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第89話 ジェラシー①
電車は充分な空席があったが、会話しづらいという理由で四人は立つことにした。その甲斐あってと言うべきか、ひとしきり雑談で盛り上がった。話題は文化祭や体育祭のこと、名物教師のこと、購買のパンのこと。卒業したての四人にとってはどれも最近のことで記憶も鮮明だが、きっとこれからは共通の思い出話として何度も繰り返す。そうしていくうちに話が盛られていったり、あるいは色褪せたりしていくのかもしれない、どうということのない話。それは尽きることがないように思われたが、とうとうカノンの降りる駅が近づいてきた。
カノンは降り際に「また、みんなで集まろうね。」と言った。男三人は、ああ、とうなずき、カノンに手を振った。電車が動き出し、カノンの姿が見えなくなると、柳瀬がため息のような息を吐いた。
「お疲れ。今日、おまえが幹事なんだろ?」と和樹が言った。
「幹事っつうか、言いだしっぺってだけだけど。」
「いろいろひっかきまわすことになっちゃって。悪かったな。」
「まったくだよ。」柳瀬は苦笑する。「実は今日のこと、宮野のたっての希望でさ。あいつ、自分の車も買って、いよいよこれで女の子との距離を縮め、あわよくば帰りは助手席に誰か乗せてお持ち帰り……というプランだったんだ。いや、俺だって、そのプラン、宮野から聞いた段階で無理があるとは思ってたけど、いくらなんでもこういう展開は予想してなかった。」柳瀬は改めて和樹と涼矢をじっと見た。「おまえらがなあ……。正直、まだちょっと受け止めきれてないよ。とりあえず、何年か後の同窓会で性転換してきた奴がいても、大して驚かねえことは間違いねえな。」
柳瀬のそんな話を聞いていた涼矢は、「これって、どのぐらいの衝撃なんだろう……。」と言った。
「え?」柳瀬も和樹も涼矢の言葉の意図がわからなかった。
「俺らのことって、誰かが性転換するより衝撃的なんだろ? 同級生にありうることとして、俺らを超える衝撃って何だろうって思って。」
柳瀬は上を向き、顎に手をあて、考えた。「銀行強盗や殺人みたいな、すげえ事件を起こすとか?」
「凶悪な犯罪者並か……。」涼矢の顔が暗くなる。
「あ、悪ぃ、そんな、変な意味で言ったんじゃないよ。ほら、ほかにも、なんだろ、売れっ子芸能人になるとか、オリンピック出るとか! そういうのも、超びっくりすると思うし。」柳瀬は懸命にフォローをした。
「そんなに特別なことじゃないと思うけどな。」和樹は柳瀬に向かって言った。「おまえがヒナちゃんを好きになるのと、何も変わらないよ。」
「あ、ああ、うん。頭ではさ、わかってるよ。俺だって。」柳瀬は気まずそうに鼻の頭を掻いた。「でも、おまえらは二人ともずっと友達だったから、そういうことと結びつかないっていうか。だってさ、俺と宮野がつきあっても、おまえら、なんとも思わないわけ? ふつうに受け容れられる?」
和樹と涼矢は顔を見合わせた。和樹の唇がプルプルと震えて、それを見た涼矢も同じ顔になった。
「な、そういう顔になっちゃうだろ?」
「柳瀬、それは人選ミスだろ。宮野はやめてくれ。」和樹はクックッと笑いだし、止まらなくなっていた。
「ああ、そうか。」柳瀬がポンと手を叩いた。「わかった、おまえら以上の衝撃は、宮野に彼女ができること。」
ついに涼矢まで笑いだし、三人は他の乗客からの白い視線を浴びながら、しばらく笑っていた。
やがて三人の降車駅に着いた。改札を出ると、「夕飯、どこかで食っていく?」と和樹が柳瀬に聞いた。
「いえいえ、お邪魔虫は退散しますよ。どうぞお二人でごゆっくり。」柳瀬はへらへらと笑った。「都倉、こっち戻った時は連絡くれよ。召集かけるから。」
「おう。じゃ、またな。」和樹は手を振る。涼矢が便乗して手を振ると、柳瀬がハイタッチの仕草をしたのでハイタッチをした。
「涼矢はいるんだから、また近いうち遊ぼうぜ。」
「おまえ浪人生だろ。勉強しろよ。」
「厳しいこと言うなぁ、息抜きも必要だっての。」
「どうせ息抜きばかりのくせに。」
「ひっでえ。」そう言って笑いながら、柳瀬はフェイドアウトして行った。
和樹は黙って歩き出す。どこに向かおうとしているのはわからない。夕食を取るためにならば、駅前の繁華街のほうが店は多い。でも、どんどん脇道へと進む。それでも涼矢は何も言わずに和樹の後についていった。やがて、ようやく和樹は足を止めたが、取り立てて何があるというのでもない、ただの薄暗い道端だった。
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