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第61話 a quiet day ②

「朝ごはん、ちゃんと食べてね。忙しい時は、菓子パン一個でもいいから。」と恵が言った。 「うん。」 「コンビニはアパートの近くにあったかしら?」 「あったよ。駅からアパートに行くまでに三軒あった。さすが東京だなって思った。」 「そんなところはしっかり見てるのね。」 「あのコンビニのどれかでバイトしようかな。」 「バイトのことは、生活のリズムがちゃんとできてから考えなさいよ。バイトに忙しくて単位落として留年、なんて、認めないからね。」 「はいはい。」 「本当に、和樹は、心配だわ。」恵は顔を覆って、ため息をついた。 「兄貴だったら、そんな心配しなくてよかったのにね。」  恵がキッとして和樹を見る。「そんなことない、心配の種類が違うだけで、それぞれ心配してるわよ。」和樹としては兄の優秀さを褒めたつもりだが、恵は兄弟を差別していると指摘されたように感じたらしい。 「俺は母さんが心配だ。」と和樹が笑う。「なんていうんだっけ。カラス症候群?」 「空の巣症候群、ね。和樹が東京行っちゃったら、そうねえ、淋しいわね。宏樹だって先生一年目じゃ忙しいんでしょうし、私、この家で一人ね。今までだってそうだったけど、今までとはきっと違う淋しさなんだと思うわ。」  淋しくなんかないわよ、と虚勢を張るかと思ったら、案外素直にそんなことを言う母親に、和樹は戸惑った。 「だからね、あなたの部屋、何かでいっぱいにしておきたいのよ。がらーんとしちゃったら、余計淋しいじゃない。」恵はそう言って淋しそうに笑った。 「なるべく帰ってくるよ。」と和樹が言う。 「いいわよ、交通費がもったいない。」恵お得意の「もったいない」が出て、和樹はホッとする。  穏やかな朝ではあったが、いつも通りの朝ではなかった。こうしてひとつずつ、儀式のように和樹の上京準備が、進められていくのだ。荷造りやアパートの契約だけが準備ではない。 「今日はどこか出かけるの。」と恵が聞いてきた。 「ううん。特には。」 「そう。」心なしか嬉しそうだ。 「食事は、父さんの連絡待ち?」 「そうよ。たぶん七時ぐらいじゃない?」 「わかった。」 「ああ、そうだ和樹、あなたの部屋の、あの大きなボストンバッグも送るの?」 「あれは当日、手で持っていく分。」 「写真集みたいなファイルが入ってたけど、あれも? あれはちゃんと箱に入れて送ったほうがいいんじゃない? バッグにあんな入れ方したら曲がっちゃうわよ。」  涼矢のCGイラストのファイルのことだ。それを恵が勝手に見たことに一瞬反感を覚えたが、「あんなもの何のために持っていくの?必要なの?」のような言い方はせず、大事なものとして扱ってくれていることに気づく。 「そうだね。入れ方、考えてみる。」和樹は素直にそう答えて、自分の部屋に戻った。

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