いいからとっとと着ろ」 次は片手にずっと提げていたセラのストールを式部の首にぐるぐる巻いた。 「乗れ」 次は……その場で屈んで自分におんぶされるよう指図してきた。 「……そこまでしなくていい」 「お前靴履いてねぇだろ。それともセールみたいに玄関に並んでた靴のどれか拝借してくるか」 「そんなことできない」 「じゃあ乗れ」 「……」 凍てつく夜。 深い闇が支配する雑木林の縁、常夜灯が指し示す歩道を普段と同じ足取りで隹川は進んでいく。 背負われた式部は初めての居心地にそわそわしながら、やっと、疑問に思っていたことを尋ねた。 「どうして僕があの別荘にいるってわかったんだ……?」 パキ、パキ、紐ブーツの靴底に踏まれて小枝の潰れる音が聞こえた。 「あの女の車に乗ってるのが見えた」 「あの女なんて言い方したら駄目だ」 「この辺じゃ有名なんだよ、あの女王様(クイーン)。騒ぎ過ぎで苦情が相次いでる。通報されてパトカーが来たこともあったな。学生起業家だか何だか知らねぇけど、パトロンの別荘で大いにハメ外してるってわけだ」 「パト……ロン……」 「セラが行ったら大人気だったろうな」 隹川が低く笑い、触れ合う場所から伝わってきた僅かな振動に式部はそっと息をついた。 「ふ。くすぐってぇ」 Vネックで曝された首筋にほんのり熱もつ息遣いが触れて隹川は笑みを深める。 おんぶされた式部は並木道の常緑樹が枝葉を張り巡らせる冬空を何となく見上げてみた。 ……あ。 ……星がいっぱいだ。 「こんなに綺麗な空だったんだ」 「あ? 何か言ったか?」 隹川の視界に入らない彼の背中で式部は首を左右に振った。 「スマホも持たないで出ていきやがって」 「うん……」 「なぁ、どうする、このまま二人で凍死するか」 「うん……」 「どっかの別荘に忍び込むか」 「うん……」 「繭亡の別荘に戻るか」 「やだ……」 単調な揺れは心音と同化するようで。 隹川の温もりが残るぶかぶかのジャケットに包まれていると、その両腕に包み込まれているような気がして。 「……あったかい……」 式部は目を閉じた。 「おい、式部、寝るなよ」 「……」 「おい……」 隹川、迎えにきてくれてありがとう。 ほっぺた、引っ叩いて、ごめん……。 「……ああ、そうだな、まさかここに泊まる羽目になるなんて……」 とろとろとした眠りの海に深く沈んでいた。 「は? 飛び入り参加? するわけねぇだろ……めんどくせぇ……」 すぐ近くで聞こえる隹川の声。 式部の意識は現の世界目指して緩やかに浮上していく。 「こんな部屋、ラブホでも経験ねぇな……安眠できる奴の気が知れねぇわ……ああ、ここにいたか……」 頬をくすぐられて。 こめかみから後頭部にかけてゆっくりと髪を梳かれて。 今日一番のイイコイイコに式部は「くぅ……ん」と満足そうに喉奥で鳴いた。 「……もう切る……」 声が途絶えて訪れた静寂。 いや、微睡んでいた意識が次第に鮮明になっていくにつれて微かな喧騒が式部の耳に流れ込んできた。 「……?……」 もぞもぞ寝返りを打つと心地のいい温もりにすっぽりと包み込まれた。 「なぁ、ガチの仔犬みてぇだったな、さっきの」 耳元で奏でられた低く短い笑い声。 鼓膜が溶けそうになった。 「もっかい鳴けよ、式部」 瞼をピクリと痙攣させ、式部は、目を開く。 不敵に笑む隹川と間近に視線が重なる。 切れ長な双眸はみるみる大きく見開かれて動揺を素直に物語った。 「え……? ここ、繭亡の……?」 「違ぇよ」 ここは女王様の館だ。 「え?」 繭亡の別荘に戻りたがらない式部のため、凍死を免れるため。 隹川はコチラへ戻ってきたのだ。 「隹川……それ……何の痕……?」 「入場料の代わりだと」 片頬にはこれみよがしなキスマークがいくつか。 もう片頬には……式部の掌による痕跡がうっすら赤く残されていた。

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