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繭亡は、特に動揺するでもなく平然としている隹川から視線を逸らした。
「そういえば夕食に呼ばれていたんだった。今から家に顔を出してくる」
「へぇ。セラが喜ぶだろうな」
「もしかしたら泊まってくるかもしれない」
「了解」
「阿羅々木。お前も一緒に来るといい」
いきなり食事にお呼ばれした阿羅々木は一も二もなく応ずる。
「ああ、わかった、繭亡」
「あ、マフラー……」
式部が慌ててマフラーを外すと、阿羅々木は極端に屈んで「かけてくれ」とお願いした。
不慣れな手つきでぐるぐる巻かれると、あたたかなカシミヤ素材の内側でほんの少しだけ笑い、小さな頭を撫でた。
「ありがとう、式部、さよなら」
式部はまじまじと阿羅々木を見上げる。
そんな式部に向けて繭亡は言い放った。
「俺の部屋でセックスするんじゃないぞ」
まっかになって絶句した式部に銀朱色の唇を愉しげに吊り上げ、繭亡は、阿羅々木を連れて部屋を出て行った。
時刻は夜の八時前。
低層型のデザイナーズマンション周辺は心地のいい静寂に保たれていた。
「隹川、ここに泊まっていくのか?」
「さぁ。まだ決めてねぇ」
「泊まっていかないのなら鍵はどうするんだ」
「合鍵を持ってる」
「……そうなんだ」
「お前にやろうか」
「いらない!」
ミリタリージャケットを早々と脱いでいた隹川はオープンキッチンへ、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを二本取ってくるとソファに座った。
「二本もいいのか? 一本をはんぶんこーー」
「ケチくせぇこと言うな」
手を洗ってきた式部は隹川の隣にちょこんと腰かけた。
ミネラルウォーターを受け取って一口飲む。
「ふぅ……」
「気分、どうだ。吐き気や頭痛はねーのか?」
「今は大丈夫だ」
「お前にアルコールはまだまだまだまだ早すぎる」
「隹川だって、ハロウィンのとき、僕に飲ませようとした」
「結局飲ませてねぇだろーが」
「それは阿羅々木が止めてくれたからだ」
阿羅々木は。
どうしてあんな言い方をしたんだろう。
さよならって、何だかもう、ずっと会えないみたいじゃーー
「他に何もされなかったか」
ウォールナットのウッドフレーム、贅沢な座り心地の本革ソファに遠慮がちだった式部は切れ長な目を見張らせた。
「あの屋上に連れていかれるまで。俺が来るまで。奴等は手を出してこなかったか?」
大きな掌に片頬を包み込まれる。
あたたかくて、ほっとして、式部は正直に伝えた。
「ここを……殴られた」
ダッフルコート越しに殴られた鳩尾をぎこちなくなぞる。
すると。
「……誰にだ」
急激に変わった声のトーン。
殺意が一気にぶり返し、露骨に目が据わった隹川に式部はぎょっとした。
「もう大丈夫っ、今は平気だっ」
「誰に殴られた、あの和久井って野郎か」
「ッ……」
「あの屑……次に見かけたら……いや、まだ屋上に転がってるかも……だな」
憤怒のオーラを立ち上らせて瞬く間に殺気立った隹川は虚空を睨みつけた。
「今から戻って殺ーー」
式部は咄嗟に隹川の口を両手で塞いだ。
「だめだ!!」
手離したペットボトルが木目調の床に転がる。
よく冷えた水がとくとくと溢れ出した。
「隹川、そんなこと言わないで、お願いだから自分から身を滅ぼすようなことしないでくれ」
小さな両手で口元を覆われた隹川は瞬きした。
真剣に自分を諌め、潤んだ瞳で見つめてくる式部に怒気がみるみる薄れていく。
不届き者に対する敵意を腹底に多少燻らせつつも、一先ず落ち着きを取り戻した。
「……」
「ッ、わ!? な、舐めちゃだめだ!」
「だめだめばっかだな、おかたい式部くんは」
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