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第13話

「やいアホ司っ」 ドアを蹴り開け、中に入った紫苑が最初に見たものは、大粒の涙を零す静流だった。 次に紫苑がどういうリアクションをするか安易に想像できるオーナーは、慌てて言い訳がましく紫苑を宥めようとした。 「いや…落ち着け紫苑」 しかしそう言った時にはすでに遅く、オーナーの言葉を遮って紫苑の狂乱が始まっていた。 「てんめ、なんでしずが泣いて…」 「紫苑」 驚くほど冷静な声で、静流が紫苑を止めた。 「本当なんですか…うちの親やらさよちゃんから頼まれて、って…」 その言葉を聞くと紫苑は急に我を取り戻し、必要以上に冷たい視線を静流に送った。 「―――だから何だよ。確かに言われたけど結局決めたのはおれだろ」 静流は紫苑に背を向けた。 「そうだね…僕の煮え切らない態度に愛想尽かしたんだから。…後になってわかったよ」 紫苑ははっとした。わかってたんだ、本当の理由が。そう思うと余計に腹が立った。 「そーだよ、遅いんだよ気づくのが!」 傍で呆れた様に二人のやり取りを見ていたオーナーが口を挟んだ。 「やり直せよ、お前ら。よく頑張ったって、二人とも」 いい加減馬鹿な真似はよせ、とでも言いたげなその物言いだ。  静流は戸惑わずにはいられなかった。今更、やり直すだなんて。何を、どうやって、どこからやり直せというのだ。 そんな沈痛な面持ちの静流を、ドアの陰から真司は見ていた。やっぱり、あの二人は今も愛し合っている。そう確信した。 ここで真司が部屋に入って行けば、この話は一時的にせよ潰れる。  でも。真司には、あんな辛そうな静流を見ていたくなかった。これから、ずっと、見続けるのは。 真司の叶えられなかった願いを、今静流は叶えようとしている。  「静流…見てらんねーって」 オーナーが頭をぼりぼり掻きながら言う。相変わらず静流は黙ったまま、死人のような顔でただ涙だけを流していた。 沈黙は続く。  と、そのうち、紫苑がやってられないとばかりに沈黙を破った。 「オーナーさんよ、しずはその気ないってさ」 軽く手を振ると、紫苑は部屋を出てしまった。 その後も石像のように固まっている静流に、オーナーが言った。 「いいのかよ、静流。あいつ、しず『は』、って言ったんだぞ?」 ついにオーナー、実力行使に出た。 「ほら追えって。また後悔したいか」 静流の背中を押して、部屋を追い出した。 「紫苑…!」 もう後悔したくない――静流は意を決して部屋を出た。 「何だ」 紫苑は部屋を出たところで待っていた。 「早く用件を言え」 悪戯っぽく笑う紫苑の胸に、静流は躊躇いなく飛びこんだ。  紫苑もしっかりと静流を抱き止め、2年振りのくちづけを交わした。 懐かしい感触。夢のようだ。  あのころはお互い幼すぎた。今なら、もう…大丈夫。  「うひゃひゃひゃひゃ!!なあ聞いてる?なあってばコラハゲ司!」 そう言ってオーナー・司の肩をバンバン叩いているのは真司だ。ちなみにハゲてなどいない。  未成年者、しかも全く酒に免疫のない真司にアルコールを飲ませたのは司だ。自業自得なのでこの仕打ちには耐えるしかないのだが、そうまでしてでも今日は真司を帰らせるわけには行かなかった。 「さて…と。そろそろお開きにするか。要、今日真司泊めてやれ」 突然の大抜擢に、要は慌てふためく。 「なんでですかー!!飲ませたのオーナーでしょおっ!」 必死に訴えるが、 「おれんちハニー待ってるしぃー」 「ぼっぼく家族と住んでるしっ」 輝にまで裏切られた。 「一人モンで一人暮しってお前だけなワケよ。ヨロシク」  結局眠りこけてしまった真司をおぶって、要は重い足取りで家路についた。 いい気なものだ。 だいたい静流さんに偶然拾われて、パパッとこの店に入って…ラッキーすぎる。 「そーだ!お前を静流さん家まで送ればいいんだよ」 こりゃ名案、と浮かれる要の背中から声がした。 「ダメだよ…今日は。今日はあの部屋には帰れない…」  「なんだって、静流さんと紫苑が?!」 要宅。やっとの思いで我が家に辿りついた要は、一息つく暇もなく真司の話に怒り狂う。 真司は諦め顔で笑った。 「オーナーが取り持ったんですよ。きっと今日こんなに飲ませたのも僕を帰さないためで…」 「なんでお前、そん時止めなかったんだよ!」 「静流さんには幸せになって欲しい…僕の分まで。僕に静流さんの幸せを壊す権利はないよ。思えばこんな役立たずを拾ってくれただけでも…」  俯き、ぼそぼそと語る真司に耐えきれなくなって要が怒鳴る。 「やめろ!お前はそーやって自虐することで自分を守って、正当化してんるだ。そーいうヤツ見てるとイラつくんだよ」 さほど慌てる様子もなく、力ない声で真司は答える。 「でも、こうでもしないと今までやって来れなかった…こうでもしないと自分を守れなかったんだよ」  一時は真司をねたましく思った要だったが、今は可哀相で仕方ない。 そして、許せない。  「どういうことですか、オーナー!あれじゃ真司があんまりだ…!」 建物中に響くような大声で、要は司に食って掛かった。  翌日、開店前のスタッフルーム。 熱くなり過ぎてる要とは裏腹に、司はしれっと答えた。 「そうか、知ってたのか真司は。でもまあ話す手間が省けた」 「なに…?」 要の中で何かがちぎれた音と、スタッフルームのドアが開く音は同時だった。 「――静流さん!!」  入ってきたのは、渦中の人たち。しかも仲良く揃ってご出勤と来れば、イヤでも要は過熱する。 要は勢いに任せ、静流の胸座に掴みかかった。 「どういうつもりなんですか!調子いいと思わ…」 そこへ、紫苑が要を静流から引き離し、強く押しのけられた要はよろめいた。 そのダメージにしばらく要は言葉を失ったが、やがて更なる怒りと共に復活し、矛先は紫苑に向かった。 「なん…なんだよ、散々今まで静流さんを苦しめといて、今更ヨリ戻しただって?真司のコトだってどーするんだよ…アンタは、ヒトの人生狂わす天才だな!」 紫苑が固まった。さすがの紫苑もこの言葉には多少なりともダメージを受けたようだ。 二人の間に静流が割って入った。 「要。紫苑に謝って」 静かな、しかしNOという答えを許さない口調だ。 「だって静流さん…!」 「僕は自らそう望んだんだ」 敬愛する者にまでそう言われて、要は逆上した。 「し、静流さんだって…結局自分のことしか考えてないんだ!」 静流は小さく頷き、ため息と共に言葉を吐いた。 「人間――誰だってそうじゃないんですか。真司にはちゃんと話します。今後のこともちゃんと…」 「その必要はない!」 司、静流、紫苑の3人が、一斉に要に注目した。 息をのんで、要がゆっくり言った。 「…真司は、おれが引き取る。あんたらのそばに置くよりマシだろ」

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