65 / 138

第65話 in the Pool ②

 二人はゴーグルをつけ、プールの中に入った。飛び込みは禁止なので、壁をキックしてスタートする。先にスタートしたのは涼矢だった。すぐ後を和樹が追う。  泳ぐのなんて半年ぶり? もっとかな。ああ、やっぱ水の中って良いなぁ。  和樹はそんなことを思ったが、その一瞬の隙に涼矢との差が開いた。なんだよ、手抜きしないにしても、そこまで真剣じゃなくてもいいのに。和樹は慌ててスピードを上げた。  コースはコースロープで区切られ、またコースごとに一方通行と決まっているから、ターンして連続で泳ぐことはできない。25メートルごとに、一度は足をついて立つことになる。和樹は先に到着した涼矢に並んで立った。 「そこまでスピード出さなくても。」と和樹が言った。 「そんなでもないだろ。おまえの体がなまりすぎなだけ。今なら余裕で勝てる。」 「いやいや、俺が本気出せば……。」そこで和樹は黙った。さっきの小学生集団がさらに目をキラキラさせて、こちら側まで大移動してきたのだ。「でもまあ、期待には応えられたっぽいぞ。」 「次はおまえ先に行け。俺、右から追い抜くから、右側空けて泳げよ。」コースロープをくぐり、隣の復路のコースに移動しながら、涼矢が言った。 「ざけんな、させるか。」  そうは言いつつ、和樹は右側を空けて泳いだ。かなり本気で泳いだつもりだが、足先に涼矢の手が触れる程度には接近され、すんでのところで抜かれずに済んだ。 「50だったら、抜けた。」 「そうだな。」あっさりと負けを認める和樹。「おまえの言う通り、なまってんな。体が重いの、わかるもん。」 「俺だって前と比べたら全然だ。」  その時、「ねえねえ」と、こどもの声がした。例の小学生集団の一人だ。「どうやったらそんな風に泳げる?」  和樹と涼矢は顔を見合わせる。先に遊泳コースに向かったのは和樹だ。涼矢も後に続く。 「どこまでできんの。」と和樹が尋ねると、こどもは「7級!」と答えた。「えーと、それは何メートル泳げる感じ?」 「15メートル!」「一回だけ25メートル泳げたんだけど、進級テストの時20メートルのとこで足ついちゃってー」「俺は5級だぜ」「1組にさぁ、超泳げる奴いる」「知ってる知ってる、あれって1級?」 「おまえらいっぺんにしゃべるな。で、最初のおまえ、3年2組の伊藤、15メートルってのはクロールか?」和樹はこどものスイミングキャップに縫い付けられた名前を見ながら言った。 「クロールも平泳ぎもできるよ、でも、どっちも25メートル行かないんだ。」 「ふーん。じゃ、とりあえず泳いでみて。好きなほうでいいから。」 「えー、俺一人で?」「俺も見てー」「僕もー」 「うるせえって。いっぺんにしゃべるなっつってんだろ。一人ずつ見てやるから。まずはおまえだ、伊藤。」  伊藤少年は意を決して泳ぎ出す。よろよろとしたクロールだ。手はかいているが、それは何の推進力にもなっていない。息継ぎのつもりで顔を上げるようだが、そのせいでフォームが大きく崩れ、そのくせ口をぎゅっと閉ざしていて、明らかに息継ぎはできていない。 「……涼矢。」 「ん?」 「あれは、どう教えてやったらいいんだ?」 「お、おまえがっ……。」  小声ではあるが、他のこども達に会話を聞かれているかもしれないので、あまり無碍なことは言えない。 「伊藤、くん。」涼矢は15メートル先で息を切らして立っている少年の元に行った。「バタ足はできるよね。まずはバタ足やってみようか。」やらせてみると、バタ足は普通にできるようだ。「ちゃんとできてるよ。足はそれでいい。次は、息継ぎはしなくていいから、手の動きに集中してみて。」  その後、涼矢は伊藤少年に手の動かし方を教えては再現させ、息継ぎなしなら20メートルほど、ある程度きれいなフォームで泳げるところまでこぎつけた。伊藤少年の仲間たちも、短時間で格段に良くなった泳ぎに目を丸くした。 「はい、じゃ、五分休憩。」と涼矢が手をひとつ叩くと、こどもたちは「はいっ」と素直に聞いた。休憩と言いつつ、みんなで水のかけあいっこなどして、ちっとも休んではいないのだが。  壁にもたれて、そんなこどもたちの様子を眺めつつ、和樹は「おまえ、コーチに向いているんじゃない?」と言った。 「なんで俺がこんな……。」 「俺も涼矢センセに習いたいなー。」和樹がニヤニヤする。  涼矢は和樹のキスマークを指先で弾くようにした。「おまえに教えることなんかねえよ。」 「俺がおまえに教えられることと言ったらだな。」 「それ以上何も言うんじゃねえ。それより、あのチビッコ集団、あと四人いるぞ。どうすんだよ。」 「適当に教えてやりゃいいんじゃない? おまえならできんだろ。」 「ふざけんな。俺一人にやらせる気かよ。和樹は、あのでかい奴と、眉毛の奴、担当しろ。あの二人は5級だからまだ楽だろ。」 「なんで5級ってわかるの。」 「キャップのネームタグの上に、数字が書いてある、あれが級だ。たぶんな。」 「さすが観察眼鋭い。それもおふくろさん譲りか。」 「五分経った。行くぞ。」  真面目過ぎるだろ、涼矢。まあ、そういうところが、おまえの良さなんだけどな。和樹は笑いを噛みころした。でも、俺たち、今日、デートなんだけどなあ……。

ともだちにシェアしよう!