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「礼を言いたいんなら明日にしとけ、今、向こうのノリはお前には刺激が強すぎる」 広間で繰り返される、嬌声にも似た甲高い笑い声がか細く聞こえてくるそこは別荘の角部屋に位置するベッドルームだった。 猫脚タイプに揃えられた家具。 デコラクティブで華美な内装。 何もかもがロココ調のアンティーク風に統一された、それはそれはファンシーなお部屋だった。 「ここ……お姫様のお部屋か何かか……?」 白レースなる天蓋つき、エレガントでゴージャスなベッドの上で隹川にハグされていた式部は辺りをきょろきょろ見回した。 「お前にピッタリだって通されたんだよ」 「全然、ピッタリなんかじゃない……童話に出てくる部屋みたいだ」 「そうだな」 暖房の効いていない薄闇と冷気に満たされた部屋。 調度品である布張りのイスに引っ掛けられたストールとミリタリージャケット。 フリルつきバラ柄の羽布団の内側で外出着を纏ったままの二人。 「お前もやっぱり男だな」 式部はキョトンとした。 「肉食女らの輪の中にしれっと交ざりやがって」 「っ……しれっとしてない。僕よりも隹川の方がしれっとしてる、そんな痕つけられて……みんなすごい格好だったのにずっと平気で……隹川は爛れてる」 「骨の髄まで爛れてて悪かったな」 「……そこまで言ってない」 式部は萌え袖状態の指先を伸ばした。 向かい合う隹川の片頬に、自分の痕が残る方に、そっと触れた。 「ビンタしたの謝れよ」 半笑い気味に言われた言葉にむっとした。 「隹川があんなひどいことするからだ」 「俺は謝ったぞ」 「……聞いてない」 「嘘つけ」 ぎこちなく頬を撫でる式部の手に隹川も自ら顔を寄せた。 華奢な指に指を絡ませ、掌に鼻先を押し当て、深く息を吸い込んだ。 「……くすぐったい」 「お前が暴力振るうなんてな。実は家庭内暴力の常習犯か」 「そんなことしてないっ」 むっっっとした式部が言い返せば唇にすかさず突きつけられた人差し指。 「あんまり大声出したら女王様とその下僕を刺激する」 触れるか触れないか、ほんの僅かな接触だった。 それでも式部のぺちゃんこな胸は大きく波打った。 縋り甲斐のある肩に両手を押し当て、やや後方に体をずらして距離をとると「泊まらせてもらっているのに、そんな悪口よくない」と呟いた。 「お前にビンタされるなんて勲章ものだな」 酔狂な宴の熱狂をBGMにして不敵な笑みまじりに隹川はほざいた。 「……今度は僕への悪口か?」 「いーや? 夏場の蚊にだって喜んで血を捧げそうなお優しい性格みてぇだから?」 「さすがに蚊が自分にとまっていたら叩く……」 「お綺麗な優等生があんなに露骨に感情を剥き出しにしたのは俺が初めてだろ?」 怒っているというより嬉しそうな隹川に式部は呆れ返る。 「なぁ、そうだろ、式部」 返事に躊躇して伏し目がちに見返していると、派手なキスマークがちらばる片頬を指し示し、突拍子もないことを彼は強請った。 「お前ので上書きしろよ」 「え……?」 「何か落ち着かねぇ」 あからさまな他人の痕跡が気にならなかったと言えば嘘になる。 同じく落ち着かない心境にあった式部は、不慣れだし気恥ずかしくあったものの、モヤモヤしていた自分の気持ちに従った。 自分でつくっておいた隔たりをなくして。 もぞもぞと隹川に身を寄せて。 その頬にグロスの残る唇を捧げようとして。 「!!」 急に顔の向きを変えた隹川の口にキスする羽目になった。 「言っとくけどコッチはさっき死守したからな」 唖然となってブルブルしていたらニンマリ笑いかけられた。 ……隹川、ぜんっぜん反省していない。 ……僕に引っ叩かれても、落ち込むどころか、逆に得意気だ。 「……隹川は歪んでる……」 自分だけが翻弄されていると改めて痛感し、遣りきれずに、徒労感に打ちひしがれた式部はベッドから離れようとした。 そうはさせまいと瞬時に伸ばされた両腕。 去りかけた細身の体を自分の懐へ容易く取り戻すと、背後からきつく抱き締め、ベッドの檻に閉じ込めた。 「そう何回も逃がさねぇぞ、式部」 「ッ……苦しい、隹川」 「お前が逃げようとするからだろーが」 「ううう……窒息しちゃう……」 「どこまで軟弱なんだよ」 息が止まりそうなくらいの抱擁に式部は身を捩じらせる。 ぎゅうぎゅうバックハグされて息苦しくて切れ長な目の端っこに悔し涙が滲んだ。 「自分のものだって言いながら……なんであんなことするんだ……?」 勝手に景品として扱われて。 自分の目の前で阿羅々木に触らせて。 それを繭亡に傍観させて。 「なんで阿羅々木に僕を触らせて……平気でいられたの……?」 隹川に抱きしめられながら式部は胎児みたいにきゅっと丸まった。 「もしも気づかなかったら……どうしてた……? 最後までさせた……?」 小刻みに肩を震わせ、必死になって嗚咽を堪えていたら、髪を掻き上げられて耳朶をやんわり食まれた。 「う……やだ……」 「お前なら絶対に気づく。俺は確信してた」 「……もう離して……」 「阿羅々木にわからせたかったんだよ、式部は絶対にお前のモンにはならねぇって」 「……勝手すぎる……」 「たとえ目隠しされても。巧みに(かた)っても。俺以外には拒否反応見せるってな」 「……」 「俺とお前の仲を見せつけたかったんだよ」 「歪んでる……ついていけない……」 「それならどこまでも引き摺ってやる」 式部は、咲き誇る薔薇が描かれた陶器のドアノブが特徴的な扉を天蓋のレース越しに悔し紛れに睨んだ。 「隹川じゃないって、どうして気づいたか、わかるか?」 肉食獣の如く懐に生餌を仕舞い込んで愉悦していた隹川はふと小首を傾けた。 「阿羅々木は優しかったんだ」 「……」 「優しくて、思いやりがあって、親切だったんだ」 「…………」 しばしベッドに流れた沈黙。 広間では何やら歓声が上がり、冷めやらぬ熱狂が最も離れた角部屋にまで伝わってきた。 「俺だって優しくできる」 不意に式部の鼓膜に滴り落ちた囁き。 「お前にだけ(かしず)いてやる」 扉を凝視していた式部の双眸が俄かに揺らいだ。 眉根を寄せ、ニットワンピの袖をきゅっと握って、口元を覆った。 また髪を梳かれた。 肌身にじんわりと浸透する心地よさ。 触れる場所から爪の先、心臓まで溶け落ちていくような。 「お前の言うことなら何だって叶えてやる」 寝物語を聞かせるトーンで続けられる艶やか低音ボイスに式部は首を竦めた。 「じゃ、じゃあ……離れてくれ」 「それは断る」 「……何でも叶えるって言ったのに、隹川のうそつき……」 「目隠し鬼のとき、お前、凄まじく可愛かったな」 「い……いきなり何の話して……?」 「弟やセラの前でつい押し倒しそうになった」 捩じ曲がった所有欲にぞっとして。 容赦のない甘過激な言葉攻めに心臓がもたなくなりそうで。 「あのベッドで……」 冷静になりたい式部は心の奥底に引っ掛かっていたことを口にする。 「前に言ってた……女の子をみんなで分け合ったりするやつ……したのか?」 「まさか」 隹川は即答した。 内心、そんなことを気にしていたのかと悦に入りながら。 「あの別荘にそーいう対象の女は連れ込んでねぇよ。ここまで連れてくるのも面倒だしな」 さらさらした癖のない髪に隹川は口づけた。 式部も気づかないくらいのエアリーなキスだった。 「なぁ、俺以外の奴に触らせるなよ、式部」 捕食者の懐で精一杯息をしている可哀想な獲物。 「俺だけを許せ」 背後から覗き込まれると切れ長な目を伏せて視線の共有を拒み、式部は、力なく呟く。 「そうなったら……繭亡が言ってた通りになりそうだ……主従関係が証明されるって……」 「そうだな」 「ッ……隹川なんか歪み過ぎて引き千切れたらいい」 「随分とひどいこと言うじゃねーか」 頑なに横向きに丸まっていた式部はチラリと隹川を見た。 隹川は惜しみなく式部を見つめて告げた。 「俺はお前の奴隷だ、式部」 自分の身の丈に合わない奴隷宣言に初心な中学生男子はただただ戸惑うしかなかった。 オモチャの奴隷? そんな滑稽なことない。 奴隷なんかほしくない。 僕はただ……。 「俺のこと大嫌いって言ったな」 「え」 「もう二度と会いたくねぇ? 顔も見たくねぇくらいに?」 「あ」 「案外、お前に嫌われるのも悪くねぇかもな」 どうして? なんでそんなこと言うの? 前に、肝に銘じてろって言ったのに? 「それだけお前の感情を俺が動かしてるってことだろ」 違う、隹川……。 そこまで君のこと歪ませるつもりじゃなかった……。 ただ好きになってほしいだけなのに。

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