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第121話 Orange sky , Blue sea ①

 ビルの正面まで再び戻ると、涼矢のスマホが振動した。 「あ、佐江子さんだ。」 「ずるいな、おまえは佐江子さんて呼んでいいのかよ。」 「僕のママだからね。でも、いいよ、和樹も、佐江子さんって呼んでも。」 「あんなに怒ったくせに。」 「あんな風に言って悪かったと思ってるよ。それに、考えてみたら和樹はもううちの子みたいなもんだ。母親公認なんだから。で、その佐江子さん、いま友達と遊びに行ってて、ごはんも食べてくるってさ。なんだ、せっかく晩飯用意しておいてやったのに。」 「田崎家は親子が逆みたいだな。」 「あ、和樹、うちまで食いに来る?」 「食わないと無駄になる?」 「ううん、冷蔵庫に入れてあるから、明日食べればいいだけ。」 「だったら、俺んちで食って行けよ。ここまで来たんだし。」 「え、でも。」  そう言っている間にも和樹は恵に連絡をとる。「いいけど、わさびを買ってきて、だと。」  途中のコンビニでチューブわさびを買い、二人は和樹の家に向かった。 「いらっしゃい。まだご飯炊けてないのよ、少し待っててね。できたら呼ぶわ。」恵はお気に入りの涼矢には至って愛想がいい。  二人は和樹の部屋に行った。 「今日は泊まらないから。」部屋に入るなり、涼矢が宣言した。 「え、なんで。」 「そこまで図々しくないよ。それに家でやりたいことあるし。」 「俺と一緒にいるより?」 「そ。」 「ひでえの。」 「そのかわり、明日うちに早く来て。」 「朝焼けが見えるぐらい?」 「いや、それは東京行ってのお楽しみにしたい。10時オープンぐらいの感じで。」 「わかった。」和樹は涼矢をチラリと見る。心なしか、口を尖らしていて、不満そうだ。「今日、何もしてない。」 「そうか? かなりいろんなことしたと思うけど。チャリであんなに登ったり降りたり、おべんと食べたり、温泉まで行って、夕陽見て。」 「そういうのじゃなくてさ。キスぐらい、させてよ。」 「それもしただろ。」涼矢は和樹の近くに顔を寄せ、軽いキスをした。「こんなんじゃ、した内に入らない?」 「入らない。」  涼矢は指先で和樹の口を少し開かせると、自分もまた口を半開きにして舌を出し、濃厚なキスをした。 「ん……。」和樹が涼矢の背中に手をまわした。「もっと。」 「段ボール箱、なくなってる。」 「もう送っちゃったんだよ。」 「隠れる場所がない。」 「いいから。」和樹は涼矢の顔を強引に引き寄せてキスをした。息継ぎのように顔を離すごとに二人の息は荒くなり、またキスも激しくなっていった。  キッチンの恵から「ごはん、できたわよ。」という声がかかるまで、二人は何度もそんな口づけを交わし続けた。 「生殺しが多いな。」涼矢がため息をついた。 「勃っちゃった?」 「うん、少し。」涼矢は和樹に背を向けて、精神統一しているようだ。 「俺もだけど。ちょっとトイレ。」 「ずるいな。」 「おまえもそれ落ち着いたら、メシ来いよ。」和樹が立ち去った。 「馬鹿。」涼矢は閉じたドアに向かって、呟いた。  食卓には手巻き寿司の準備がしてあった。 「あれ、なんでこんな豪華なの。」と和樹が言った。 「田崎くんの前で、これで豪華なんて言わないでよ、恥ずかしい。」と恵が言った。 「和樹のために準備してたんじゃないの。」と小声で涼矢が言う。「俺まで、いいのかな。」  和樹にしか聞こえないように言ったつもりだったが、恵は耳ざとく聞いていた。 「いいのよ、もちろん。ちょうど良かったの、お父さんが急用で出かけちゃって困っていたんだから。宏樹ももうすぐ帰ってくると思うけど、二人は先に食べ始めていいわよ。」  そう言った矢先に、玄関で物音がした。宏樹が帰ってきたのだ。「おう、来てたのか、こんちは。」 「お邪魔してます。」挨拶しながらも、なんとなく気恥ずかしい涼矢だった。  間もなく食事が始まった。和樹が今日の出来事をかいつまんで話す。 「へえ、自転車であんなとこまで行ったのか。」宏樹は缶ビールを開け、グビグビと一気に飲んだ。 「帰る途中、温泉があった。」 「ああ、G温泉な。俺も行ったことあるけど、あそこ年寄りばっかりだろ。リウマチかなんかに効くらしいぞ。」 「美肌効果はないのかしら。田崎くん、お肌ツヤツヤだから、あるんじゃない?」 「は?」涼矢はお茶を吹き出しそうになる。 「涼矢はもともと美肌なんだよな。ヒゲもあんまり生えないんだって。」 「あら、羨ましい。そう言えば色白で、シミもなくて。水泳やってたとは思えないわね。私なんて……。」恵は自分の頬をひっぱって皺を伸ばす仕草をした。「年は取りたくないものだわ。」 「充分、おきれいです。」と涼矢が言った。 「まあ、良い子ねえ。ほーんと、田崎くんがうちの子だったら良かった。」 「うちの子になればいいよ、なあ?」宏樹がニヤリとする。「カズがいなくてもさ、お母さんが仕事で忙しい時とか、うちにメシ食いに来い。」 「そうよ、そうすればいいわ。」 「あ、あの、はい、でも、そんな図々しいこと……。」涼矢は答えに窮した。 「本当よ、おばさんねえ、淋しいのよ。和樹がいなくなっちゃうでしょう、宏樹だって学校始まったら忙しくなるでしょうし。だから、本当に、いつでも来てね。」 「……はい。ありがとう…ございます。」涼矢の頬がほんのり赤くなった。

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