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第85話 幸せのカタチ⑥
「何笑ってんのよ。」
「いや、言い得て妙だなと思って。」
エミリの顔が赤くなったと思ったとたんに、突然、クスクスと笑いだした。「だよね。あいつ、馬鹿だもん。プール掃除の時とかさ。」何か思い出したようで、クスクス笑いにとどまらなくなった。
「ああ、あったあった。プールサイドでデッキブラシで戦いごっこして、プールに落ちて。」不機嫌そのものだった桐生も笑う。
「あの馬鹿のどこがいいの。あんなの、顔だけのチャラ男でしょ。」エミリは泣き笑いの様相を呈してきた。
「残念ながら、その馬鹿なところと、あの顔が好きなんだ。」涼矢も少し笑い、それから少し真顔に戻った。「でも、チャラ男じゃないよ。それはエミリも知ってるだろ。」
エミリは泣きやんでもまだ残っている目尻の涙を指先で拭うと、「うん。知ってる。」と言った。「和樹は、良い男だよ。みんなに優しくて、何にでも一生懸命で。顔だけの男じゃない。モテて当たり前。わかってるよ。」エミリは桐生のほうを向いた。「カノン、悪いけど、ちょっと二人だけで話をさせてくれる?」
「うん。席、外そうか。」
「ううん、カノンはここで待ってて。すぐ戻る。涼矢、ちょっとこっち来て。」エミリは涼矢の手を引いて、公園エリアの更に端にあるトイレの陰まで連れて行った。トイレとは言え、幼児向けにメルヘンチックな装飾が施されていて、可愛らしい建物だ。
「涼矢、ごめんね。あたしが変なこと言って。」
「そんなこと……俺のほうが。」
「あのね、強くてかっこいいって、本当はすごく嬉しかったよ。あたし、強くてかっこいい女に憧れてたから。それに、涼矢もそういう子が好きなんだと思ってたの。でも、涼矢は、女じゃ、だめだったんだね。」
「ごめん。」
「謝らないでよ。涼矢のせいじゃないもの。でも、いっこだけ、お願いがあるんだ。」
「何?」
「あたしにキスしてくれない? いや?」
いやかどうかの以前に、自分には恋人がいる。そのことが涼矢を戸惑わせた。
「あたしは、誰ともキスしたことない。これがファーストキスなの。キスしてくれたら、それで全部諦めて、思い出にするから、キスして。」
いくら経験値の少ない涼矢と言えど、女の子がここまで言うのは相応の覚悟があってのことだと言うのは想像できた。それを断ることなど到底できない。和樹がこの立場だって、同じ決断をするはずだ。そう思って、涼矢はそっとエミリの肩を抱いた。和樹相手の時とは違って身長差がある分、かなりかがんで、顔を近づけた。エミリが目をつぶった。直立不動で、小刻みに震えている。そんなエミリに、涼矢は優しく優しくキスをした。緊張してぎゅっと閉ざされたままのエミリの唇は、それでも柔らかかった。抱いた肩も、水泳選手の彼女は一般の女の子以上にがっしりとしているはずだが、思っていたよりも全然華奢で、頼りなかった。『女の子は小さくて柔らかい』、そんな和樹のセリフを実感せずにはいられない。
唇を離しても、エミリはまだ目をつぶったままだった。
「エミリ?」
涼矢の声で、ようやく目を開くが、うつむいたままだ。「は、恥ずかしくて、あんたの顔、見られない……。」と呟く。それを見て、和樹に初めてキスされた日の自分もこうだったのだろうと思う涼矢だった。
「俺もファーストキスだよ。女の子とは。それで、きっと最後だ。」
エミリは顔を上げた。「あたしが、最初で最後の、キスした女の子?」
「ああ。」
「そっか。」エミリはにこっと笑った。「女はあたし一人か。いひひ。」
「変な笑い方するなよ。」
「ありがとう。これでもう、すっきり。」エミリはそう言うと、スタスタと歩きだし、桐生の待つベンチへと向かった。涼矢は少し間を空けて、その後をついて行く。
「あっ、エミリ、すごいの!」桐生は待ちかねたとばかりにエミリに駆け寄り、ちらちらと涼矢を見ながら、何やらエミリに耳打ちをした。
「えっ、うそぉ。」エミリは目を見開いて驚いている。
「だから、ね?」
「うん、ありがと。」エミリは涼矢を手招きした。「あのね、涼矢、今から私が、ある場所について話をするけど、どこかわかっても、そっちの方向は見ないで聞いて。」
「ちょっと、エミリ。私はあんたと涼矢で……。」
「いいのいいの。」
二人の女の子の謎の言動に戸惑いながら、涼矢はエミリの言葉に耳を傾けた。
「Pランドには言い伝えがあって、園内のどこかにハート型の石があって、それを二人で見つけたカップルは幸せになるんです。」
涼矢はうなずく。
「その石は、このすぐ近くにある、花時計の六時のところにあります。カノンがさっき見つけたんだって。あっ、今、そっち見ちゃだめだからね! あたしたちがカップルになっちゃうから。」エミリは一歩足を踏み出して、さっきキスした時と同じぐらい涼矢のそばに来て、涼矢を見上げた。「後で、バカズキと来ると良いよ。」
「エミリ……。」
「そういうわけ。じゃあ、みんなのところに行こうか。」
力強くそう言って、踵を返して、桐生のほうに戻っていく。
「大丈夫なの?」と桐生が言った。
「平気平気。これでこのまま帰ったら、今後みんなと会いづらくなるし。涼矢も、でしょ。」
「ああ、うん。」エミリの力強い言葉の勢いに載せられてそうは言ったものの、考え直した。「いや、俺はどっちにしろ、会いづらいには変わりないけど……。」
「やだ、そんなウジウジしてんじゃないよ。あたしなんかみんなの前で振られたんだよ。あんたはラブラブハッピーなんでしょ。胸張っていればいいじゃん。てか、そうしてくれないとあたしがかわいそうすぎる。」
涼矢はクスッと笑った。「やっぱりかっこいいな、エミリは。」
「そりゃそうよ。それがあたしだもん。」
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