68 / 138

第68話 スキ・キライ・キス③

 和樹は気分転換を兼ねて、母親にスマホで連絡を入れた。後で友達を連れて帰る、と。しばらくして、夕食はどうするのか、友達も一緒に食べるのかを尋ねる返信が来た。気がつけばもう夕方で、母親が夕食を気にかけるのも無理がない時間帯だ。 「涼矢。」和樹が呼びかけただけで、ギクリとして全身を硬直させる涼矢。「うちで、メシ食ってくか?」 「あ…ああ、うん。いや、悪いし。いいよ。」よほど自分の過剰反応が恥ずかしかったようで、和樹と目を合わせようとしない。 「遠慮しなくていいって。うち、兄貴も俺も急に友達連れて帰ることなんか良くあったし、そういうの、慣れてるから。」 「え……じゃあ、お言葉に甘えようかな。」まだ、目を合わせない。 「オッケー。」和樹は恵に返信する。スマホを見たまま、和樹が言う。「そんなビクビクすんなよ。」 「ビ、ビクビクしてるわけじゃ……。」  和樹は涼矢の耳元に顔を寄せて囁く。「俺ら、もっとすごいこと、してるだろ?」  涼矢はようやく和樹を見たが、憤懣やるかたないという表情だ。「そ、外で、そういうこと言ったりすんの、本当、無理だから、やめて。すぐ後ろに、人だって、いるし。」小声で言うが、その声にも怒りがこめられている。 「涼矢。」  涼矢は、今度こそビクビクなんぞしていないと見せたいのか、睨むように和樹を見た。  和樹は声に出さずに、大袈裟に口をパクパクさせて言った。『だ・い・す・き』 「……おまえ一度、三途の川を泳いで渡って来い。」 「涼矢センセが、泳ぎ方を教えてくれるならね。手取り足取りで、ね。」  涼矢は言い返せず、悔しそうに押し黙った。いつも最終的には涼矢に負けて、主導権を握られている気がしていた和樹は、この涼矢の悔しがりぶりに内心歓喜した。 「さて、今日のごはんはなーにかなっ。涼矢くんは、辛いものと、キノコと、何がダメなんだっけ?」ここぞとばかりに、ふざけた口調でそんなことを言ってみたりする。 「茄子。」ムッとしながら涼矢が言う。 「そうそう、茄子。おふくろに言っておくね。でも、好き嫌いしちゃダメだよ、涼矢くん。」 「食えないわけじゃない。出されれば食う。」 「じゃあ、好きなものはなーにかなっ?」微妙なメロディーまでつけて、和樹が言う。 「好きなもの……。」涼矢は和樹を睨みつけたまま、いきなり和樹の後頭部に両手を伸ばした。それから小声ではなく、通常の音量で「おまえが一番好きだよ。」と言うや、強い力で和樹の頭を引き寄せ、思い切りキスをした。しかも、なかなか長い時間、離そうとしない。やっと離れたかと思うと、涼矢は悠然と「ごちそうさま。」と言った。口だけはにっこりと口角を上げているが、その目はちっとも笑っていない。  さっきまでおしゃべりに興じていた後部座席のグループが急に静かになり、今のキスシーンの一部始終を見られたことが察せられた。  和樹は顔から火が出るほど恥ずかしく、涼矢に何か言ってやりたかったが、何も言葉が出ず、さっきとは違う意味で口をパクパクさせるばかりだ。 「何、その顔。」涼矢が冷たく言い放つ。 「……調子に乗って、すみませんでした。」  今回もまた、和樹の負けだった。  次の停留所では更に多くの乗客が乗り込んできて、バスはほぼ満席となった。そのざわめきで一時的には多少気まずさは散ったものの、そこから先の、乗り継ぎをする停留所までの10分は、和樹にとっては地獄のような時間だった。涼矢は無表情のままだが、話しかけるなオーラがすごい。背後のグループ客も、連動するようにしゃべらなくなってしまっていた。

ともだちにシェアしよう!