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第60話 a quiet day ①
翌朝、洗面所の鏡を見て、和樹はギョッとした。目は充血し、二重瞼が三重にも四重にもなっている。それでいて目の周りは腫れあがり、顔全体がむくんでいて、ひどい有様だ。心当たりはもちろんある。昨夜はあの後、ベッドに入ってからもまた泣いて、泣き疲れるように眠りについたのだ。
蒸しタオルか何かで温めたほうがいいのだろうか。それとも冷やしたほうがいいのだろうか。結局髭剃りの準備がてら蒸しタオルで温めて、剃った後には冷水で何度も顔を洗うという二刀流を試した。ついでに普段は面倒で使わないアフターシェーブローションも使ってみる。少しは引き締め効果があることを期待して。
充血は少し残っていたが、腫れとむくみはだいぶましになったと判断して、和樹はダイニングへ行く。宏樹はもう出かけたようだ。春から赴任する高校の準備がいよいよ忙しいらしい。
「はよ。」恵に挨拶をする。
「おはよう。あら、目が真っ赤よ。」
「うん、ちょっと、夜中まで音楽聴いたりしてたから。」
「大概にしなさいね。」
「うん。」
トースト。ベーコンエッグ。サラダ。ヨーグルト。絵に描いたような朝食だった。毎朝パン食と決まっているわけではない。恵の気分次第で和食の時もあるし、パン食なのに、前日の夕食の残りの煮物が並んだりする時もある。今日の献立は、おそらくは去りゆく和樹のために、恵が「朝食らしい朝食」を演出したものだろう。
「トースター。」突然恵が言った。「買ってなかったわね。」
「要らない。電子レンジ、トースター機能ついてるやつにしただろ。」
「そうだったっけ。」
「うん。」
「ポットは?」
「要らない。」
「ミキサー。」
「何に使うんだよ。」
「野菜ジュースとか、あとポタージュ作る時に……あなたは使わないか。」
「置き場所ないし、必要になったら言うから。」
「かわいくない子ね。」恵はにこにこしながらそんなことを言った。
恵は既に朝食を終えていて、食べているのは和樹だけだ。恵は「コーヒー飲む?」と和樹に聞いた。飲む、と答えると、二人分のコーヒーを淹れてくれたものの、ポットのお湯で淹れたインスタントで、大して美味しいものではない。涼矢が一杯ずつドリップしてくれたコーヒーのほうが格段に美味しい。
しかも、和樹も恵も、そのカップは何かの景品でもらった安っぽいマグカップだ。涼矢の家の美しい絵柄のコーヒーカップを思い出す。それは、特別な客として大事にもてなされている反面、身内ではないことの象徴だった。
「今日、父さん、早く帰ってくるんだよね。」
「そうね。」
「本当に帰ってくるかな。」社畜さながらの営業マンの父の帰りは、いつも遅い。
「今日は大丈夫だと思うわよ。お父さんがお店予約するって言ってたもの。」
「へえ。俺、寿司か焼肉がいいな。」
「さあ、どうかしらね。あまり期待しないほうがいいんじゃない。」
穏やかな朝だった。母親とそんな風に過ごす朝は久しぶりだった。高校があった時は、ギリギリまで寝ていて、会話もろくすっぽしないまま登校。土日は朝練があればやはり慌ただしく、なければ惰眠をむさぼった挙句、変な時間に起きては、友達とどこかに遊びに出かける。暴力沙汰のような激しい反抗期はなかった和樹だが、親に対しては長らく素っ気ない態度を取り続けていたように思う。
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