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第2話

  渡米して早や3ヶ月が経った。   今でこそ、やっとこちらでの生活にも慣れ、   いっぱしのニューヨーカーを気取っているが、   初めの頃は散々だった……。   この3ヶ月間で空き巣被害は2回 ――、   ひったくり被害には3回遭い、   つい先日は路地裏に引きずり込まれ   レイプされそうになった。   さほど信心深い方じゃない俺もさすがに焦って   ”こりゃマジ、厄払いしていおいた方がいいか?”   と、考え始めている今日この頃。  ***  ***  ***   アパートへ帰宅途中の道 ――   けたたましいサイレンを鳴らして消防車が   何台も自分を追い越して行った 「やだ~火事ぃ? こんな夜中にかわいそ~  でもどこだろう? なんか近そうだけど……  フフフ~ン」   俺ってば久々に、足元がおぼつかなくなるくらい   酔っ払って、何だか気分はナチュラルハイで、   ご機嫌に鼻歌なんか口ずさんじゃってる……   夜道をフラフラご機嫌に鼻歌歌いながら歩く俺を、   すれ違ってく人達は何かヤバイものを見る様な   目つきで見ていく 「別にいいも~ん!!」   開き直って大通りから路地へ入る   あと少しで築数十年のおんぼろアパートが   見えてくるはず   この時間じゃポチはもう寝ちゃってるかなー?   足音で人が判別出来るのか?   3週間程前から野良犬が住みついていて、   俺がいつもアパートの前に来ると、   駆け寄ってきて出迎えてくれるのだ   でももう夜中の12時…… 「今日は出迎えなしかぁ……」   そう諦めて角を曲がった時、   視界に飛び込んで来た光景に一瞬足が止まった 「え ―― っ。ちょっと待って……何これ、  どうなってるの!?」   道路にさっき俺を追い越して行った消防車が   数台止まっている   その回りには野次馬の皆さんもゾロゾロと   集まって……   そして俺の目が釘付けになっているのは、   消防車のホースが向けられている先 「う、そ……」   消防車のホースの先からは大量の水が吹き出し、   それは俺のアパートめがけて勢いよくかけられて   いる   見慣れたアパートの3階の端の部屋からは   凄い勢いで炎が燃え上がり、   バキバキと音を立ててあっという間に   アパートの全室へと広がっていく   俺は少し離れたとこからその光景を   ただ見つめているしか出来ない   動きたくても足がすくんで一歩も   前に踏み出せないのだ  ***  ***  ***     炎と黒煙を倫太朗はただ見つめていた。   ものが焼けるひどい臭いが充満している。   熱気を頬に感じた。 「おい、危ないぞ下がれ!」   誰かに怒鳴られ、腕をつかまれて野次馬に呑まれる   それでも倫太朗は立ち尽くしたまま、   目を逸らさない。   逸らせない。   せまいけれど案外快適だった自分の部屋の   窓ガラスが割れ、炎が噴き出す。   消防車が来て消火活動を始める頃にはアパート中が   火の海になっていた。   周りの声が倫太朗の耳に入る。 (……火元は、空き部屋らしいよ) (じゃ、放火?) (ケガ人、とかはいるのかな?) (でも半焼じゃなくて良かったよ……全焼なら保険、  全額下りるから) (みんな逃げてケガした人いないらしいよ) (不幸中の幸い、ってやつだな……)   ワンフロアーには6戸ある7階建てのアパートで、   倫太朗が暮らしていたのは2階の表通りに面した   角部屋だった   火元の真上で、外から見る限り、   何もかも燃えてしまった。   炎が見えなくなっても、残り火を完全に消すため   消防車は放水を止めず、黒く焦げた建物は次に   水浸しになった。   燃え残ったものがあったとしても、   到底使い物にはならないだろう。   倫太朗は群集から離れ、ふらふらと歩き出した。   近くの大通りに出ると花壇のレンガにしゃがみこむ   何も考えられない。   何もかもが無くなってしまった。   寝床も、服もベッドも、少しあったへそくりも。   あの部屋にあった物だけが今の倫太朗の全てだった。   (……どうしよう、これから……)     うなだれる倫太朗の目の前を野次馬が火事を見ようと   足早に通り過ぎる。   (もう火、消えてるのにな)   他人事のように思う倫太朗に、すっと影がかかる。   誰かが前に立ち止まったのだ。 「……あのアパートに住んでたのか?」   頭の上から男の声が降ってくる。     いきなり日本語で話しかけられ、   倫太朗は誰だったろう? と、訝しんだが、   どうでも良くなり、ロクに顔も見ず投げやりに   答えた。 「まぁね……火、消えたみたいだけど興味あるんなら  見てくれば」 「消えたのは知ってる。見てたから」 「……あんた、なに?」   倫太朗はやっと男を見上げた。   背は高かい。180センチ以上はある。   ガタイもかなりイイ。   倫太朗は155センチあるかないかなので   並んでは歩きたくない相手だった。   キースヘリングのTシャツに、   ヴィンテージ風のジーンズが長い足に   良く似合っている。   一重なのにわりと大きく見える目、薄い唇。   えらも頬も張っておらず、   その代わり鼻は高く通っていた。   眉が目尻に向かって上がっているのが   凛々しさを与えている。   倫太朗の品定めするかのような視線も   平然と受け止め男は倫太朗の隣に座った。 「さっき、火事のところで腕つかんだの  覚えてないか?」 「……あぁ。下がれって」 「そう、それ」 「俺に何か用?」   倫太朗は男をじっと見つめる。   彼が微かに赤くなるのが判った。 「あ、ごめ~ん。そんなぞんざいな言い方はないね。  凄い煙で運が悪けりゃ死ぬとこだった。ありがと」 「少しでも煙吸ったんなら医者行った方がいい」 「体は全然へーき。でも懐の方がねぇ……」   街角に立っている大きなデジタル時計は   午前零時半を指していた。   倫太朗はジーンズの後ろポケットから財布を出して   中身を調べる。   かんばしくなく、眉根を寄せた。 「……やっぱホットドッグにでもすりゃ  よかったかな……」   ぶつぶつ言いながら、財布をしまう。   世間一般的に ”医者”は   不況に強く・高収入でリッチマン、   というイメージがある。   でも、それはほんのひと握りの恵まれた環境に   いる医者達だけだ、と、倫太朗は考える。   自分の身の上をひがむワケじゃないが、   大吾のようにある程度実績がある医師なら   ともかく、倫太朗のようにやっと法定研修期間が   明けたばかりの新米ドクターでは、何から何まで   物価高の世の中じゃ1日1日をかろうじて   生きていくだけが精一杯なんだ。  

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