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対峙と再会
「不用心にもほどがある」
『ラスタ』のドアの上に掲げられた電飾看板に手を伸ばしながら無意識に口をついてでた。
17:30の15分前に鍵をあけてミサキを待つこと、これが仁さんからの指令。鍵は看板の上とのこと。金目のものがないとはいえ、この大量のレコードは大事だろうに。
真っ暗の店、電気のスイッチをいれたところでスポットライトがつくだけ。こんな薄暗いところでミサキと対峙して、まともに話ができるんだろうか、俺は。
さて、自分のボトルは飲んだっていいだろう?でもグラスを洗わないといけないか。氷はあるのかな?店が休みだから氷屋さんの配達はないか……ビール?サーバーの使い方がわからないし、空港のラウンジみたいに機械が上手についでくれるわけでもない。ジョッキだって洗わないといけないよね。
「智つれてきたほうがよかったな、いっそうのこと」
そう呟いたと同時にドアがあき、ミサキが立っていた。
「君だったんだ」
ミサキなる男が発した第一声。
「あ、あなただったんですか!」
狼狽度満点の俺の声。俺達は一度、この店で顔を合わせたことがある。
半年ぐらい前の平日、ふらっと立ち寄ったラスタには客が一人しかいなかった。カウンターの端にすわる客にむかって「こんばんは」と笑顔で挨拶をした。この店に一歩足を踏み入れたときから俺は任務を遂行する。もはや条件反射。
その客の向かいに立っていた仁さんが俺に向かって言ったんだ。
「僕の昔馴染みだから、宮ちゃん」
作戦発動は無意味というお達しだ。しかもいつもの飄々とした雰囲気はなりをひそめ、割に冷たい仁さんがそこにいた。昔馴染み→昔の男?と勘繰りたくなるようなサバケた二人の雰囲気を横目に俺は反対の端っこに座った。そう、そのときの「昔馴染み」がミサキ。
1週間分の気負いや、智への想い、負けっぱなしの自分と仁さんにしてやられた感。さまざまなものが一気にあふれて足の力が抜けてしまった。力なく傍にあった椅子を引き寄せて座り込む。
「仁さん。まったくなに企んでんだよ」
あれがミサキなんだよ、宮ちゃん。そう言ってくれれば話は簡単で、俺だってなんかこんな拘ってなかったかもしれない。実体を実感すれば対処だってできたはずだ。ベタベタして智を困らせることもなかった。あああああ!もう!
「仁らしいな」
ドアを背もたれにしてたたずむ男に目をむける。俺にないものばかりが目についた。漆黒の髪と目。切れ長で静かな眼差しとシャープな顎。細い体、細い首、細い指。薄い唇は可笑しそうに少しだけ開いている。魅入っていたことに気が付いてはっとした。
こんな男に一緒に死んでくれって言われたのか?20歳の頃の智。納得……降参……完敗。
負けを認めてかえってスッキリした俺は椅子から立ち上がった。
「宮田透です。お忙しいのに時間とってもらってありがとうございます」
「加瀬陵です」
ミサキって言わないのか。まあ、それは智にだけあげた名前だろうし。
「座りましょうか、とりあえず」
その言葉でミサキは俺の前に座った。テーブルを挟んでミサキと向かいあっていることに不思議さだけが湧き上がる。
「本当に存在してたんですね、あなたは」
「ええ、本当にいたんですよ」
「何か飲みます?仁さんに了承とっておけばよかったんですけど、正直そこまで頭がまわらなくて。飲んでいいのかわからないんですけどね」
「そうだね、仁は変にスイッチ入ると怒りだすから、何もしないほうが賢明かもね」
ふふふと微笑みながら返されて、体の力が一気に抜けた。
「いろいろと聞きたいというか言いたいことがあったような気がするんですが、なんかあなたを見たら自分がバカみたいに感じてます。今」
「僕には格好よく見えているよ?」
「え?」
「だってトモキのためにここにきたんでしょう?」
ミサキはトモキって呼ぶんだ、智のこと。トモキ……別人みたいに聞こえる。
「ええと……あなたはどうしたいのかなと。今日会うことは智に言っていないから、智がどうしたいのかは聞いていません。俺がどうしたいのかは散々伝えたので、さすがに理解してくれたと思います」
テーブルの上で握り合わせていた両拳に向かい側から長い指が伸びて、そっと重ねられた。
「大丈夫、僕は何もする気はないよ。前に進まなくちゃいけない、というかようやく進める時がきたから過去の自分には戻らない。だからトモキと過ごした時間を想い出にして歩き出そうと思っているよ」
「智もそう思っているでしょうか?」
「とっくにそう思えたから、君と一緒にいるんじゃない?賢そうなのに、そんなことを気に病んでいたんだ」
キュっと指に力が入って、さっきまでの微笑みは意地悪そうなものに変化した。手のひらが頬にのびてくる。俺はまったく動けなかった……まったく。
思った通りの冷たい手のひらに頬が包まれ親指がくすぐるように唇の脇を動く。
「トモキは僕が生まれ変わる切っ掛けをくれた。たくさん傷つけてしまったけれど、僕も痛かった。でもそんな傷はお互いとっくに治癒してるよ。トモキは強い。涙はあったけれど、僕が思い出すときに笑っている顔を思い出せるように、そんな決心の笑顔を残して去って行った」
「忘れないってあなたと約束した……って」
「へえ」
いいかげん、この手を離してくれないかな。でもなぜかそれが言えなかった。この人はそういう力をもっている。望まれているような錯覚を植え付けるのだ、不快感も与えずに。
「そんなこと君に言う必要ないのにね、トモキは強いよ、僕よりずっと」
「もちろん俺よりね」
仁さんにも同じことを言われた。7歳違いの大人の男。そもそも喧嘩を売ってどうしようというんだ。ボコボコにされても立ち向かったという証でも欲しかったのか?
智をかっさらっていかれても、抵抗したという事実があれば立ち直れるとでも思ったのだろうか残念ながら、意味がない。ほんとうに残念。
視界の中でドアが動く。そこには目を丸くした智が立っていた。
「宮さん……?なにしてるの?誰それ!」
ゾクゾクするほど冷たい智の声。ショコラ隊のドSがただのフリだということを実感する冷徹さだった。動けない俺の頬から手を離してミサキが振り返る。
「トモキ、いい男じゃないか。君の彼氏」
「ミ、ミサキ?」
「宮ちゃ~~~ん。スッキリした?それともなんかされた?」仁さんが智の横から顔をだした。
「ご無沙汰してますね」一度あったことのあるマスターが店内に足を踏み入れ
「お、君がハニー?」たぶん重さんだと思われる人間が最後を締めた。
修羅場じゃないけれど、こんなカオスが存在していいのだろうか!!!
「ミサキ……」
「トモキ、元気そうだね」
智は信じられないという顔でミサキに向かいあっている。ミサキは智に触れることなくやさしく微笑んでいるだけ。
「なんでこっちにいるの?」
あ、それ俺も聞きたかったことにリストアップされてたけど、それどころじゃなかった。
「こっちの支店に転勤が決まって。その前に用事があってね」
「そうなんだ」
智が俺に視線を向けた。正直たぶん一番ダメージを受けているのが俺で、力なくイスにもたれて智に視線を返す。全然格好よくなくてゴメンな、智。
「ミサキ、透になにしたの」
「なにも?」
意地悪そうに微笑むミサキをみて、何かを思い出したような表情が浮かんだ。そのあと口のはじだけで同じくらい意地悪そうに微笑む智。透って呼んでくれたのがなんだかうれしい。
「透、なんでそんなにオシャレしてんの?デートのつもり?」
ドS様が本気で怒っているようです。フラフラと視線を泳がせると仁さんが見えた。助けてほしいと視線を送ったのに、今にも舌打ちしそうな顔を智に向けている。仁さんなんで?なんでそんな顔を智にしてる?
「オシャレってか、鎧のつもりなんだけど」
「なにつまらないこと言って」
「このatoのカーディガンだって、このメガネだって、智がプレゼントでくれた。このシャツとパンツは一緒に選んだだろ。俺なりに全身固めてきたんだけど。今日は気合いが必要だったから。このあとも俺頑張らなくちゃいけないわけだし。でもごめんな。思った以上に格好悪いことになってる」
ハハハと乾いた笑いが口をつく。やれやれほんと格好悪いったらありゃしない。
次の瞬間身体が動いた。この場がどんな場かも、今がいつなのかも、ここがどこなのだろうがどうでもよかった。智が涙をこぼしたから。俺は智を抱くために腕を伸ばした。
「なんで僕が格好いいって思う姿でほかの男に逢いにいくんだよ!」
「いや、だってミサキだよ?相手」
「誰でもダメだ!」
「心強かったよ。ありがとう」
「……ぐう」
ごめんなヘタレで。額を合わせてグリグリする。
「と~も」
不貞腐れた顔にピンとが合わなくてがぼやけて見える。
「ミサキは智を連れて行かないって、俺それだけで、格好悪くてもなんでもいい。よかった。お前がここにいる」
「オヤジくさいよ……透」
「誰が何といっても、智はやりませんから。陵さん、あなたにもね、だれにもです。やりません!!」
結局重さんの後輩の店に移動となり、男ばかりの集まりが開始された。道中、マスターと重さんに自己紹介をした。仁さんは俺を無視してるので放っておいた。
「そもそもなんで、揃ってるんですか?皆さんが」
誰も何も言わないので俺が話すはめになる。
「そもそも今日君と逢うことになっていて」朝倉ことマスター。
「仁が混ぜろっていうからいいかなと。君とも顔なじみだし。忘れ物とりに店に寄るっていうからついてきてみたら、加瀬までいたってわけだ」重さん。
まったく仁さんは何をたくらんでいるのだろう。
「加瀬。こっちにくるなら来るって言っておいてくれよ、心臓に悪いって」
「ごめん、久。宮にあったら連絡しようと思ってたんだ。二人にも話があったし」
宮と呼ばれていることに気がついてびっくりする。さっき会ったばかりですよ?
「開店前に加瀬を招き入れなければ、智が加瀬に知り合うこともなかったって。そうずっとな……だからさ、いちいち電話で予定確認してたのに」
「マスター?それ、違いますっていいましたよ、僕」
「わかってる、智」
「朝倉のおかげでトモキを見つけたのは事実だけど、朝倉のせいじゃないよ」
ミサキが口をひらいた。俺はもう陵さんって呼ぼうと決めた。
「今までの経緯と加瀬の離婚話でさ、俺と重が安心したくて今日逢うことにしたわけだけど」
「すいません、ご心配ばかりかけちゃって」
神妙な俺を見てクスクス笑い出したのは重さんだった。
「いや、もう心配はなくなったよ。ハニーは智を誰にもやらない!って宣言したし、智は智で嫉妬に首まで浸かって泣き出すぐらいなんだからな。俺達の心配なんか下衆なおせっかいだったってのがわかったから。うんよかった、よかった」
横の智は耳まで真っ赤になっている。そりゃあそうだ、俺だってあの反応は正直びっくりしたけれど、新鮮でうれしかった。テーブルの下でギュっと手を握ってやる。
「ところで仁さん、なに企んでたの?」
「別に?俺は連絡係だよ」
不貞腐れた顔のまま、ボソっと答えが返ってきた。ただの連絡係があんな顔して智を見るかね。
「あのね。今日は僕が話をしていいかな」
静かに、けれど決然とした陵さんが僕らを見つめていた。
「それぞれみんなに話をしなくちゃいけないから今回帰ってきたんだ。仁の計らいで全員揃うことになったから、少し長くなるけど聞いてくれるかな?」
「僕はあいにく計らってないよ?」
「思惑がはずれたんだろ?仁。いい気味だ、こそこそするからだ」
重さんがニヤニヤして返すと仁さんは顎をあげて重さんを見据える。なかなかに色っぽい視線だけれど、重さんにはまったく効き目がないようで無視された。(仁さんでも敵わない人間がいたのか)
「ずいぶんかかったな。加瀬。でもまあ、お前のことだからこのままってことはないって思ってきたよ。それで今回の離婚の話だ。もしこれで何もなかったらさすがの俺も黙ってなかったぞ」
「重には一番何も言ってないけれど、だれよりも僕を待っていてくれると知っていたから。今までこんなにヤキモキさせたことはなかったよね。それは本当にごめん、あやまるよ」
「いや、別にいいんだよ。俺は気が長いからな。ただ、智は俺達にとって大事な存在だ。それはビジネスにおいてもだし、それ以外でもだ。何があったのかは察するにとどめているけれど、久の気に病みっぷりは鼻につくし、仁はあいかわらず俺に何もいわない。智に聞くつもりもなかったから、俺はお前を待っていた。いつものようにな」
「ありがとう、重」
「鼻につくって……ひどいな、重」
「久、今そこにこだわってる場合じゃないだろう」
大学時代からの友人である男が4人。どういう経緯で彼らがつながることになったのかはわからないけれど、それぞれの個性と役割があって形成されている。この重さんが俺をハニーと呼ぶなら、それでもいいかなと思えた。
優しく微笑んだ陵さんが、俺達に向かって話はじめた。
「昔ね……美咲っていう女の子がいたんだ」
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