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第108話 カウントダウン①

 二人は家を出た。飲食店なら駅前のほうが選択肢が多い。そして、駅前まで行くなら自転車が手っ取り早い。しかし、涼矢はスタスタと歩き出した。和樹はとりあえずその後を追いかけた。しばらく歩くと、チェーン展開の牛丼屋があった。涼矢は和樹に意思確認もせず、店内に入り、食券機のボタンを押した。和樹は腑に落ちない気分を抱きながらもそれに続く。 「牛丼なんだ?」カウンター席に隣り合って座ったところで、和樹が聞く。家を出てから、ようやく口を開いて言ったのが、このセリフだ。 「牛皿定食にミニカレー丼とサラダと味噌汁だけど。」 「献立の話じゃなくて。店のセレクトの話。」 「不満があるなら入店の前に言ってもらわないと。」 「ないよ。ないけど、こういう店好きじゃないんじゃないの。」 「なんで? 部活帰りにも行ってただろ。」  早くも和樹の前には牛丼大盛りが置かれた。次いで、涼矢の前にも、味噌汁とサラダが。 「ファストフードは、トラウマなのかと思って。」 「コンビニ弁当でもないし、インスタントでもない。」カレー丼と牛皿定食も来た。 「俺は、ちょっとこじゃれたパスタ屋連れてったよな? 最初のデートの時。」 「そうだったね。あそこ美味かったよ。じゃ、いただきます。」涼矢は食事を始めた。和樹も仕方なく食べ始める。  しばらく食べ進めているうちに、涼矢が「カレー、少し食べる?」と聞いてきた。 「いや、いい。」 「ガン見するから食べたいのかと思った。」 「相変わらずよく食うなって思っただけ。あと、なんか、色気のないメシだなって。」  涼矢は水を一口飲むと、和樹を一瞥した。「色気に費やす時間の確保のために、食事時間を極力短くしたんだ。それが不満?」 「……そうならそうと言えばいいだろ。一人でさっさと行っちゃうから。」  涼矢は解せないと言いたげな表情を浮かべたが、すぐにそうとは言わず、少し考えをめぐらせている。結果として口にした言葉は「ごめん、それは悪かった。」 「……まあ、別にいいけど。」  二人はそこから一言も口を利かずに食事を終えた。  帰り道、涼矢は和樹の先を行くことなく、隣を歩いていた。あえてそうしていることが和樹にも伝わってくる。さっさと行っちゃうから、という和樹の言葉を気にしているのは明白だった。  道のりの半分ほど進んだあたりで和樹がぽつりと言った。「言わないとわかんないよな。」  涼矢も静かに「これからは気を付けるよ。」と答えた。 「おまえが、と言うより、俺がね。よく言われてたの、思い出したよ。黙っていたらわからないって。ちゃんと言葉にしなくちゃ伝わらないって。」 「元カノに?」 「ん、まあ、そう。考えてみたら似たようなこと、全員から言われてる。よっぽど俺が、言葉足らずだったんだろうな。」 「和樹が言葉足らず?」誰とでも調子よく話す和樹というのが、だいたいの人の共通認識だ。その自覚は和樹自身にもある。 「慣れてくると、甘えるから。言わなくてもこのぐらいわかるだろう、って。だからだんだん言葉が足りなくなる。」和樹は涼矢を横目で見た。「なんてことに、今更気が付いた。」 「それは、俺のほうがもっと言葉足らずだから、ようやく元カノの気持ちが理解できた。そういうことだな?」 「……そう、なのかな。それとさ。」 「何。」 「牛丼屋に連れて行かれたら、なんだか、軽んじられてる気がした。」和樹は苦笑した。 「ああ、そういや、自分はパスタ屋に連れてったのにとか、ぶつくさ言ってたな。」 「俺、どんどん乙女思考になってるのかな。」 「そのうち、夜景のきれいなロマンチックな店に連れて行くよ。」涼矢が笑った。その笑顔が意外なほど優しくて、和樹はドキリとした。 「涼矢って、男らしいよな。」 「突然、なに言ってるの。」 「気を悪くしないでほしいんだけど、涼矢は、女になりたい願望って、あるの?」  そんな問いかけのタイミングで、涼矢の家にたどりついた。  ドアの内側から、涼矢が鍵をかける。今朝和樹が来た時と同じように、靴も脱がないうちから、涼矢は和樹にしがみつき、キスをしてきた。「そう見える? 女になりたがってるように?」 「見えない。だから、本当のところをきちんと知っておきたいと思って。」  涼矢は和樹を真正面から見て、丁寧に言葉を選びながら話し出した。「女になりたいと思ったことはあるよ。でも、それは、心が女性の人が女の身体を手に入れたいのとは違うと思う。俺は、自分が男だってことにそれほど不満はないんだ。ただ、それだと、自分が好きになった人が自分を好きになってくれる確率がすごく低いから、女だったらそんな苦労はないからいいなあと思ったってだけ。」 「そうか。……わかるような、わからないような、だな。」 「俺だってよくわかんないよ。でも、こう生まれついたなら、そういう自分につきあっていくしかない。」 「かっこいい。男前。」和樹は涼矢にキスをした。「それでいて、可愛くてエロいんだから、困っちゃうよね。」 「その、すごく低い確率を……和樹は、たどりついてくれたから、感謝してる。」涼矢は少し恥ずかしそうに下を向いた。「お兄さんも言ってたよね。好きになった人が自分を好きになってくれるのって奇跡だって。俺の場合は、本当に奇跡中の奇跡だと思ってる。だから……。」そこまで言うと、意を決したように顔を上げる。「ありがとう、和樹。」その一言で、また下を向く。「……って、きちんと、言葉に、してみた。」

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