59 / 138
第59話 弟のカレシ④
「随分と、オ、オープンな家なんだな。」
「うーん。どうなのかなあ。うちよりよっぽど真面目でお堅い家庭だと思うけどね。両親とも法律家で。まあ、だからこそ一般的な感覚とは違うところもある、かな。」
「で、おまえもちゃんと隠さずに家族にバラせとでも言われたのか?」
「いや、逆。言わないほうがいいって言われたよ。そんな風に理解してくれる親のほうが珍しい、ふつうの親兄弟だったら戸惑うだろうし、俺も傷つくかもしれないって。」
「そう、か。」宏樹はあぐらをかいた足の上で頬杖をついた。上半身だけ見れば、ちょうど「考える人」のようなポーズだ。
「でも、兄貴は……兄貴なら、わかってくれるかと……。」
「ふむ。」宏樹は考え込んでいる。
「キモイとか思ってる?」
「いや……。そこまで頭が回ってないってのが正直なところだな。びっくりするだけで精いっぱいだ。」
「悪いことしてるつもりはないけど、驚かせたことは、ごめん。」
「まあ、悪いことは、してないわな。」
二人で黙って向きあったまま、相当の時間が流れた。その間に何か動きがあったとすれば、宏樹が頬杖の腕を組みかえたぐらいのものだ。
「本当に好きなんだよな?」長い沈黙を破ったのは、宏樹のそんな言葉だった。
「うん。」
「じゃあ……しょうがないよな。」宏樹は頬杖から、腕組みポーズになった。「好きになるのは、どうしようもないもんな。」そして、自分を納得させるように、うんうんと何度も頷いた。
「あ…りがとう。」自然とそんな素直な言葉が和樹の口をついてきた。
「礼を言われることもないけどさ。何してやれるわけでもないし。」
「いいんだ、話、聞いてくれただけで。」
「俺ならわかってくれると思った、なんて言われちゃあな。……ん? 和樹?」
和樹の双眸から、涙があふれ出ていた。今日の俺は何なんだ、本日二度目の涙だぞ。涼矢のことを泣き虫呼ばわりしてた俺が。
「カズ、おい、どうした。」
和樹は着替えたばかりのTシャツの裾で、涙と鼻水を拭った。拭っても拭っても、止まらなかった。
「お、俺っ……。本当は、すげえ、怖かった……。」嗚咽しながら、和樹は語り出す。……俺は何を言い出しているのだろう。考えもしなかったことが口をつく。
「俺が、おまえのことキモイと言うかと思って?」
「ちが、違くて……きっと、俺、俺が……俺が一番、お、男が男好きになるとか、キモイって、どっかで思ってたんだ……それなのに……どうしても、そいつのこと好きでっ……どっか、おかしくなっちゃったのかって、不安で……。」
そんなこと、思ってない。最初こそ戸惑いはしたけど、涼矢を好きになったことを気持ち悪いとかおかしいとか、思ってない。なのに、どうしてこんなこと言ってるんだ、俺。「だ、誰かに、おかしくないって、言ってもらいたかったけど……誰にも、言えなくてっ……。だって、あいつのほうが、ずっと前から、そういうことで苦しんでて、だから、そんな風に考えること自体、あいつを傷つけてるみたいで、考えないようにして……。」
涙も、言葉も、止まらない。コントロールできない。脳を通さずに、勝手に口が動いてるみたいだ。「お、俺、あいつに、人を好きになることを悪いと思うなって、言ったんだ、安心させてやりたくて……、でも、本当は、俺は、俺のほうが、不安でっ……。そんなんで、俺、あいつのこと、本当に好きなのかって……それも、時々、わかんなくなる……でも、なんべん考えても、好きなんだ、けど、それを、誰にも言えないって、言ったら誰かが傷つくかもしれなくて、そんな、そんな恋愛って、意味あるのかなとか……考えると、怖かった……。」
「和樹。」宏樹はこの上なく優しい目で、泣きじゃくる和樹を見ていた。「大丈夫だ。おまえは、ちゃんとそいつのこと、好きになれてる。」
和樹はびしょびしょになったTシャツから顔を上げ、宏樹を見た。
「俺が言うのもなんだけど、きっと、良い恋をしてるんだと思う。」ラガーマンらしい分厚い胸板の前で、がっしりとした腕を組む宏樹の姿は、いかにも頼りがいがあり、和樹を安心させた。「おまえがそんなになるまで惚れるってことは、良い奴なんだろうなあ、その彼氏は。」
和樹は深く頷いた。
「まあ、そういう事情じゃ、ふつうよりかは、ハードルが高いことはあるんだろうが……その分、乗り越えれば、得られるものも大きいかもしれないよ。」宏樹は立ち上がり、和樹の肩をポンと叩いた。「がんばれよ。」そう言って、宏樹は和樹の部屋を出て行った。
和樹は宏樹の背中に深々とお辞儀をした。兄にそんな態度をとったのは、生まれて初めてのことだった。宏樹がいなくなった部屋の真ん中で、和樹はしゃがみこみ、また、少し泣いた。
ともだちにシェアしよう!