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「……初めてバイトをしたんだ」 肌に馴染むレザーの感触を楽しんでいた隹川は式部をまじまじと見つめた。 「何のバイトだ? コンビニか?」 「違う。セラに紹介してもらった」 「は? セラに? アイツまだ懲りずにお前に色目使ってるのか?」 「使ってない!!」 セラが紹介してくれたのは知人が営むパン屋の販売アルバイトだった。 九月から今月上旬まで、土日祝日のシフトに入れてもらい、朝早くから品出しやレジ打ちにせっせと励んでいた。 「よく天然酵母のクッキーをもらった。あと残ったパンも。とてもおいしかった」 「バイトって、お前、初めてだよな?」 「うん。親切な人ばかりで、丁寧に教えてくれて、とてもいい経験になったんだ。時々セラも来てくれたし、あと繭亡も」 「へぇ。クレーム言われなかったか。接客態度が胸糞悪いとか」 以前、面と向かって罵倒されたことがある式部は思わず笑った。 「さすがに言われてない。来たときはコーヒーとサンドイッチを買っていってくれた」 「そうか」 「お小遣いじゃなくて、自分で働いて、お給料をもらって、隹川へのプレゼントを買いたかったんだ」 「お前また綺麗になったな」 伏せられた睫毛に翳っていた切れ長な双眸が忙しげに(しばた)いた。 「会う度に綺麗になってく」 「隹川……」 「今すぐ、もう抱きたい、式部」 すぐ目の前に迫った鋭い眼。 式部は金縛りにでも遭ったみたいに硬直する。 すでにサングラスを外していた隹川は、数センチの距離越しに手に取るように伝わってきた恋人の緊張感に愉悦すると、笑んだ唇のまま……頬にキスした。 「うまそうなリンゴ」 「っ……そ、そんなに赤いのか、僕の顔……」 「かぶりつきたくなる」 そう言って、本当に甘噛みしてきた隹川に式部は目を白黒させた。 「人のほっぺたを噛むなっ」 「甘い」 「そんなわけ……」 「どっちの方が甘いんだ?」 左右の頬を順番にガブガブされ、つい、声を立てて笑う。 「それ、くすぐったい……っ……隹川……」 ついでに鼻先やこめかにも小刻みにキスをした隹川は、小さく身を捩じらせる式部を覗き込んだ。 至近距離で繋がった視線。 言葉を忘れて見つめ合っていたら、瞼が自然と落下していき、式部は目を瞑る。 大人しくなった唇に隹川は口づけた。

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