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任務放棄

「今日はもう帰ろっかな」 「ちょっと。ともちゃん!今何時だと思って?」 「ええと、11:30過ぎデス」  智は携帯をとりだして時間を確認したあと仁さんに素直に答えている。 「まだ1時間もたってないし、今日は土曜日なんですけど?」  そんなバカな子じゃないだろ?とでもいいたげな仁さんが智を睨みつけている。 「そうなんだけど」 「まだ自分のノルマしか飲んでない!宮ちゃんのすら飲んでない!たくさんのビールが後に控えてるっつうの!」  別に飲んでほしいわけじゃないし、俺。 「帰るか?とも」  顔は俺を見ていない。仁さんに微笑んでいる。別方向を向いていた顔が素早く俺の耳元に寄せられた。 「帰ってワインのもうよ、宮さん」  いつも言っているだろう!耳元で喋るな!心臓に悪い。  そんなこんなで俺達は土曜のうちに家にたどり着いた。薄暗い昭和なビルの地下にある「ラスタ」という店に毎週いくのはお約束。そこのマスターである仁さんは飄々としているくせに、時に大人の色気を垣間見せる謎の人物。店名どおり無類のレゲエ好き(でもジャンルはラバーズ系のみ)  この店の常連である俺と智は任務を与えられている。「客寄せパンダ」という業務だ。  色素の薄い二人で、デカイ担当が俺。チビ担当が智。そうはいっても智は170は超えているから別段小さいってほどでもない。180にちょっと足りない俺より小さいってだけだ。  白い肌とミルクチョコ色の目。俺は女の子っぽい顔だと言われたことはないが、智は記憶にある頃から「お人形さん」みたいと言われてきたらしい。ミルクチョコみたいな色といったのは仁さん。それは智にぴったりだから賛成だけど、俺は栗毛色の馬の目ぐらいにしておいてほしい。 「白目が少ないんだよ。君たちは。まあ、宮ちゃんの言うとおり馬の目ってのは言いえて妙。でも智ちゃんのミルクチョコは僕譲れない!」  そう仁さんが主張してカウンターの常連を巻き込んだので、ラスタで俺達はショコラ隊と揶揄されている。  ショコラ隊、やさしさ作戦担当は俺のほう。爽やかに微笑んで場を和ませる。淡い期待をそこらに植え付けて新規客を取り込み常連へと導くのだ。  もう一方はドSキャラ。寄せられる想いを薙ぎ倒し、蹴散らせてコテンパンにやりこめる。しかしこれが火をつけてしまうようで、熱烈ファンが大勢いる。そしてこのファンはビール献金をすすんで行うわけだ。ビール1杯500円分をチップのように余計に払い店を去る。次回来店の際は、もれなくこのドSさんが蕩けるような顔でお礼を言ってくれるというオプションが発生するから、ファンたちは同じことを繰り返す。薙ぎ倒されてなお貢という負のスパイラルから抜けだせない。  ショコラ隊を平日に動員させたりする仁さんの手腕もあり、確実な土曜日は大盛況、マニア垂涎の平日デーを狙った輩も後をたたず、けっこう盛り上がっている店なのだ。  仁さんは抜かりない。いつも一緒にいる俺達は「従兄弟」という説明が仁さんからさりげなく通達されているらしい。人は時にそれが真実ではなくても聞きたい情報こそを欲しがる、ゆえに周囲は「従兄弟」という言葉を盲目的に受け入れている。  本当に仁さんは・・・侮れない  今晩俺達は任務を遂行していない。これから盛り上がる時間にさっさと腰をあげ帰ってきてしまった。  土曜の夜は絶対俺の部屋に二人で帰ってくる。俺が智の家にいったことは2回くらいしかなく、なぜかあっちは落ち着かない。というより、今日は俺の部屋だというのに、落ち着かない。 「仁さんに言えばワインいれてくれるぞ?それにビール献金よりいいじゃん」 「外でワイン飲むのって好きじゃないんだよ。アルコール5%のビールが精一杯。俺が酔っ払っちゃって誰かに拉致されてもいいの?宮さん」  隣の部屋で着替えをすませて、ソムリエナイフを手にしながら俺を見る。智は絶対にあのサルでも開けられるコルク抜きなんか使わない。ボトルの首に軽くナイフを一周させ器用にカバーシールをはぎとる。コルクにスクリューをねじ込む指がきれいに動く。あっという間にコルクが抜かれ、二つのグラスに注がれた赤ワイン。 「何回見ても思うけど、智がワインを開ける姿はイイ」 「オヤジっぽいよ、宮さん」  それが照れ隠しだということがわかるくらいにはなった。俺が褒めるとすぐオヤジにされる。確かに俺の方が年上だけどね。 「仁さんが智を拉致させるようなことさせるなんてありえないでしょ?」  照れる智にそう言ってやる。照れる自分に弱い智は、なかなか自力で浮上できないのだ。こんな強気でドSキャラ担当のくせに。 「一回拉致された。僕に選択権はなかった」 「嘘、まじで?」  仁さん本人に?いや、仁さんは僕の役割じゃないと言ったはずだ。じゃあ、他に誰が?嘘、俺知らないよ。 「宮さんが拉致ったでしょ?」  え?俺? 「仁さんこそが、拉致してくれと頼んだわけですよ、宮さんに」 「そうだったな」 「でもあれがなかったら僕はこのバッタ色のパジャマを着ていないよ」  ワインをコクリと飲み込みながら微笑む。ここにはもうショコラ隊の智はいない。この部屋にいるときはとても穏やかで俺がハラハラするほどいい男になる。というかそれこそが本当の智なのだが、それを知っている自分がとても嬉しい。ほとんどの人間が知らないってことに優越感もひとしおだ。 「なんかあったの?今日」 「なんで?」 「帰ろうなんていうからさ、そんなこと言ったことないから。仁さん睨んでたよ?」 「でもね、今日はここに二人でいたかったんだ。少しでも長くね」 俺の心臓が跳ね上がる。普段はこんなは言わない。 「変な薬でも盛られたか?というかもう酔った?」 顔は赤くない。頬に伸ばした手のひらにも熱は感じなかった。 「いや酔ってない。それに酔うなら二人だけのほうがいい。ビールよりワインのほうが気持ちがいい」 俺のほうが絶対顔が赤いはずだ。 「仕事でなんかあった?」 「いや……仕事ではないけどマスターから聞いた」 じっと見つめて先を促す。ソファの座面に頭をのせて目線だけを俺にむけながら口が開いた。 「ミサキが離婚したんだって」  俺の心臓は跳ね上がるどころか、固く尖った。智を変えた男、忘れないと誓った男、ミサキ。『囚われていない』そう智がいったから、俺はそんな智を全部ひっくるめて抱えていくと決めた。そうすれば、一緒にいたいという俺の願いがかなえられると信じたから。俺の祈りにも似た懇願が神様に届くような気がしたから。それなのに、一度もあったことのないミサキは俺に容赦がない。 「何年だ?智」 気の利いたことを言ってやりたいが、何をなんといえばいい? 「さあ、4年くらい?」 「それはミサキあとの智のブランク。それに俺との時間をプラスして」 「指折り数えてるの?宮さん」 「数えてはいないけど、空で言えるな」 俺に向けていた目線が逸れる。見上げた天井に何が見える?そこにミサキが浮かんでいないといいけど。 俺の部屋に来られるならミサキに来てほしい。智はやらないって堂々と言いたい。バカみたいだな。 「なんか俺、見間違ったかな」 「え?」 ギクッとしたように智の肩が震えた。 「智のことじゃなくて店主さん。あの人、智の味方だと思った、一回しか会ってないけど。それに、仁さん並みにいい人にみえた。だからミサキの離婚を智に言うのか?って。少し悲しいというか、残念」 手が伸びてくる。俺の右手が智の左手とつながる。 「こういうとき、宮さんを透って呼びたくなる」 化石化した心臓が少しだけ色づく。 「正確に言うと、重さんとマスターは僕がいないと思って話をしていた。僕はね本当はアサイチの入りじゃなかったんだけど、宮さんが昨日僕を甘やかしたでしょ?あんまり幸せで、そんな気分で少し早目にいったら重大ニュースに出くわした」 「甘やかしたっけ?」 厨房業務もある智はしょっちゅう火傷をつくって帰ってくる。智は痛みに強い。火傷はするけど痛くないとわけのわからないことを言う。痛みは遠くに置けば切り離せるらしい。 昨日俺の目の前に披露された人差し指の腹は痛いと悲鳴を上げていた。だから俺は智を風呂にいれて髪を洗い、サルでも開けられる栓抜きでコルクを抜いた。そして後ろから抱きしめて、痛い手を握って寝た。痛がってくれと願って。それを俺が包んでいることに気が付いてほしくて。 「智がわがまま言わないから代わりに甘やかしてるんだ、俺」 「わがまま言ってほしいの?」 「俺が心底欲しい男は、つまらないわがままなんて言わない。ついでに言うと、智が俺を困らせないから、俺がお前を困らせてるだけだよ」 「僕、困ってないよ」 「俺ね、智をベタベタに甘やかす男になろうとしてんの」 「それは困るな」 「恥ずかしい、の間違いだろ?ええと……俺が思うにミサキと智は対等だった」 「どうなのかな。でも僕は若造だったから分が悪い」 「俺はね、智と俺は対等じゃない。そう思ってる」 「なにそれ。なんでそうなるの」 「智に惚れすぎて、立場弱い」 「……オヤジくさいよ」 「確かめたいなら一緒に大阪でもどこでも行ってやる。仁さんにミサキの居所を聞いて連れて行ってやる。一人で行きたいなら、それでもいい」 「宮さん……」 「ミサキと智は対等だから、互いに甘やかしたりできないんだ」 「そうなの?」 「そうなんだよ。智はベタベタに甘やかされることを懐かしく思うわけ。それは今のお前が居る大事な場所で、そこにはヘタレだけど君を甘やかすことだけで存在価値を作ろうとしている、一途な男がいるんだよ」 自分で言っていてバカみたいに思えるけれど、こればっかりはしょうがない。 「俺、ミサキに勝てるのそこしかないの。ベタベタに甘やかして、ここが幸せなんだって錯覚でもなんでもさせて。 智と俺はちゃんと言葉も交わせるし、本だって読みっこできるし、一晩痛い手を癒すためなら、欲も殺せるんだ。抱き合わなくても沢山をやり取りできる、そして抱き合えばもっとたくさんが待っている。 智ってそんな男なんだ、俺にとってね」 「動揺したのは事実なんだよ。それでどうしたいとかもなくって。一番最初に浮かんだ顔が宮さんで」 「うれしいね」 「宮さんに甘えたくなった」 「それで今日任務サボリにしたの?」 「うん。仁さんは事情言えば何もいわないよ」 「仁さんへの信頼は絶大だな」 鼻を思いっきりつまんでやる。 「イタイ!って」 涙目なのも鼻をいためつけられたからって言えるだろ?智。 「ハニーによろしくって」 ハニー?キューティー?パルプフィクション?ハニーバニー? 「宮さんが困惑してる顔ってけっこうイイよ」 心臓がはねた。 「マスターがね、宮さん逢っているでしょ?ミサキの離婚をあのスーパーリーマンにちゃんと言いなさいよって指示されたんだ」 「なんだ?そのスーパーって」 「できるリーマンの最上級らしいよ。でも重さんがね、僕の相手がリーマン(=男)になると売り上げにかかわるからもっと正体不明なのにしないと店の危機だって。それで提案があって」 「なんか知らないところでとんでもないことになってるな」 「ショコラよりいいじゃない?ハニーだよ」 「笑えるな。なんかチープじゃない?それにどっちも甘い」 「その提案者の重さんが一回店にこいってさ」 「それテスト?」 「ハニーに該当するかのテストかもね」 「ちょっと怖いな」 「大丈夫。絶対合格だよ。透が言ったんだよ。ベタベタに甘やかすって」 俺達にミサキは今後も横たわるだろう。俺はベタベタを突き通すだけだ。 「僕は宮さんが甘やかしてくれるの好きだよ」 「透って呼んでくれたからいいよ」 「……オヤジくさいよ、宮さん」 今度は言葉で救ってなんかやらない。智の鼻筋に舌を這わせる。魅入られたような瞳が俺に向けられるから、上唇にだけ舌を這わせる。 そこには淫蕩に微笑む男。同じような顔をしているだろう自分を誇る。智がこんな顔をするのは俺の前だけなのだから。

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