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「あーもう、和久井(わくい)さ、そんな短気だから社員に怒られるんだって」 「一回、腹パンしてみたかったのー」 「あのなー」 「失神するかと思ったけど、むりだったか」 「失神されたら運ばなきゃじゃん、そんなんめんどいし」 式部は壁伝いに静かに崩れ落ちていった。 不安定な階段の途中で蹲る。 不慣れな痛みや息苦しさに切れ長な目は(たちま)ち涙で濡れた。 「式部くん、立てる?」 「……ごほッ……」 「あーもう、吐いたらどーすんだよ、和久井が掃除しろよな」 「イヤです」 咳き込む式部を三人目の大学生が立ち上がらせ、歩行を補佐し、一行は階段を上りきった。 劣化して錆びたスチールドアの前で早坂が合鍵を取り出し、開錠して開け放つ。 塗装のひび割れが何ヶ所か目立つ腰壁にぐるりと囲まれた屋上。 特に整備されているわけでもなく、片隅に室外機が雑然と並び、土埃の溜まったほぼ中央には雨曝しのベンチが二台置かれていた。 空き缶の詰まったゴミ袋が角に纏めて複数放置されている。 適度な広さで見晴らしはよかった。 暮れ始めた空。 ビル群の彼方で揺蕩(たゆた)う雲は薄桃色に染まり、濃密になりゆく水色との対比が優しい、瑞々しい夕方だった。 「おつかれー」 ディスカウントショップで酒を買い込んできた運転手が複数の友人を連れて屋上へやってきた。 「なーなー、マジであのクソ生意気DKくんボコらせてくれんの?」 「逆にボコられたりしない?」 新たにやってきたサークル仲間に対し、受け取った缶ビールを早速開けながら早坂は自信ありげに答えた。 「こっちは人質確保してるから大丈夫」 屋上の隅っこで項垂れていた式部を指差す。 「どーかねー。なかなか破天荒な俺様タイプだし、見捨てる可能性大じゃ?」 「それはない。隹川くん、あのオトモダチに相当夢中ですから」 相変わらず意味もなく笑い合う大学生ら。 就職活動の息抜きとしてストレス発散に興じる気満々のようだ。 「……はぁ……」 ケンカの経験ゼロ、非力な和久井の拳による痛みは幸いにも引きつつあったが。 まだ吐き気がしている式部は殴られた場所をそっと撫で、慎重に長く息を吐き出した。 隹川がボコボコにされるわけ、ない。 誰かに膝を折るわけがない。 僕のことなんか見捨てていい。 わざわざここへ来なくていい。 君を貶めるための人質になんかなりたくない……。

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