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マグカップと、パジャマに、歯ブラシと、その他の生活雑貨を買ってマンションに戻った。
三日前も思ったけれど、無駄に広いあのフロントはどうにかならないのだろうか。エレベーターまでほぼ一本道なら、あそこまで広くとらなくても、と思うけれどとりあえずは覚えやすいからいいかと口をつぐんだ。部屋に戻ってすぐにうきうきと今にも歌でも口ずさみそうな芳晴さんが、雑貨屋で買ってきたおそろいのマグカップを手にキッチンに向かうのを見届けて、俺は荷物整理のためにソファに座った。
「………なんか、雑貨屋でテンション上がって忘れてたけど、」
初めてのキスを芳晴さんに奪われたんだった。とはたと思い出してうわあああと頭を掻きむしりながらうなだれた。芳晴さんは相変わらず平気そうだし、俺は恥ずかしいし、でも忘れた方がいのかもしれないと頭をブンブンと横に振る。
「朔?どうしたの、挙動不審」
「あ、いえ……? なんかいい匂い」
はい、と渡されたマグカップからは、何とも落ち着く香りがした。
「マスカットティーだよ。僕はこれが好きなの。いい匂いだし、アイスでもホットでもいける優れもの」
「芳晴さんは紅茶、好きなんですか?」
「好きだよ。でもこれが一番好きかな。ダージリンも好きなんだけど、マスカットが一番落ち着く」
俺の隣に座って、俺が足の間に挟んでいた袋を覗いた。
「なんだかんだ、結構買ったね」
「そりゃ、俺のものはこの部屋まったくないですし」
「僕、何かをおそろいで買ったのって生まれて初めてだなぁ」
ふふ、と大事そうに抱えるマグカップの柄は結構シンプルなボーダー柄。俺が灰色と淡い緑色で、芳晴さんはオレンジとピンク。俺もマグカップを抱えて、マスカットティーを一口飲んだ。
「あ、うまい」
「気に入った?」
「はい。これは初めて飲みました」
「気に入ったならよかった」
あぁ、もう本当にきれいな顔になれなくて困る。近いとどぎまぎしてしまうし、かといって遠いと目線で追ってしまうし、困ったものだ。俺はあまりきれいなものに耐性がないし、芳晴さんみたいに自分にそこまで自信もない。大学でもかっこいいとはたまに言われるけど、周りの人間が男前すぎるだけだろう。俺自身は、本当にどこにでもいる大学生だ。
「朔」
「はい?」
「朔は明日から大学に行って。ちゃんと僕の元に帰ってきてね?僕待ってるから」
「…わかってます。帰ってきますよ。ちゃんと」
自分で選んだ答えだ。ちゃんと芳晴さんが待ってるこのマンションの、この部屋に帰ってくる。
「うん。でも、既成事実はあきらめてないから」
「――――芳晴さんブレない………」
かわいく両手でマグカップを持ってる芳晴さんはめちゃくちゃ絵になるのに、言ってることは全くかわいげがない。結局そこは諦めないのかとため息を吐いた。
「僕は朔以外に興味がないから仕方ないね。言ったでしょ?どうやったら朔に好かれるのか考えてるんだよ」
でも思いつかない。そういって少しだけ困ったように眉根を下げた。
「大体その……なんでしたっけ?所有印を刻むんでしたっけ?何を刻まれるんですか俺は」
痛いことは嫌ですよ。そう言うと、芳晴さんはきょとんとした後、一拍おいてから口を開いて、すぐ閉じた。マグカップをテーブルに置くと、俺が手にしていたマグカップもテーブルに置いて、両手を掴まれる。
「――――――朔、あのね?」
「? はい」
「僕がお前に刻むのは、その、確かに所有印なんだけど、お前の人生が、変わるかもしれない事なんだよ?」
「その割にはさっき全然物怖じしてなかったじゃないですか」
「必死だったし……。朔がどっかにいかないように囲っておかないと僕だって不安だよ」
その囲いの作り方がおかしいのだと自覚してくれないだろうか、と思うけど言葉にはしないでおいた。両掌を合わせて、その上から芳晴さんの手が包むように俺の手を掴んでいる。その手をじっと見つめると「朔」と少し強めに名前を呼ばれた。
「……確かに、刻めるなら早々に僕のものにしたいし、朔がいいっていうなら今すぐにでも既成事実を作りたいけど、朔だって自分の人生でしょ?」
「――――――――――――――…芳晴さん、言ってることがめちゃくちゃじゃないですか」
ははっと笑うと、もう一度「朔」と呼ばれる。
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