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番外編:猫島佳純の休日 その4
〈獅子尾目線〉
「じゃあ、私は先に社長の部屋に行ってるので」と一時間半前、高村は俺の部屋のカードキーを持って帰った。
俺も、書類の一番最後に目を通し、判子を押した。
ふぅ……とため息をついて、時計を見ると17時半ちょうど。
よし、帰ろう。
佳純が待っててくれるかと思うと、急いで家に戻りたくなった。
……まぁ、その他もいるが。
会社を出て、自分の車に乗り、高村に連絡を入れようと携帯を見ると、着信が1件入っていた。
電話のアイコンを押すと、『猫島佳純』と表示された。
急いで電話してみる。
『あっ、望さん!お疲れ様です』
「あぁ。どうした?」
『えっと……あの……』
いい淀む佳純の後ろで、小野が後ろで何やら言っているが、よく聞こえない。
『あの、ごめんなさい……わさびを買ってきてもらえないでしょうか?』
「わさび?」
急に何を言い出すのかと思いきや……わさびなんて何に使うんだ?
今日は中華のテイクアウトのはずだが……。
『あ、わさび、お嫌いですか?』
「いや……嫌いじゃないが……」
『良かった……。あのお願いしてもいいですか?』
佳純の頼みだ。
どんなことがあっても、わさびを買って帰る。
「分かった。すぐ買って帰る」
――――
急いでわさびを買って、自宅まで車を飛ばす。
直通のエレベーターに乗り、ドアを開け、リビングに向かうと、小野がソファに座りながらテレビで映画を見ている。
そして、その隣で池村が大皿を抱えて、唐揚げや酢豚などを頬張っている
……まるで、自分の家のように。
「あっ、おかえりなさい!」
柔らかな優しい声の方を振り向くと、キッチンのカウンターから顔をだしている佳純を見つけた。
隣にはグラスを持った高村は、佳純が作っている料理を見ているようだった。
「佳純、ただいま。……何か作ってるのか?」
「はい。望さん、日本酒がお好きなんですね。たくさん日本酒があって、びっくりしました。なので、少しおつまみを作ってみようかと……」
ボールにはタコが刻まれて入れられていた。
タコとわさび。
なるほど、タコわさか。
「あの……冷蔵庫、勝手に開けてしまって、ごめんなさい……」
佳純はぺこりと頭を下げた。
冷蔵庫を見て、わさびがないことに気づいたのだろう。
まさか、こんな形で手料理を食べられるとは思っていなかった……。
「望は日本酒オタクなんで。おつまみのほうが喜びますよって、私が教えました」
片手にグラスを持った高村が笑顔で言いのけた。
高村はプライベートの時は名前で俺のことを呼ぶ。
そして、どうでもいいが、何気に俺の日本酒を開けて飲んでいる。
「佳純くんが熱燗もしてくれたんですよ」
「熱燗ってどうするのか分からなかったんですけど、ケータイで調べて……」
何なんだ。ここは飲み屋か?
佳純が女将をしてくれるなら、俺は毎日通う。
なんなら俺が出資して、俺専用の飲み屋に……
「望さん?」
「な、何だ……?」
急に上目遣いで俺を覗きこむ佳純の姿に、どきりとした。
俺が、佳純で妄想してたということもあるのだが。
「わさび……ありますか?」
「あ、あぁ……これ」
袋からわさびを取り出し、佳純と高村が固まる。
勝手に映画を見ていた小野も来て、俺が取り出したわさびを見て吹き出す。
「ぶっ……!ぶははははははは!!!わ、わさびって……まるまる一本わさび買ってきたんですか!」
「望……チューブのわさびで良かったんですよ」
「ご、ごめんなさい!!ちゃんとチューブのわさびでいいですって言わなかったから……!」
大笑いする小野、呆れる高村、自分の伝え方が悪かったのだと青くなっている佳純。
三者三様の反応だ。
そうか……チューブの物で良かったんだな。
とりあえず、大笑いしている小野にタコわさはやらん。
「どこで買ってきたんですか?そのわさび」
高村がお酒を飲みながら、聞いてくる。
俺もスーパーなんてあまり行かないから、生わさびがどこに売っているのか分からなかった。
「とりあえず、わさびと言えば寿司屋だと思って、行きつけの寿司屋に頼んで一本買い取らせてもらった。真妻 のわさびらしい」
「なるほど」と高村はまたグラスを傾ける。
「ま、真妻のわさびって、すごく高いって聞いたことあるんですけど……そんな高いものを使ってもいいんですか……?」
「構わない。佳純のために買ってきた」
「あ、ありがとうございます」
照れたように笑う佳純も可愛い。
佳純にわさびを渡し、しばらく待つ。
「できましたよー」と熱燗とタコわさを机においた。
中華のテイクアウトも皿に取り出してもらい、佳純は甲斐甲斐しく、他の奴ら(特に小野と池村)の欲しい物を取ってあげている。
構図としては兄と弟たちというより、母と息子たちだ。
「望さん、お仕事お疲れ様でした」
佳純は徳利を持って、酌をしてくれた。
何だか……これは、『旦那と嫁』の構図。
周りに気を配りながら、色々料理を皿によそう姿、俺に気を遣って、酌やら酒の準備やらしてくれているのを見ると、『良妻賢母』という言葉が頭に浮かんだ。
もともと世話焼きなのもあるのだろうが、こんな良くできた嫁がいてくれたら、俺は本当に幸せだ。
「熱燗、温度大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫。ちょうどいい」
「良かった……初めて熱燗なんて作ったから。徳利やお猪口がたくさんあってびっくりしました」
「酒好きが高じて、徳利もこだわるようになったら増えてしまった。瀬戸物市に行くのも好きなんだ。たまに掘り出し物がある」
「瀬戸物市にまで行くなんて、本当にこだわってるんですね。そういう所、行ったことないです」
「……行ってみるか?今度」
「いいんですか……?」
「構わない」
本当は一人でまわるのが好きだが、佳純なら別だ。
「じゃあ……お供させてください」
さりげなく、デートの約束を取り付けてしまった。
デートだと思っているのは俺だけだと思うが。
「あー!社長が佳純さん口説いているぅ~」
何かを嗅ぎ付けたように小野が俺達の間に割って入る。
「口説いてない」
「佳純さん、俺にもお酌してよー」
小野が甘えたように佳純に絡む。
「佳純、唐揚げ取って」
池村もさりげなく、佳純を名前呼びしている。
普段、池村は無表情なので、何を考えているのか分からないが、何となくだが、佳純のことは気に入っているらしい。
「はいはい。どうぞ」と佳純も唐揚げを取ってあげている。
「佳純さーん。お酌は~?」
「佳純、小野に酌はしなくていい。高村にしてもらえ」
「何で私が小野くんに?」
「絶対零度の微笑み、怖いっ!」
佳純はそのやり取りを見ながら、くすくすと笑っている。
「楽しいか?佳純」
「はいっ!こんなに大勢でご飯食べるの久しぶりで、楽しいです」
いつも一人でご飯を食べているのだ。
家族も居らず、たった一人で。
佳純のために、たまにはこういう食事をするのもいいかもしれない。
「また、しよう」
「……はい」
優しく微笑む佳純を横目に、酒を飲む。
「あ!また社長が口説いてるっ!俺にもタコわさちょうだい!」
小野がまた何やらきゃんきゃん言っている。
俺は一言。
「絶対にやらん」
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