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「好きだ」 式部は目を見開かせた。 「何だ、その反応」 動じている横顔を目の当たりにした隹川はすぐ背後で失笑する。 「今まで行動で散々示してきただろーが」 『こんな斬新なオモチャ、そうすぐには飽きねぇって』 『なぁ、どこまでえろいんだよお前は、なぁ、式部?』 『とっとと受精しろ。孕むまで離さねぇぞ』 「わ、わからない……ひどいことばかり言われて、ひどいことばかりされてきたから……」 凍てつく夜。 冷えた薄闇の中で鋭い眼を炯々と煌めかせて隹川はあっけらかんと言う。 「愛情表現に決まってんだろ」 動揺しまくっている式部を後ろから飽き足りずに抱きしめた。 腕枕してやるように小さな頭の下に片腕を差し入れ、背中に寄り添い、自分の両腕による緩い檻の中に仕舞い込んだ。 「毎日いつだってお前のことだけ求めてる」 ……駄目だ。 ……今、隹川と目を合わせたら駄目だ。 ……きっと心臓が爆発する。 「毎日食っても飽きねぇ」 「え?」 「毎秒食ってたい」 「……隹川、前世はライオンなのか? それとも来世にそうなる予定なのか?」 隹川は笑った。 指通りのいい髪に頬擦りして「そうだな。前世か来世か、そうかもしれねぇな」と愉しげに囁いた。 「まぁどっちにしろお前は俺のおやつだ」 式部も笑った。 自分を捕らえる腕に両手を添えて「うん。ライオンの隹川になら本当に食べられそうだ」と悪趣味な冗談に珍しく同調した。 「いつだって、どこにいようと、俺のモンだ」 次第に狭められていった両腕の輪。 さっきみたいな強烈なバックハグではなく、貴い温もりをひたすら共有するような抱擁だった。 「誰にも分けねぇ。独り占めにする」 「はんぶんこにしたりしない?」 「誰がするか。言っただろ、丸ごと俺のだって。丸呑みにするのもいいし、一口ずつ味わうのもいいな。涙の一滴まで取りこぼさねぇ。爪の一片だって。土にすら還さねぇで咀嚼して俺の血肉にしてやる」 耳元で奏でられる物騒で残酷な告白。 どこまでも不謹慎なのに身も心も熱せられる。 「俺が朽ちたら二人で一緒に土になる。そしたらまた二人一緒に生まれ変わらせてやる」 「すごい。さすが百獣の王様だ」 「死んでも生まれ変わっても、ずっと俺のそばにいるんだよ、お前は」 あれだけ騒がしかった広間の熱狂がいつの間にか止んでいた。 繊細なレースに(くる)まれたベッド。 世界に二人きりでいるような幻想に溺れた。 「……お前、どんな風に成長していくんだろうな」 前世や来世だとか、生まれ変わりだとか、絵空事じみていた話が急に現実味を帯びて儚い幻想はぐらりと揺らぐ。 「まだ中二だもんな。これから身長だって伸びてもっとでかくなんだろ? イマイチ想像つかねぇな」 今度は顎で頭頂部をコツコツ小突かれて式部は俄かに眉根を寄せた。 「隹川は……ちっちゃいままの僕がいいのか……?」 コツコツされていたところを片手で押さえ、これ以上コツコツされないようにして、おずおずと問いかけてみたら。 「いーや?」 式部は……仰向けにごろんと引っ繰り返された。 すかさず真上に覆い被さってきた隹川に両手の自由を奪われ、指に指が執念深く絡まってきて、それだけで自分の何もかもが明け渡されたような気がした。 「成長した式部のことも抱いてみてぇ」 骨の髄まで爛れていることを明かした言葉に式部は絶句する。 目と目が合って。 視線まで濃密に絡まって。 正面が重なり合って。 心音まで一つになったような。 自身を束縛してやまない式部に見惚れながら、隹川は、果実をもぐようにその唇にキスをした。 密に触れ合わせて、戯れて、蕩かせて。 優しく貪る音色を真夜中の静けさに際立たせた。 「なぁ……今、何してほしい、御主人様……?」 切れ長な双眸を満遍なくしっとり潤ませ、申し分なく発熱させたところで、息継ぎの合間に問いかけてみた。 「っ……ご主人さま、じゃ、な……んぷ……っ」 「ン……お前の命令なら、どんなスケべなことでもきいてやるよ……?」 「いやだ……僕はスケべじゃなっ……ん、ん、ん……っ」 肩甲骨の盛り上がる背を羽布団から覗かせ、幾度となく角度を変えては深く口づけてくる隹川に式部は喉を波打たせた。 時に強く握り締められる掌。 たったそれだけで。 簡単に満たされてしまいそうになる。 「なぁ、俺がほしいだろ、式部」 今日、たくさん泣いた式部は、また隹川に泣かされて涙の満ちる目で彼を見つめた。 「…………添い寝…………」 まさかの命令(オーダー)に隹川は思い切り拍子抜けした。 「添い寝って、てめぇは幼児か」 たとえ広間で過激な夜更かしが現在進行形で行われていようと、人様の別荘で粗相に至るなんてとんでもないと、式部は礼節を重んじただけだった。 「その辺の中二より性欲退化してんじゃねぇのか?」 それなのに隹川に真っ向からバカにされてさすがに腹が立った。 「言うこときかない奴隷なんかいらないッ」 うっかり隹川を奴隷だと認めた発言をかました。 かまされた隹川は、腹の底からやたらと長い息をつくと「なんてワガママな御主人様」と(おど)ける風に愚痴をこぼした。 音もなくさざめいたレースの天蓋。 「お前程度の奴、前後不覚にできねぇなんて、まだまだ経験不足だな」 ベッドに仰向けになった隹川は式部の肩に腕を回し、ぐっと抱き寄せた。 腕枕というより胸枕だ。 密着度が増した状態で、ずれていた羽布団をかけ直し、また大袈裟な深呼吸を反芻した。 「経験って……そういうことの……か?」 しかめっ面になった式部は上目遣いに遠慮がちに隹川を睨んだ。 「もう誰とも経験しないで」 「承知いたしました、御主人様」 「嫌だ、それ」 「おぼっちゃま」 「もっと嫌だ」 まだ憮然とした表情を浮かべながらも式部は隹川に身を預けた。 浅く上下する胸に頬をくっつけ、かけがえのない鼓動に耳を傾けていたら、眉間の縦皺はいつしか消えていった。 「僕は隹川の恋人……?」 華奢な肩を抱いて揺り籠代わりになっていた隹川は答える。 「オモチャな恋人だ」 「……隹川なんか大嫌いだ……」 ボソリと呟かれた憎まれ口に不遜な唇を愉しげに歪めて。 「俺はお前の恋人だ」 愛しい迷子の額にキスした。 「……ほんと……?」 ずっとほしかった言葉。 式部は小さなこどもみたいな笑顔を浮かべた。 「ああ。もう迷うんじゃねぇぞ、式部」 「隹川が横暴で傲慢で破天荒なせいで迷ったんだ」 「うるせぇ」 「うるさい」 言い返してきた式部に隹川は短く声を立てて笑うと目を閉じた。 あたたかな夜。 待ち望んでいた居場所で式部も目を瞑って二人は一緒に眠った。

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