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第72話 Stairway ④
和やかに、かつ賑やかに、食事は進んだ。和樹のアパート選びの時の話。宏樹が赴任する予定の高校の話。大相撲と野球とサッカーの話。人見知りで口下手な涼矢でも、ただ相槌を打ってさえいれば済んだ。和樹のコミュ力の高さの源を思い知る涼矢だった。
新たな話題として、恵は結婚して社宅に入る際に、泣く泣く愛用のピアノを実家に置いてきた話をした。
「そう言えば、涼矢んちに、ピアノあったよな。あれ、お母さんが弾くの?」和樹はリビングにアップライトピアノがあったのを思い出した。
「あれは……。」涼矢が赤面した。ここまで誰も涼矢を困らせる話題を振らなかったと言うのに、当の和樹が何やらやらかしてしまったようだ。「俺の。」和樹の家族の前では「僕」と言っていた涼矢が、「俺」と口走った。
「えっ? おまえピアノ弾けるの?」
「弾けるというほどじゃ……。」
「今も?」恵が興味を示す。
「いえ、中学まで。」
「どんな曲弾いてたの?」
「ショパンのエチュードに入ったところで、高校受験でやめました。それっきりなんで、今はもう指、回らないと思います。」
「でも、すごいじゃない。」
「知らなかった。」和樹はショパンのなんとかいう曲がどのぐらい「すごい」のかわからないが、涼矢の知らない一面をまたも見せつけられた気がして、少し淋しい。「涼矢、絵も上手だし、料理もできるし、すげえな。」
「なんでもできるのねえ。親孝行だし。」恵は羨ましそうに言う。
和樹は不肖の息子としていたたまれない気持ちになったが、同時に、誇らしくもあった。俺の恋人は、なんでもできる、すごい奴なんだと。宏樹はこの話題には加わらずに、穏やかな表情でそのやりとりを聞いていた。更にそんな宏樹のことを、涼矢は常に意識していた。
「お料理もできるの?」恵はさっき和樹が口にしたことをしっかり聞いていたようだ。
「母が仕事でいないことも多いから、必要に迫られて作ってるだけで、簡単なものしか。」
「昨日ね、和樹がオムライス作ってくれたの。和樹が作るお料理を食べたのは初めてで。それが、なかなか美味しくて。」
「オムライス?」涼矢が和樹を見る。
「母さん、いいから、その話は。」和樹は慌てて恵を黙らせようとした。
「なあ。」宏樹が口を開いた。「田崎くんは、ゲームやる人?」
「ゲ、ゲーム、ですか?」
「"Zの逆襲"っての、知ってる?」
「あ、はい。やったことあります。」
「後でやろうよ。カズはゲーマーじゃないからさ、対戦できないの。」
「え、ああ、はい。」涼矢は話の急な展開についていけないまま、断り切れずに了承した。
宏樹の思惑。オムライスの話題を止めたのは、きっと何かを察してのことだろう。だが、涼矢をゲームに誘う意図はわからなかった。
食後、和樹たちは揃って宏樹の部屋に向かった。和樹はいったん涼矢と二人きりになりたかったが、タイミングがなかった。涼矢は少し不安そうだが、食事の前ほどではない。
宏樹の部屋は和樹の部屋より広く、テレビもある。和樹も自分専用のテレビを欲しがった時期があったが、「試験で何位以内になったら」「検定に合格したら」といった購入条件の課題にことごとく失敗して、買ってもらえなかった。そのうち、部活やデートで家にいる時間もほとんどなく、ゲームもしない自分にとってのテレビの優先順位が下がり、結局自室に専用テレビが置かれることはないままとなった。
部屋に入ると、宏樹はひとつだけあるクッションを涼矢に勧め、自分はあぐらをかいて床に座った。和樹も同様に座った。
「今日、こっちの部屋使っていいよ。」と宏樹が言いだした。
「へ?」と和樹。涼矢もキョトンとしている。
「おまえの部屋は荷物いっぱいで布団敷くスペースないだろ。俺がカズの部屋で寝るから、二人はこっちで。」
「ちょっと、兄貴。」
「なんだ?」
「と、泊まるわけじゃないから。」
「泊まらないの? カズはこの間、田崎くんちに泊まったんだろ?」
和樹は動揺して、口ごもってしまった。
「帰らなくちゃだめなのか?」と、宏樹は涼矢に直接問いかけた。
涼矢も動揺が隠しきれない。「あ……そういうわけでは……ただ、何にも、考えてなくて。」
「じゃあ、泊まっていけば。」
「あ、あの、兄貴。」和樹は焦る。何からどう話せばいいのか。
「だって、そういう仲なんだろ?」
二人して同時に真っ赤になる。「あああ兄貴、ものごとには、手順というか、段階というか。俺、まだ何も。」
「手順てなんだよ。おまえら見りゃわかるし、俺は人の恋路を邪魔するつもりはないんだよ。」
「その、ちゃんと、しょ、紹介とか。……あっ。」和樹は涼矢を見る。「嫌だったらしないけど。」
「……このタイミングで嫌も何も……。」ごく小声で涼矢が言う。
「か、か、彼は、田崎涼矢くんと言いまして、その。」半ばやけっぱちのように、和樹は上ずった声で話しだした。「お、おつきあいを、させていただいております。」
涼矢は困っているような、笑いをこらえているような、複雑な表情を浮かべながら、硬直していた。
宏樹は「うん。」と言って、うなずいた。
和樹は「そ、それだけです。ご清聴ありがとうございました。」と言って、何故か宏樹と涼矢双方に頭を下げた。
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