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第98話 My sweet home ②
和樹は困惑した顔をする。「父親がそれってのは、ちょっと、たまんねえかもな。」
「たまんねえよ。たまにしか会わないから耐えてる。」涼矢は手を離した。「だから、親父には和樹のこと、まだ、言えない。おふくろも親父の性格はわかってるから、何も言ってないと思う。」
「ああ、うん。わかった。」和樹はそこで思い出し笑いをした。
「何だよ。」
「おまえの部屋の隣。書斎だっけ、あのジオラマ、お父さんが作ったんだよな?」
「そう。あれも、本人の趣味ってのもあるけど、俺の情操教育のためらしい。あの街並みの中には俺ん家があって、ご丁寧に三体の小さい人形があるんだ。」
「なんか、涼矢の親って、キャラ濃過ぎ。」
「ホントだよ。和樹ん家が羨ましい。」
「ザ・平凡だからな、うちは。」
次の曲がり角を曲がれば、涼矢の家が見えてくる。その地点までたどりついた二人は、ふと足を止めた。
「……俺と出会わなければ……俺が、告白なんかしなかったら、和樹は、ふつうの」
「涼、それ以上言ったら、怒るよ。」
「……ごめん。あと、送ってくれてありがとう。ここでいい。」
「ん。明日、会える?」
「たぶん。親父の絡み具合によるけど。」涼矢は苦笑した。
「苦手かもしれないけど、お父さんのこと、大事にしろよ。俺は、涼矢も、涼矢の家族も、自分の家族も、大事だから。それ、おまえに教えてもらったことだから。」和樹は涼矢の肩をポンと軽く叩いた。「一番大事なのは、おまえだけど。」
「知ってる。」涼矢ははにかんだように笑うと、あっさりと背中を向けた。「じゃ。」
「うん。おやすみ。」
「おやすみ。」
和樹は曲がり角から顔をのぞかせ、涼矢が家の中に入るところまで見届けた。涼矢は一度も振り返らなかった。
そこからまたゆっくり歩いて帰ったので、和樹が帰宅したのは、もう23時をまわっていた。出がけにクラスのメンバーと遊園地に行くとだけ伝えたきり、何も連絡してこなかったことについて、恵に小言を言われる。ダイニンクキッチンには珍しく父親の隆志がいて、遅い夕食を取っていた。和樹は自分も夕食を食べ損ねていたことを思い出した。
「俺もなんか食いたい。」
「食べてきたんじゃないの。」
「食べたけど、また減った。」和樹は嘘をついた。が、食べざかりの息子のそんなセリフは珍しくもない。恵は特に違和感を覚える様子もなく、「まったくもう」と言いつつ、支度を始めた。
「昨夜の彼は、学校の友達か。」と隆志が聞いてきた。昨夜の彼、という言葉にドキッとするが、特別な意味合いはないはずだった。
「うん。クラスと部活が一緒だった。」
「随分、大人びた子だね。おまえと同い年とは思えない。」
「そうなのよ。」恵は、いかにもな有り合わせのおかずと白飯を配膳しながら、割って入ってきた。「挨拶はきちんとしてるし、お皿洗いはしてくれるし、頭も良くて。N大法学部ですって。それでピアノもショパンが弾けて……。」
「詳しいな。」隆志は笑う。
「とっても感じの良い子なんだもの、ファンになっちゃった。」
必要最低限のことしか口にせず、しかし最低限の礼儀はわきまえている涼矢は、大人の目には落ち着いた好青年に映るらしいことを和樹は知った。しかし、涼矢と自分との関係を知ったら、恵も隆志も卒倒するだろう。昨夜、この家の中で、息子がその"とっても感じの良い子"と何をしていたかを知ったら。つい一時間前には、どこで何をしていたか知ったら。
両親に涼矢のことを褒められれば褒められるほど、和樹はいたたまれない気分になった。涼矢が自分の"彼女"だったら、こんな風に親に気に入られることも手放しで喜べたに違いないけれど。そう思いつつも、実際そうなればきっと違うのだろうとも思う。"息子の彼女"だったら、恵はもっと敵愾心むき出しで品定めをしたのだろうし、その結果「愛嬌もないくせに、皿洗いなんかで気に入られようとする小賢しい娘」などと思われたかもしれない。だんだん涼矢の母・佐江子が女神のように思えてくる和樹だった。
翌日、昼過ぎになっても、涼矢からは何の連絡もなかった。こちらから連絡したとて悪くはないのだろうが、親子水入らずの邪魔をしたら悪いという思いもあり、結局何もできなかった。恵に今日の予定を聞かれても曖昧な返事しかできないまま、時間が過ぎた。午後二時を過ぎるとさすがに苛立ちを覚えた。いくら忙しいと言っても、電話一本、メールの一つぐらいできるでしょう。それは母親からも元カノからも言われたことのあるセリフだ。うっとうしいとしか思えなかったセリフを、自分が涼矢にぶつけたくなる衝動にかられる。
本屋にでも行って時間をつぶそう。和樹はそう思って自転車で町に出た。近所では一番大きな書店の前まで来て、自転車を止めようとしていると、スマホが振動した。涼矢からのメッセージだった。自転車を安定させてから、確認する。
[グッドニュースとバッドニュースがある]
[なんだよ]
[良いニュース 親父は今日の夜または明日早朝には赴任先に戻る予定とのこと]
[バッドは?]
[おまえに会ってみたいから食事でもどうかと言ってる。今晩空いてるか?]
和樹は悲鳴を上げているキャラクターのスタンプを送り、それが既読になるのも待たずに、電話に切り替えた。
「どういうことだよ。」和樹はいきなり切りだした。
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