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第5話
あの日以来、嫌がらせは続いた。
店に無言電話を何度も掛けてきたり、『金返せ!』と書かれた紙を店先に貼られたり……。
今日もまた、紙が貼られていた。
近所のお店や家の人たちは、遠巻きに店を見ている。
……巻き込まれたくないからだろう。
僕は紙を剥がし始めた。
お客さんはめっきり減ってしまい、商売にならない。
いっそのこと、店を畳んでしまおうか……。
そんなところまで追い詰められている。
剥がした紙が地面に落ちる。
『金返せ!ドロボー!!』
視界が霞む。
瞳に水の膜が張って、今にも溢れだしそうだ。
何で、こんな目に遭わなければいけないのだろう……。
服の袖で、目を擦り、落ちた紙を拾おうとすると、先に誰かに拾われる。
見上げると、ノンフレームの眼鏡をかけた常連さんが立っていた。
「……高村さん?」
「こんにちは」
泣き腫らした目を見られてしまい、恥ずかしくなって、僕はぱっと視線を反らした。
「す、すみません……今日はまだ店、開けてなくて……。いつもの花束とバラですよね……すぐに用意を――」
僕が店の中に入ろうとすると、高村さんは僕の腕を掴んだ。
「……高村さん?」
「今日は、花を買いに来た訳ではなく、ビジネスの話をしに来ました」
「え?」
「――社長が、あなたに会いたいそうです」
高村さんはにこりと優雅に笑った。
後ろには、相変わらず黒塗りの車が停まっている。
高村さんは、後部座席のドアを開けて、誰かに話しかけている。
「あなたが言い出したんですよ?……駄々こねてないで、出てきなさい」
何やら、高村さんは誰かに説教をしているようだ。
「私一人で話を進めてもしょうがないでしょう。大事な話なのですから、社長も来て下さい。ほら、早く!」
高村さんは一人の男性、社長?さんを引っ張り出した。
後部座席から出てきた人は、黒髪のオールバックで、高村さんと同じように仕立てのいいスーツを着ている。
かなりの長身で、180……いや190くらいあるかもしれない。ぎりぎり170の自分よりも、はるかに大きく見えた。
そして、何故かサングラスを掛けている。
今日は曇りなのに。
「中に入らせてもらってもいいですか?」
高村さんは、相変わらずニコニコしているが、高村さんに引っ張り出された社長さんは固い表情をしている。
僕が見上げると、すっと視線を外されてしまう。
「どうぞ……」
――――
店ではゆっくり話ができないため、店の奥の自宅に上がってもらう。
男三人でちゃぶ台を囲むと、何だかちゃぶ台が小さく見える。
僕はお茶を出した。
「お茶まで出してもらい、すみません」
「いえ……粗茶ですけど……」
「いただきます」
高村さんは、ずずっとお茶を飲んだ。
社長さんは、じっとお茶を見ている。
スーツを見ても分かるけど、きっと大きな会社の社長さんなのだ。
こんな安物のお茶、飲めないのかもしれない。
「あの……お口に合わないかもしれないので、残してもらっても……」
「……これは、君が淹れたのか?」
低いバリトンボイス。
あまりにいい声で、僕はびっくりした。
「……はい」
「いただく」
ずずっと一口でお茶を飲んでしまった。
「あの、それで、お話って……」
高村さんは鞄から書類を取り出した。
読むと『専属契約』と書かれている。
「今日は『フラワーショップ猫島』さんとの専属契約のお話をしに参りました」
「せんぞく、けいやく……?」
「はい。……あ、名刺を渡し忘れていましたね。どうぞ」
『獅子尾 コーポレーション社長秘書
高村 幸彦 』
「獅子尾コーポレーション……社長、秘書」
すごい肩書きに頭がついていかない。
そして、やっぱり平社員なんかじゃなかったんだと思った。
獅尾コーポレーションという会社は聞いたことがある。
確か、海外との輸出入を行って、財を成したとか……それだけじゃなくて、広告代理店とか大型スーパーのチェーン店も経営してたような……。とにかく、多角経営を行っている大きな会社というイメージだ。
「あの、そんな大きな会社の人が、どうして僕と専属契約を?」
「実は、私たちの会社で、冠婚葬祭用のセレモニーホールを経営することになり、専属の花屋さんを探していたのです。結婚式もお葬式も花が必要になります。その都度、花屋さんとの契約をしていては時間も掛かりますし、コストもまちまちになります。なので、専属契約を猫島さんと交わしたいと思い、お話をしに来ました。……そうですね?社長」
社長さんは、「ああ」と返事をする。
高村さんは、「話をするときくらい、サングラスを取ってください」と社長がしていたサングラスを取り上げた。
……まるで、お母さんと子どもだと僕は少しだけ心の中で笑った。
社長さんは、きりっとした切れ長の目で、鼻筋も通っている。
強面といえば強面だけど、……かっこいい。
僕がぽーっと見つめていると、また目線を反らされた。
……見つめすぎたかな。失礼なことしちゃったかも。
「契約金は、これくらいでどうでしょうか?」
僕はその金額を見て、びっくりした。
「一年で……1000万!?」
「少ないですか?」
「いやいやいやいや!!大金過ぎて……びっくりしてしまって……」
「良かった。お花代など必要な資金は別途お支払致しますし、通常の営業も特に制限致しません。ただし、他社のセレモニーホールの依頼は受けることはできません。個人の依頼は制限しませんが」
専属契約だもんな。
他社の依頼は受けられないけど、今まで通りお店を続けていけるのなら……良い話だと思う。
……良い話すぎて、怖いくらいだけど。
「ぜひ、俺たちの力になってほしい」
今まで黙っていた社長が、口を開き、頭を下げてきた。続けて、高村さんも頭を下げてきた。
「あ、あの!頭をあげてください……!」
こんな偉い人たちに頭を下げられるなんて、何だか居心地が悪い。
「あの、急な話で……心の準備ができなくて……1日だけ考えさせてもらえませんか……?」
「もちろん。よろしいですね?社長」
「構わない……ゆっくり考えてくれ」
優しい言葉に僕は安心した。
社長さんは強面だけど、いい人なのかもしれない。
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