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第70話 Stairway ②

 二人は和樹の部屋に行く。 「エプロンとスリッパ。」涼矢が呟いた。 「え?」 「エプロンとスリッパのお母さんって、初めて見た。ドラマや漫画でしか見たことない。」 「へえ。」涼矢のお母さんは確かにそういうタイプではなさそうだ。 「で、噂通り、美人だ。」 「ありがと。本人に言ってやったら、喜ぶよ。」 「和樹に似てる。あ、違う、和樹がお母さんに似てるのか。」 「俺も美人ってことだな。」茶化したつもりだったが、涼矢はうなずく。 「お母さんのDNAに感謝しなよ。」  ああ、そうだ、涼矢の奴、俺の顔がどストライクなんてこと、言ってたな……。嬉しいけど、なんか変な感じ。 「ごめんな、段ボール箱の山で。」 「いや、山ってほどじゃない。逆に、これだけで足りるの?」 「家電とかは新しく買って店から直送だし、着る物ぐらいだからな。……ほら、見て、この 箱。」和樹が積んである段ボール箱のひとつを指差した。 「え、何。」奥のほうの、低い位置にあるその箱を見るために、涼矢はかがんだ。すかさず和樹が箱と涼矢の合間に入って、涼矢の目線と同じになるまでしゃがみこみ、そのまま軽い口づけをした。「この部屋、鍵かかんないんだ。」 「だから、キス? 関連がわかんないんだけど。」 「この位置なら、急にドア開けられても、死角で見えないだろ。」  涼矢はハッと短く笑った。「よくもまあ、次から次にくだらないことを思いつく。」 「くだらなくないでしょ。」和樹は右手で涼矢の手を握り、左手を涼矢の背中に回し、抱き寄せた。「キスしていい?」 「もうしただろ、たった今も。」 「ちゃんとしたやつ。」 「おまえ、最初の時も、そんなこと言ってたな。」 「いい?」 「なんでわざわざ聞くの。いつも聞かないじゃない。」 「怒るから。」 「……怒らねえよ。」 「やっぱ聞き方変える。涼矢は、今キスしたい気分?」 「え……。」 「涼矢がしたくないなら、しないし。したい?」 「……うん。」 「良かった。」和樹は涼矢にキスをした。舌をからめる、「ちゃんとしたキス」。涼矢はもう、初めての時のように、体をこわばらせたりはしない。 「好き。」と涼矢が言い、和樹に抱きついた。 「やけに素直。」 「好きって言えって言われた気がしたから。」 「心の声、聞こえちゃった?」 「うん。」 「ほかには、何か聞こえる?」 「ああ。」 「何?」 「今すぐ、押し倒してやりてえ。」  和樹はむせるように笑った。「すっげえ、正解。」 「和樹なんか、だいたい今のこと言えば正解するだろ。」 「失礼だな。」和樹は笑う。笑いながら、もう一度キス。 「でも、今日のところは、いい子だから唐揚げで我慢しな。」 「唐揚げじゃ無理だよ……。」和樹は涼矢の服の中に手を入れて素肌に触れた。 「だめだって。隣にいるんだろ、お母さん。」 「萎えること言うなよ。」すぐに手を戻した。  和樹は立ち上がる。ずっとしゃがんでいたせいで、少し痺れていた足をぶらぶらさせる。涼矢はそのまま箱の陰に座っていた。  玄関から物音がした。 「ただいま。」宏樹の声だ。「誰か来てるの。」 「和樹のお友達。」恵の声。 「ふうん。」 「今日ごはん食べて帰るって言ってなかったっけ?」 「それ、明日だよ。研修の帰りにみんなで食べようって。」 「あ、そう。じゃあ、今日はうちで食べるのね。良かった、多めに作っておいて。」  そんな会話の後、宏樹が和樹の部屋の前を通る気配がした。宏樹の部屋は和樹の部屋の斜め向かいだから、そこに行くためだろう。 「お兄さん?」 「うん。」そう言ったきり、和樹は黙り込む。  いつもとは雰囲気が違うことに気づいた涼矢が、「どうしたの? 仲良いんだよね?」と問いかける。 「うん。」和樹はまた黙る。顎に手をやり、何やら考え込んでいる。しばらくして意を決したように、涼矢のほうを向いた。「涼矢。」 「どうしたよ?」 「兄貴、さ。」 「うん。」 「知ってんだ。」 「えっ?」 「話した。俺らのこと。」  涼矢は目を見開いたまま、何も言わない。 「兄貴は理解してくれた、と、俺は思ってる。だから、兄貴には、ちゃんとおまえを紹介したいんだけど。」 「あ……。」 「だめ?」  涼矢は困惑を隠さず、眉間にしわを寄せて黙っていた。

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