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「もっと水飲めよ」
「う、う、う」
「同時に泣いてたら水分補給できねぇぞ」
「そ、そんなわけ……ぅぅ……」
水を飲むよう促し、涙しながら一生懸命ペットボトルを傾ける式部を見、隹川は吹き出した。
「ッ……ひどいぞ、笑うなんて」
「飲んだ水をすぐに目から出すオモチャみてぇ」
「どーいうオモチャだっ」
ゆとりある二人掛けソファの上で体育座りになった式部は涙ながらに隹川を睨んだ。
関節照明が灯された薄明るいワンルーム。
加湿器の規則的な振動音がしていた。
「明日も学校か?」
「明日は土曜日で休みだ」
ソファの端に落ち着いた隹川は、暖房の効いた部屋でダッフルコートをずっと着ている式部を誘う。
「休みならお前も泊まっていけよ」
今度は零さないよう、キャップをしめてサイドテーブルにペットボトルを置き、式部はポツリと呟いた。
「天敵の巣にいるみたいで落ち着かない」
隹川はまた笑った。
立てた膝に顔を埋めた式部は、兄を溺愛する弟によって染められた流行色カラーの髪を、見慣れたピアスを、その横顔をチラリと見た。
「……そこなら安心するかもしれない……」
隹川は二度目の呟きをかろうじて聞き取ることができた。
体育座りをやめた式部は二人の隙間をなくした。
俯きがちに恋人の肩におずおずともたれかかった。
「俺とくっついてたら安心するわけか」
「……」
慣れない行為に赤面している式部は返答しない。
隹川は、より密着するよう、ダッフルコート越しに細く頼りない肩を抱いた。
「体、本当に大丈夫か」
「それはこっちの台詞だ」
「お前は俺と違って華奢だろ。ほら。こんなに脆そうじゃねーか」
小さな頭に顔をくっつける。
さらさらした髪質の感触を頬で楽しんだ。
「お前から甘えてくるなんて貴重だな」
「甘えてなんかいない」
「へぇ?」
声の振動が肌伝いに伝わってきて式部は目を瞑った。
安心するし、気持ちがいい。
今日一日、抱え込んだ不安や恐怖が溶けて消えていくようだった。
「なぁ、式部」
隹川は癖のない髪に鼻先を沈めて問いかけた。
「俺が海外に行ってお前は淋しくねぇのかよ」
高校を卒業した後、隹川はイギリスに留学する。
すでに本人から教えてもらっていた式部は「淋しくない」と即答した。
「お前な。薄情者め」
教えたとき、ショックを受けるかと思いきやケロリとしていた年下の恋人。
淡泊な反応に不満を抱いていた隹川は今回も不服そうに罵った。
「だって、お母さんと同じ学芸員を目指して、海外の大学で美術史を学ぶなんて、すごいことだと思う」
「まずは腕試しがてらファウンデーションコースで約一年、基礎のお勉強だけどな」
「精一杯応援する」
「お前も来いよ」
「僕は用事がないから行かない」
「用事くらいつくれ」
「無茶言わないでくれ」
隹川には好きなように生きてほしい。
絶対、君の枷になんかなりたくない。
「一回でも浮気したら、相手、半殺しにするからな」
式部はしかめっ面と化した。
もぞりと顔を上げると隹川の頬をつねった。
「……隹川のほっぺた、つねりづらい、肉がついてない」
飲酒やタバコの経験が豊富な割に綺麗な肌をしている隹川の、薄い肉付きの頬を苦心してつねっていたら、いつになく優しく抱きしめられた。
「俺が怖くないか?」
迷いなく外敵にナイフを振るおうとした男子高校生は、独り占めしたくて堪らない男子中学生を両腕の檻に閉じ込めてみる。
一生の住処にしたくなる懐で式部は答えた。
「怖くない」
体を気遣って抱きついてこようとはせず、腕の中で丸くなった恋人に隹川は笑いかける。
「いつだって、どこにいようと、俺はお前のモンだからな」
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