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第118話 Sunrise,Sunset ③
「……うん。ま、そうだよ。相手はやっぱり男で……。好きだったよ。好きだったんだと思う。ぼんやりした片想いだったけど……。」そこまで言うと涼矢は黙った。かと思うと、急に空を見上げて、「あー!」と大きな声を出した。
「な、何?」
「今の嘘。ぼんやりとした片想いなんかじゃない。はっきりと好きだったよ。あんな初恋して、苦しい思いをしたくせに、また男を好きになって、男しか好きになれない自分に絶望して、この世から逃げ出したくなるぐらいには好きだった。」涼矢は膝を抱えるように座り直した。自分の膝に手を置いて、さらにそこに顎を乗せ、遠くの海を見ていた。
「この世から、逃げ出す?」
「どんなにジタバタしてもダメで、頭がウワーッてパンクしそうになって、気がついたら塾サボって、夢中で何時間もチャリ漕いでた。そしたら、海が見えた。服のまま、海に入った。遊泳禁止区域だったから他に人はいなかったけど、夏だし、昼間だし、海の水は気持ち良いぐらいで、このまま沖まで進んでって、戻れないところまで行けばいいだけだ、それで全部終わるって思った。」
和樹は驚いて涼矢を見た。まっすぐ前を見据えたままの横顔を。
「死にたかったのとはちょっと違うんだ。ただ、何も考えたくなかった。消えたかった。でも、腰ぐらいまで海水が来たとき、俺、泳げるんだった、って思って。海じゃ死なねえよなって、変に冷静になってさ。冷静っつうか、怖くなったんだろうな、本当は。それでこっちに戻ってきて、もういいやって思った。何がもういいやなのかわかんなかったけど、急に馬鹿らしくなった。」涼矢は海を見つめたまま、それを一気に言った。それから、和樹をちらりと横目で見た。「初めて人に話した。その日のことは、おふくろも知らない。」
「そ…うか。」
「でね、そうやって戻ってきたら、俺、その人のこと、全然好きじゃなくなってた。誰かを好きになるのってエネルギー要るだろ。たぶん、海から生還することで、その時の俺の持ってたエネルギーを使い果たしちゃったんだろうな。だから、好きは好きだったんだろうけど、あんまり覚えてないんだよ、その相手のこと。そんなことがあって、俺はもう誰かを好きになることはないと思った。そんな気持ちになれるとは思えなかったし、怖くもあった。」涼矢はそこでやっと和樹のほうをまともに向いて、頬を撫でた。「でも、ちゃんと好きになれた。和樹のことを見て、和樹のことを知って行くのは、楽しかったんだ。まあ、俺の場合はちょっと度が過ぎてストーカーチックになっちゃったけど。学校で少し会話するだけでも嬉しかったし、CDとか貸し借りできるようになったら有頂天だった。和樹を好きになって、苦しいこともあったけど、ずっと幸せだったんだよ、俺は。その上、気持ちを伝えられて、今、二人でここにいるなんて、本当、幸せ以外のなにものでもない。」
「それなら、少しぐらい離れても、大丈夫だな?」
「ああ。お守りもできたしな。」涼矢は耳のピアスを軽く弾いた。
お守り。そうか、これ、お守りなんだ。和樹は自分の耳のピアスを、涼矢と同じように弾いた。
「あー、俺も、大丈夫な気がしてきた。」
「大丈夫じゃなかったのかよ。」
「ちょっとね。気弱になってた。でも平気。」和樹も涼矢と同様、膝を抱えるような姿勢に座り直した。「あのさ、昨日、前に住んでた家の隣のおばちゃんが、わざわざ餞別のお金、送ってくれたんだ。小さい時には孫みたいに可愛がってもらってたけど、中学生になった頃からはほとんど顔も合わせなかったのにさ。最近は思い出すこともなかった。でも、なんだろうなあ、そういう、俺に関わった人たちのおかげで、今、俺は、ここにいられるんだなって急に思ったの。家族はもちろんだけど、そのおばちゃんみたいな近所の人とか、柳瀬とか、奏多とか、それから綾乃とか、もしかしたら柴とか、そういう人も含めてさ、誰か一人欠けても、俺はこうなっていなくて。涼矢に出会わなかったり、好きにならなかったりしたかもしれなくて。涼矢も、カテキョの先生や、中学の時のその人とか、好きになって苦しかったかもしれないけど、でも、そういうことがあって、俺とのこと、大事にしてくれてる、そうだろ?」
「……うん。」
「だから、昔誰かを好きだったこととか、誰かに大事にされたこととか、あと、誰かとうまくいかなかったことや、誰かを傷つけてしまったこととか、全部、意味があって、俺とか、おまえを作ってるんだと思う。」
「うん。」
「そんなことを、元隣人のおばちゃんからの現金書留で気付いたわけだよ、俺は。」
「おばちゃん、すげえ。」
「おばちゃんてのは、大抵、すげえからな。」
二人は顔を見合わせて笑う。
「和樹に話してよかった。海のこと。」
「ん?」
「やっと、自分の中で、あの馬鹿な行動を本当の笑い話にできるし、思いとどまった自分を認めてやれるよ。ありがと。」
「いやぁ、感謝すべきは森本さんだよ。」
「誰だよ。」
「元隣のおばちゃん。」
「知るか。」
また二人は、笑った。
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