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「ああっ、水が零れてっ……下の部屋に水漏れしちゃう……」 「これくらいで水漏れするかよ。適当に拭いとけ」 そう言いつつ、立ち上がった隹川は洗面所からタオルを取ってくると、自分で雑に床を拭いた。 「僕が拭くっ……これ、バスタオルだ……雑巾はないのか?」 「ねぇ」 そのまま濡れた場所にタオルを放置する。 「えっ」 床に座り込んで階下への水漏れを心配している式部を、猫を拾うように、ひょいっと抱き上げた。 「すっ、隹川っ?」 ソファに寝かされて式部は焦る。 ダッフルコートのトグルボタンを外そうとしてきた両手をあたふた握って止めれば、隹川にズバッと命じられた。 「殴られたところ見せろ」 「ええ……」 繭亡の忠告が脳裏を掠めた。 果たして肉食隹川が純粋に打ち身の確認だけで終わるのだろうかと、ついつい疑ってしまう……。 「僕はいいっ……隹川はっ? タクシーではちゃんと見れなかったけど、お腹とか、体は大丈夫なのかっ?」 式部は隹川の体調を心底案じて尋ねた。 「病院に行かなくて本当によかったの……?」 ソファの上で式部に覆い被さっていた隹川はため息をつく。 「俺の方こそ平気だ」 「ほんとに……?」 「覚悟してたしな」 式部を盾にして相手が報復してくる。 それは想像に容易かった。 向こうがナイフを所持しているとわかったとき、繭亡からは本気じゃない、軽傷を負わせる程度だろうと示唆された。 確かに力づくで奪い返す手もあった。 しかし、たとえ深手を与えるつもりはなくとも、その身に掠り傷一つだって負ってほしくなくて。 隹川は腹を決めた。 殴られ、蹴られ、土下座を欲求されようと、相手が満足するまで屈する気でいた。 和久井が式部を床に叩きつけなければ早坂の靴に奉仕するつもりだった。 「お前を無傷で取り戻せるんなら俺はどうなったってよかった」 「……」 「だからお前があれこれ心配する必要ねぇ」 隹川の視線の先で切れ長な双眸がブルリと震えた。 睫毛を湿らせて見る間に濡れそぼったかと思えば。 感情が爆ぜ、涙が氾濫して、こめかみへと溢れた。 「おい、式部」 「っ……っ……」 「泣くなよ」 隹川の切なる思いを受け取って、式部は、今日やっと泣いた。

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