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第9話

 「ここが静流さんの仕事場か」 真司は静流に連れて来られた、某23区内の画廊の前にいた。静流の後について中に入る。  「静流さん、おはようございます」 「昨日どうしたんですか、寂しかったですよ」 職場の後輩らしき若い男が次々と声をかける。人望が厚いんだ、と感心すると同時に、少し妬けた。  「静流、当欠は困るぞ」 今度は静流よりも年上に見える男が、腰に届きそうな黒いストレートロングの髪を揺らめかせながら近づいてきた。 「すみません、オーナー…実は、一人ここにおいて欲しい子を連れてきたんです」 静流がそう言うと、オーナーと呼ばれた男はちらりと真司のほうに目をやった。 「深海真司、17歳です」 その目線に気後れしつつ、真司は自己紹介した。 「ということはあの子も…?」 「でもあの足…大丈夫なん?」 若い男達のほうがひそひそと小声で言い合っている。  意を決したように静流は真司に向き直って行った。 「真司、ここは表向きはただの画廊だけど、ウラではホストクラブをやってる…男性向きのね。…時には身体だって提供する。君にはもちろんさせないけど」  ぽかんとしている真司を気にする様子もなく、オーナーはてきぱきと指示を始めた。 「じゃ、この子はとりあえずフツーに画廊の受付やってもらうよ。真司くん、だったね?」 「はいっ」 最初の印象よりもいい人そうなのがわかって、真司は張り切って返事した。その瞬間、オーナーの彫りの深い、黒目がちの大きな瞳が真司を捕らえた。 「――静流泣かすと、承知しないよ?」 「オーナーっ!!」 蛇ににらまれた蛙のように半泣きになって立ちすくむ真司を見かねて、静流が慌てて叫んだ。  するとオーナーは別人のようにころころと笑い出した。真司はハメられたのだ。 「逆に泣かせてしまったかな?失礼したね、オーナーの司です」 次に、若い方の男(バイトらしい)達が自己紹介した。 「要です、よろしく」 少し気の強そうな、でもかわいらしいネコのような顔立ちの男が名乗った。 「輝です」 そう名乗った男は、要よりも落ち着いた雰囲気の、繊細なイメージだ。 真司は、ここにいるみんなが自分と同じ――同性を恋愛対象と捉える者――であることが嬉しくて仕方なかった。ここでは自分の性癖を隠さなくていい、堂々と人を愛せるのだ。  「あ?今日紫苑は?」 突然オーナーが思い出したように言った。 「それがまだ何の連絡もなくて…」 まるで自分が悪い事をしたように輝が申し訳なさそうに答えた。 「またかー?!あいつ~~…今日あいつ目当ての客予約入ってるのにっ」 地団太を踏むオーナーを尻目に、真司は紫苑という人物はどんな人なのか考えていた。するとそれを察したように静流が説明してくれた。 「紫苑っていうのはここのNo.1ホストなんだ。でもタイド悪くてね…」 「すごい…No.1ですか。ここにいる人達よりも…?」 真剣に感動して言ったのだが、静流は伏し目がちに少し笑って言った。 「正直――キミには会わせたくありません」  「真司!早速受付へ」 オーナーのお呼びがかかり、真司は静流の発言に疑問を持つ暇もなく勤務スタートとなった。  簡単に業務内容を説明すると、オーナーはとっとと持ち場に戻ってしまった。生まれて一度もアルバイトの経験もなく、ましてやこんな別世界に一人で座っているだけで真司は逃げ出したいぐらい緊張した。  そうこう言っているうちに最初の客がきた。 「い、いらっしゃいませ…」 おどおど作り笑いを浮かべてみる真司。 「今日、紫苑は?」 ゲ。いきなりしょっぱなから困る質問をされてしまった。 「今日は、あの、その…」 金魚のように口をパクパクさせて焦っている真司の元へ、助け舟が。 「申し訳ございません、本日紫苑は急用で…私どもではご満足頂けませんか」 「いやいや、訊いてみただけだよ、有難う」 輝の穏やかでやさしい口調にああ言われては、誰だって何を言われても納得してしまう。 「すみません、有難うございました」 「しかたないよね、真司まだ知らないことだらけなんだもの」 にこにこと笑う輝に、真司は思いきって尋ねてみた。 「紫苑さんって…どんな人なんですか」 そして先程の静流の不可解な発言のことも話した。 「へぇ…静流さんがそんなこと…紫苑さんは――すごいカリスマ性と、とてつもない残虐性を持った人、かな」  そう言われてはますますどんな人かわからなくなってしまった。 持ち場に戻ろうとした輝が、最後にもう一度振り返って、こんなことを言った。 「だから静流さん、真司が紫苑さんに惚れちゃうの心配してるんだよ。羨ましいよ、静流さんに愛されるなんてさ」  「予約しておいた土佐川だが。紫苑を呼んでくれたまえ」 見るからに暑苦しい、ごつごつした古風な初老男性が受付でこう言うのだから、真司はたまらない。しかもその人、有名な書道家の土佐川 実助だったのだ。 真司はもたもたと、しかし輝が言ったのと同じように答えようと試みた。 「も、申し訳ございません、本日紫苑は…」 「おれならここにいるよ」  不意に土佐川の後ろから、その声の主は現れた。 「誰だよ、あんた」 質問に答えることすら忘れ、真司は紫苑に見入っていた。それまで鬼瓦のような顔をしていた土佐川が、急にゴキゲンが良くなった。 「今ごろご出勤か。たいしたご身分だな、ん?紫苑」 「まーまーまーまー。おせっきょーは席に座ってから。それとも…すぐやんの?」 「はは、相変わらずだなあ、紫苑は」 デレデレの高笑いの土佐川の背を押して紫苑は店の中へ消えた。  真司は鳩が豆鉄砲状態で、しばらく思考回路が停止していた。ようやく我に返ると、ブルーになった。 静流もあんなことをしているのか、と思うと。  「真司!紫苑…さんが来たって?!」 すごい形相で要が受付にやって来た。 「はい、さっき土佐川様と下へ…」 少々ビビりながら真司はそれだけ言えた。 「―――ったく何てヤツだ!!裏切り者のクセにっっ」 「裏切り者?」 「そーだよあいつここで働いていながら…女作って静流さん捨てたんだ!静流さん大人だから黙って一緒に仕事してるけど…!」  そこまで一気に喋り終えると、今度は急激にテンションが下がった。 「許せねーよ…静流さんを裏切るなんて…」 「要さん、静流さんのこと…?」 「ああ、愛してる…それにあの人は、性別とかそんなもんカンケーない、人間として尊敬に値する人だしな」  真司はやはり静流の人望の厚さを思い知らされた。そして、そんな人に愛された自分の幸せを噛み締めていた。 「何度言ったらわかるんだ!!遅れるならせめて連絡をだなー」 閉店後、スタッフルームでのミーティング…の前に、紫苑がオーナーにマンツーマンでこってりお説教されている。と言っても、本人はまったく堪えていないようだが。 「真司、お疲れ様。初日の感想は?」 静流が声をかける。真司の緊張もこの笑顔で一気に解ける。 「あーそーそー、静流、そのコ誰?」 紫苑が訊いてきた。因みにオーナーの説教はまだ終ってはいない。 「今日からウチで働くことになったんだよ」 静流の紹介を受けて、 「深海真司です、よろしくお願いします」 真司も挨拶をしたが、紫苑は不躾な視線を真司に浴びせ、ニヤニヤしながら言った。 「ふーん…これが静流の今度の飼い犬か。えらくシュミが変わったんだなぁ、え?」 「しっ、しお」 「いいんだ、要」 キレそうになる要を制し、あくまで冷静に静流は続けた。 「真司、紹介しておこう。ここのNo.1、蒼城 紫苑だ」 またも不敵に笑い、紫苑は真司にずかずか近づいた。 「はじめまして飼い犬くん、静流をよろしくネ。………」 「紫苑っ」 キスでもできそうなほど顔を寄せ、真司の耳元で紫苑は何かささやいた。 真っ赤になっている真司をそのままに、紫苑はさっさと帰ってしまった。 ―――シズヨリオレノホーガウマイゼ―― 確かに、真司の耳はそう聞いた。  店からの帰り、真司はますます静流を愛しく想う自分に気づいていた。 横にいるこの人がどんなに偉大であるか。そしてそんな人に愛された自分。 「静流さんて、いつも落ち着いてて大人だね」 そんなことを言うと、おかしそうに笑った。 「17歳から見ればそうかもしれないけど、僕はまだまだ子供ですよ」 「そうかなぁ、静流さんの怒ったトコとか想像できないもん」 真司は無邪気に笑った。

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