11 / 17

出会い 2

 これといってしたい事が見つからず、地元の大学の経済学部に進学した。この学校は「生活デザイン科」という少しだけアート的な学部があったから、美咲がいるならこんなところだろうなと思えたから。  でも自分でもわかっていた。大学にいっても美咲がいないことを。知っていた、そんなことわかりきっていた。それでも美咲が「待っている」といった大学に行かなくてはいけなかった。僕は「迎えにいくから待っていて」と言った約束を果たさなくてはいけなかった。  それなのに果たそうにも相手が存在しない現実だけが、そこにあった。  大学で過ごす時間が増えるほど、僕のなかの美咲が少しずつ減り加瀬陵が少しずつ増えていく。美咲のことを考えると悲しいと感じるのは美咲が居ないということを僕自身が認めているということになる。  忘れないでという約束が僕のなかで小さくなっていくことに怖れを感じた。だから小さなサークルに入って、相変わらず色だけのキャンバスに向かっている。たくさんの色を塗りこめたら、右下に小さくナインをする。 「 misaki 」  この時間があれば、僕はいつでも美咲を想いだせたし、忘れていないことを確認できた。  急に2コマ目が休講になり、図書室で時間を潰すことにする。たくさんの画集や写真集があるので退屈しのぎにはちょうどいい。  デュフィーの画集をめくりながら、輪郭が色に溶けていくような作品を眺める。1時間2時間と時を経たら輪郭がなくなって色だけになってしまうんじゃないだろうか、僕はそんなことを想いながら指で画集をなぞる。平面の絵なのに、それが生きているかのように変化するかもしれない、そう思わせるって、やはり名をはせた人は違う。僕のキャンバスとは大違いだ。  ふと視界に動くものが入り込む。目の前の窓から中庭をみると向かい側の東棟の二階に男が二人見えた。 「沓澤かな?」  このキャンパスで有名人である沓澤は手を引かれていた。あきらかにどうでもいいといった風情で体重を後ろにかけながら引かれてノロノロと歩いている。引っ張っているのは加藤か。  ここにいる沢山の人間を僕はいつも外から眺めている。一人でいるわけでもない、言葉も交わすし飲み会にもいく。でもそれだけだ。  僕には本当の意味で友達がいないのだと、最近気が付いた。だからいつも外から眺めている。  沓澤は飄々とした雰囲気で、薄い唇と白い肌、それに強い目をしている。人懐っこいと思われているようだけど、時たますべての人間を見下しているような目をする。僕はその目が好きだ。  彼は「人たらし」と言われていて、女でも男でも虜にするらしい。本当だろうか。加藤は自意識が高すぎて、自己顕示欲も高い。さらに自己評価も高すぎるように見える。  真逆すぎる組み合わせだし、沓澤の態度をみれば不本意であることは明白だ。休講になった教室にむかっているのか?急な休みだから、知らないのかもしれない。教えてやった方がいいか。  最後にもう一度画集のページを指でなぞって本を閉じる。本を持ち上げようとしたら中庭にいる二人に目がとまった。一人は朝倉だ。『ミスターオネスティー』と陰で言われている男。 「ちゃんとしろよ!」が口癖で、行儀の悪い人間をみると我慢ができないようだ。部活でキャプテンだったのだろうかと想像してしまう。見た目も実直そのもの。でも朝倉の笑顔はすごくいい。あの顔をみるためなら、面白いことを考えてもいいかもしれないと思えるほどだ。  一緒にいる男は学部が違うのに、たいてい朝倉の隣にいる。いつも食べるものを持ってきていて、朝倉に食べさせてノートに何か書いている。密かにシェフとあだ名をつけた。意志の強そうな目と形のいい額。きれいにとおった鼻筋がバランスよく収まっている。朝倉に向かっていつも微笑んでいるからソフトにみえるけれど、怒ると絶対怖い男だと思う。  朝倉がシェフの袖をひっぱって窓を指さし何か言っているようだ。指の先はさっきまで沓澤がイヤそうに引きずられていた場所だと思い当たる。  図書室は締め切られているけれど、向かいの校舎は窓が開いているから、中庭の二人には沓澤たちのやりとりが聞こえたのだろうか。いずれにせよ休みだってことを伝えにいくことにしよう 「あれ?加瀬、休講だよ」 目的地に着いたら、向こうからやってきた朝倉に声をかけられた。僕の名前知ってるんだ。 「図書室から沓澤達がみえたんで、休講だって教えたほうがいいかなって」 「ほらみろ!重、言った通りだろ?」  何が言った通りなのだろう。へえ、シェフは重っていうのか。苗字なのか名前なのかわからないけど、シゲか。彼の見た目にそれはとてもあっているように思えた。 「お前が言うようなことじゃないかもしれないじゃないか」 「いや、だって沓澤はイヤだって、手離せって何回も言ってた!」 「でもさあ、野暮なことはいしたくないだろう、お前だって」  確かに、沓澤は引きずられていたし、イヤそうだった。 「見下してるんじゃねぇ!」  突然の大声と、机がぶつかる音が教室の中から響いた。ドアを開けて中に飛び込むと、加藤が沓澤の上に馬乗りになって首筋に顔を埋めていた。  どうでもいいように空を見つめた沓澤が呟く。 「加藤?ギャラリーがいるなんて聞いてないけど」  加藤は沓澤の上から飛びずさってこっちを見た。僕とあとから飛び込んできた2人を目にして、顔が青くなる。何かを言ったほうがいいのかもしれないが、何も思いつかなかった。 「俺は別に……」  加藤はそのまま教室を飛び出していった。別にって、どう考えても別にという状況からは程遠い。 「汚いな、まったく」  床からむっくり起き上がりながら、加藤の唇があった首筋を手で払いこっちを見た。 「ん?陵くんはどうしてここに?」  下の名前で呼ばれて、一瞬息が止まる。なんで知っているのだろう、一度も話したことがないのに。 「朝倉たちはわかる、さっき中庭にいたのが上から見えてた。陵くんは、どうして?」  沓澤がもう一度僕を呼んだ。 「休講だって教えに来た。図書室から見えて……」  一瞬ポカンとしたあと、沓澤の顔が笑顔になり、大笑いをはじめた。 「最高だな、君とは一度話をしたかったんだ」  笑い続ける沓澤を前に、ドクドクとなる心臓の音がうるさい。そして、自分の動悸を意識したのは美咲が逝ってしまった時以来だと気が付く 「とりあえず、ここにいても何もないわけだから、何か飲むか。こっちは休講らしいし、俺も次まで時間あるしな」  シェフののんびりした一声で僕らはカフェテリアに向かって歩き出す。もしかしたら何かが変わるかもしれない……僕の中に生まれた予感をそっと胸にしまった

ともだちにシェアしよう!