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第12話

 ハルキはケイの目をかいくぐり、駅前のホテルに向かっていた。 かろうじて常連客と言えるマトバに呼び出されたのだ。彼はプレイの一環としてハルキを弄んでいるだけで、そこから逸脱することはしない。自分はマゾを楽しませるために存在しているのだと、くだらないことを言っていた。傷を負わないのならケイも何も言わないだろう。そう思ってから、そんな風にケイの顔色を窺っている自分に舌打ちした。 いつ見ても立派な高級ホテル。エントランスには、今からパーティーでもあるのか、着飾った女や男が出入りしていた。 こんなところにハルキを呼び出す事自体が嫌がらせだ。  ハルキはこのホテルに見合う服など持っていない。訝し気な周りの視線を無視して、フロントを通り過ぎた。  インターホンを鳴らすと、ネクタイに手をかけて、首元を緩めているマトバが出迎えた。  細い垂れ目で笑っているように見えるが、これが彼の素の表情だ。サラリーマンは清潔感が命だと嘯くマトバは、いつもきっちりと身なりを整えている。ハルキより頭半分ぐらい高い身長で見下ろし、にやけた。 「いやあ、久しぶりだなあ。元気そうでなによりだ」  適当な事を言って、ハルキを部屋の奥へと通す。ネクタイを取ってしまうと、上着をかけた椅子の上へと放り投げた。 「あ、今日はセックスはしないからね」 「なんで?」  怪訝そうなハルキの言葉に、マトバはまたにやついて続けた。 「明日娘の運動会なんだよ。体力温存しとかないとね」 「馬鹿じゃねえの。ならこんなところに俺を呼んでないで、さっさと家に帰れよ」 「あらら、冷たいね。いいからさっさと服脱いで」  目元が陰って、冷ややかな声。もう慣れたが、マトバはオンオフがはっきりしている。  ハルキはシャツを脱ぐと、マトバに促されベッドに腰を下ろした。マトバもベッドに腰掛け、ハルキの背中を自分の方へ向ける。傷跡をひんやりとした手でなぞって、ハルキの体が震えるのを笑った。 「傷あんまり増えてないね。どうしたの?」  ハルキはケイを思い出し、苛立ちながら、自分が殺されないように監視している奴が部屋に入り浸っていると説明した。 「ふうん」  さして興味もなさそうに、傷跡に舌を這わせる。先日つけられた切り傷をなぞって、口づけた。 「相変わらず綺麗だねえ。肌が白いから赤が映えちゃって。目の保養になるよ」  何度も何度も、もう治っている引きつれた傷を丁寧になぞりながら舐め上げている。  ハルキはくすぐったさに身をよじる。  ぐいと肩を掴まれ、体を押さえつけられた。 「それで? その危なそうな奴とラブラブなわけ?」  危なそうなどと、マトバには言われたくないであろう。彼は自分の言葉におかしそうに笑った。 「……そんなんじゃねえよ」  ハルキがため息をつくように漏らす。ケイの態度を思い出し、心が強張る。  ケイには冷たく強固な壁があって、そこから先には入れてもらえない。ケイからはあっさり壁を突き破ってくるのに。  俺の壁は薄く柔らかい。  マトバはそれを聞きながら、真新しい傷に噛みついた。 「焼けちゃうねえ。のろけてるの? 君は本当に優しさに弱いね」  カッとなって振り向こうとすると、そっと首に手をかけられた。  びくりと体が揺れる。下腹部に熱が集まり、ハルキは息を吐きだした。 「なになに。期待で反応しちゃった? まだ力入れてないよ」  言いながら、少しずつ首を絞める力を強めていく。頸動脈を押さえられ、息が苦しくなった。  ふるふると震えるハルキの耳元で薄く笑う。 「ねえ、君ってほんとに死にたいの? そんなことないよね。死んでもいいって思ってるだけでしょ? じゃなかったら、さっさと自殺してるよね?」  ぐ、と息を詰めて、抗議の声を出そうとするが、首を掴まれているせいで、喘ぐような吐息がもれただけだった。 「ほらほら、気持ちよくなっちゃってる」  喉を鳴らし軽く笑うと、すっと首から手を離した。 「今日はここまでね。興奮したまま、服着て帰るんだよ。ってあれ、もう萎えたの?」  ため息が首筋にかかり、ハルキは体をよじった。 「しょうがないな。こっち向いて」  ハルキの体を強く掴んで、対面させる。ベッドサイドからタバコを掴み、ゆっくりと吸い始めた。 「同棲してる彼氏君に申し訳ないから、痕が残るような事はしないでおこうと思ったんだけどねえ」 「ちが……っ」  顔を真っ赤にしてマトバに抗議の視線を向ける。 「はいはい。わかったわかった。じっとしてろ」  肩を押さえられ、動けなくなる。灰皿に灰を落としているマトバは、にやけていた。  鎖骨の下あたりにタバコを押し付けられ、ぎっと声が漏れる。熱に耐え目を閉じると、股間を掴まれた。 「いいねいいね。そうこなくちゃ」  軽く擦られ、マトバの肩に頭を落として、息を吐いた。 「はい。もう一回」  今度は首筋に熱を押し付けられ、体に力が入った。痛みに歪む顔を見て面白そうに笑いながら、ハルキを焼いていたタバコを口元にもっていった。 「はは。これじゃばれちゃうねえ。お仕置きしてもらってね」  股間は張り詰め、無意識のうちにマトバの手に押し付けようとする。しかし、ひらりと手を離されて、熱だけが残った。 「言ったでしょ。今日はこのまま、恥ずかしいまま帰るの」  すがるようなハルキの目を見て、マトバは大きく声を出して笑った。 「火傷が疼いてる間は萎えないかな? 頑張ってね」  脱いだシャツを手渡され、服を着たハルキを部屋の外に押し出した。 「また会おうね。君かわいいから、もっといじめたくなっちゃうよ」  言いながら、にやにやしたままドアを閉めた。ガチャリと鍵がかかる。  トイレへ急ごうとしたハルキの背に、もう一度扉を開いたマトバの声が聞こえた。 「出しちゃだめだよー。ちゃんとそのまま家に帰ってね」  ハルキは額を手で押さえ、その場にうずくまった。

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