13 / 17

僕と美咲とミサキ

 見るものや食べるもの、聞こえるもの、それ以外のすべてを美咲に見えるように。それだけを考えて過ごしていた。それが続くと、自分が好きだったものが何だったのか、何をどう感じるのか思い出せなくなった 『美咲?きれいな青だよ』『美咲、見える?』  別の世界に届くように、すべてを君に送り続けた。  僕は加瀬陵なのか、美咲なのか、ミサキなのか誰なのか、だんだんあやふやになるのを止められなかった  美咲のように感じて、ミサキが好きなものを想って、一緒に行くはずだった場所に足を運んだ。僕は美咲の分まで生きようとしたから。  一人の人間が二人分を生きることはできないのに、子供のくせに僕はそれをやろうとして 少しおかしいことになっていた。  美咲の歳を超えて中学生になっても、高校生になっても、美咲が言ったように追いつくことができなかった。そしてミサキはどこにもいなかった。  真っ黒の瞳と真っ黒な髪、ひょろひょろと伸びた背。何を考えているのかわからないヤツ、それが男子からの僕の評価  女子はうちに秘めたクールさがいい、大人っぽい、物憂げと評した。勝手なものだ。  放課後は美術室で絵を描いて過ごす。色だけのキャンバスだけが増えていった。美咲の描いた画用紙のようにそれは優しくもきれいでもなかった。  僕の欠片はキャンバスには落ちてくれない。それは僕が優しくないからだろうか?それでもいい、僕はこの時間が好きだ『りょう』と呼ぶ声すら聞こえていた、絵具を塗っている時には。 「加瀬?あのさ……好きなことかいる?」  学食の白いテーブルの向こうで、うどんを食べる佐倉。さりげなさを装っているのに肩に力が入りすぎていて、僕の目には大失敗でしかない姿を見つめる。 「なんで?」  聞く必要なんかない。この話の先がどこへ進むかもわかりすぎるほどだ。でも佐倉が少しかわいそうになって、一息つかせてやるために聞いてやる。 「なんでって。ミカの友達が知りたいみたい。聞くだけで俺は約束を果たしたことになるから、別に答えなくていいから」  すまなさそうに笑みを浮かべて佐倉は言った。 「彼女の頼みは断れないよな」  好きな子……それは僕の中ではあまりに明確だ。僕に好きなこがいるのかって聞くんだよ?可笑しくないか?おかしいよね、美咲。  11歳の頃からひたすら大学生になることを願って生きてきた。君に沢山の話をしながらね。それもあと1年だよ。そうだね、そろそろ皆に言ってもいい頃かもしれないね。 「おお~~い。加瀬?」  カレーを食べるためにスプーンを握っていた手を指でつつかれる。 「え?」 「あ、またお前どっかにいってただろ。なんかそういうのがいいんだってさ。心ここに非ず的なミステリアスな孤高さが素敵って。てか俺この文章全然理解できないんだけど。女子ってよくわかんないよな」  笑うしかないよね、美咲。佐倉だってミカちゃんとかいう彼女のことを考えて、頭が留守になることだってあるだろう。それと同じで僕は君と話をしているだけなのにね。 「佐倉、ミカちゃんに言っておいて。僕は小学生の頃からずっと追いかけている年上の人がいるんだ。中学でも高校でもおいつけないけれど、大学生になったら同じ土俵に上がれる。僕はそこで捕まえるんだ。ずっとそれだけを願ってきた。だから好きな子がいるっていうことになるのかな?」  これで十分だった。それでもあきらめない子が何人かいたけれど、ごめんねと言えばことは済んだ。  その年上が誰かを探す動きがあって、美咲の名前も上ったようだけど、この世にいないから除外された。  おかしいよね、ミサキはここにいるのにね。  美咲の存在を自分が遠くにしてしまうことだけが怖ろしかった。人を想うということはそういうことではないと、今なら思える。  ずっと美咲とだけ対峙していた時間が長すぎて、こんな僕ができあがった。大学生になってからの出会いでその歪みに気が付き、自分を取り戻すことを決意したのだけれど、どうにもならないことが一つあった、恋愛だ。うまくいくことは一生ないと思えた  陵、りょう君、加瀬さん。いろいろな名前で呼ばれた。彼女たちは僕を通り越していき、僕は彼女たちをとどめるすべを知らなかった。  女性を抱くたびに、僕の心に広がるのは罪悪感だった。美咲の存在が薄れているとはいえ、どうしてもぬぐえなかったからだ。ー本当は美咲とするはずだったのにという思いを。  肉体的快楽と罪悪感の交換だ。結局何も解放されない。排泄に伴う快感、そして積み重なる罪悪感。  行為のあとのまどろみ、petite mort―小さな死。それを僕にくれる人はいなかった。僕も誰にも与えられなかった。  美咲と僕、そしてミサキと僕。美咲とミサキが薄れていくことに抵抗する僕。はなから無理があったことに僕は気が付き始めていた。そして美咲から解放されたかった。絵を描いている時、最後にミサキとサインする、その時以外は僕でいたいと願った。  朝倉、重、仁と一緒にいることで加瀬陵という僕の存在が確かになっていく。薄れていくことと忘れてしまうことは違う……そんなふうに思えるようになった。  そして出会ったのがトモキだった。同性であることも何も気にならなかった……考えがおよばなかった。  「この人だ」その直感は脳天から突き刺さり電流のように体をかけめぐって、もう彼のことしか目に映らなかった。誰も消し去れなかった『美咲のことを好きな男の子』である僕を、消滅させてくれる相手だとわかったから。なぜと聞かれても答えられない。  一緒に死んでくれという僕の懇願は「殺してよ」という言葉で成就した。  僕は生まれ変わった、トモキによって  あの短かった時間、大阪にいる家族のことをほとんど思い出さなかった。千尋の体温さえ恋しくなかった。目の前にいる青年の姿だけで十分すぎて他のことを考える必要がなかったのだ。  本当は連れて帰ろうと、最後の最後まで悩み続けた。でも、結局はできなかった。  あの時二人で過ごしても長くは続かなかっただろう。僕たちはある意味普通ではなく、トモキの生きる場所は札幌にあった。重や朝倉といるトモキは生き生きと輝いている想像が浮かぶのに、僕といるトモキは言葉を発せず、ただただ僕と抱き合っている姿しか見えてこなかった。それと泣いている顔。  最後に僕に笑顔をくれた時に悟ったーこの人を置いていかなくてはいけない  そもそもミサキと名乗った僕は何をしたかったのだろうか。でも口をついてでたのがミサキだった。美咲がトモキを欲しがったのかと考えたりしたけれど、あまりに突飛すぎる。たぶん、ミサキである自分を殺したかったのだ。  そして僕はトモキによって解放された。  結果的にトモキにとって良いことにつながるのであれば何でもする。理由はわからないけれど、トモキの為に僕に逢いたがっているのなら逢う。そのくらいの義務は僕にはあるのだから。

ともだちにシェアしよう!