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別離の意味
「ようやく、ここまでたどりついたね」
向かい合う僕たちの間にあるテーブル。その上には一枚の紙。ペラペラのそれは本当に実体があるのか?社会的責任の放棄を司るにしては本当にお粗末なものだ。そのうち世界が進んだらオンラインで手続きができてしまうもっと味気ないものになるのかもしれない。そう考えたら可笑しくなる。
「始まりも、終わりもこの紙一枚」
彼女は紙を両手で持ち上げてペラペラと音をさせてまたテーブルにもどす。
「未祐ちゃん、君はとっても強くなった。びっくりするくらいに」
「陵ちゃんのおかげ。本当にあのときあなたに逢えなかったら、私達はどうしていたのかと考えると怖くなるの。陵ちゃんと暮らせてよかった。千尋が寂しがるわね」
千尋、僕の子供ではなかった。でも僕は父親で、また他人に戻る。
「正登もよく頑張ったよ、正直時間的には間に合わないかもしれないと思たんだ、最初は」
本当に、ギリギリだったけれど何とかなった。
「今日正登は何時頃?」
「クローズした時点で上がるって言ってたわ、すぐ帰ってくるって」
「ちょっと遅くなるけどお祝いしようか」
「離婚のお祝い?」
未祐ちゃんがソファにもたれてクスクス笑う。
「離婚届けを見ながらお祝いするのって私たちだけじゃない?」
まったくだ、「円満に離婚しました」と芸能人の発表でもあるけれど、そんなことはありえないだろう。一生添い遂げようと誓いあった二人が選ぶ「別離」に円満などあるか?でも僕たちは円満、さらに達成感もある。
「それに男2人、女1人。3人の当事者同士で離婚を祝うなんて、世界中どこにもいない気がするよ」
吹き出す彼女をみて思う。僕の選択は間違っていなかったと。
帰宅した正登と3人でワインを2本あけて、僕らのささやかなお祝いをした。
仕事を理由に先に部屋にひきあげようとした僕は正登にしがみつかれてギョっとする。自分よりでかい男で体力勝負の調理人、腕の力が強い、いや強すぎる。
「陵さん本当にありがとうございました」
「ちょっと、おい、苦しい」
しょうがないので震える背中に手をまわす。
「よかった本当に、すごく頑張ったな、正登。未祐ちゃんと千尋たのんだぞ」
「……はい」
僕らはなんだか少し照れくさくなって、なんとなく笑顔を浮かべて笑い合う。僕の役目はようやく終わった。
部屋にひきあげて電話を二本かけるために携帯をとりだした。最初は朝倉。
「久しぶり、朝倉」
『おおう、なんだ飲んできたのか?遅いな』
「何言ってるんだよ、この時間じゃないと捕まらないだろ?朝倉と重は」
それもそうだと言いながら、カラカラと笑う声が耳元にくすぐったい。本当にこの男はいつも気持ちがいい。
『どうした?またこっちに出張か?』
朝倉の心配そうな顔が目に浮かぶ。トモキのことがあって以来、電話するたびに僕のスケジュールを気にするようになった。そんなにかわいいものじゃないよ、今回の連絡はね。
「いや、報告があってさ。僕、離婚することになったんだ」
ガチャンと派手な音が電話口に響く。
「ちょっと、朝倉?大丈夫?なんか落とした?」
『ああ……ええと。シンクの中だから、切れてないから大丈夫」
もう少しやんわり言うべきだっただろうか。でも遠回しに言って伝わる内容ではない。シンク?持っていたグラスが落ちて砕けたのだろう。
「いきなり、悪かった。でも朝倉には言っておかないと」
『ああ、まあ、まあ、そうだな。えーとなんと言っていいのか全然思いつかなくて。残念だなとか、そんな程度しか……」
色々なことが頭を巡っているであろう朝倉に申し訳ないと思うけれど、何もいわずに次に顔を合わせるわけにはいかない。
「遅くに悪かったね、また電話するから」
電話を切ることが親切になることだって、時にはある。
そしてもう一本。つながった電話からは声よりも先に音楽がとびこんでくる。このまったりとした緊張感のない音はさっきまでの朝倉との電話とは大違いだ。
「仕事中に悪いね、仁」
こっちはこれからが商売の時間。
『平日だからね、陵からの電話にでたって誰も文句いわないよ』
穏やかな夜らしい。
「でも仕事中だろう?とりあえず報告だけしておく。ようやく離婚が成立した。明日届けをだしてくる」
『そっか。何とかなったってことか。一応よかったなと言っておくよ、良かったなでいいんだよな?』
「うん。でも明日以降が勝負だね、今度は僕の番だから」
『部長さん?』
「今は部長改め取締役専務だけどね」
『久に電話した?』
「さっきした」
そこで仁はぷっと笑った。
『あいつ、てんぱってだだろ』
「うん、シンクの中にグラスを落として割るくらい驚かせちゃったよ」
ゲラゲラ笑う声が耳に届く。
『かわいそうに!あははは、目に浮かぶ、動揺っぷりが!』
「そんなに笑うなよ。悪いのはこっちなんだからさ」
『ずっと気に病んでるからね、久は。んで重には電話するのか?』
「いや。しないよ。朝倉が重に言うだろうし。重には直接言わなくちゃね。電話一本では本気で殴られそうだ」
『んんん~まあ、そうだね。どのみち一回はこっち帰ってくるんだろう?』
「そうするつもりだよ」
『わかったよ、じゃあ、取締役さんとの会談、頑張ってね』
手のひらの中にある切れた電話をみつめる。さっきまでそこには大切な人達の声が詰まっていた。この存在があって今の僕がある。僕が僕であるための最初の一歩が彼らとの出会いだった。
あの頃、まだ僕はミサキを振りほどけずにいて、でも少しだけ彼女が薄くなりだした頃だ。
ベッドに着替えもせず転がって天井をみつめる。浅い眠りにひきずられながら、本当に久しぶりにミサキでいた自分を思い出していた。
トモキが忘れないといってくれた『ミサキ』ではなく本当のミサキ。ねえミサキ、君を忘れたわけじゃないよ。それに僕以外にも君を忘れないと、そう言ってくれた人がいたんだ。
……トモキ。
ミサキが僕の名前ではないと知り、うれしそうに息をあげて帰ってきた。何度も思い出すたびに胸が暖かくなってミサキに語りかける。
ミサキ、君はちゃんと存在しているよ。僕以外にも忘れないと言ってくれた人がいる。だから大丈夫。ミサキは消えていないよ、これからもずっと僕とともに在るからね。
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