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第123話 Orange sky , Blue sea ③
朝食を作る母親の後ろ姿を、和樹はぼんやりと眺めていた。今朝は和食のようだ。
「母さん。」
「なぁに?」
「今日も出かける。遅くなるかもしれない。夕食、一緒に食べられないと思う。」
「……そう。」恵はそれ以上何も言わなかった。
「ごめん。」
「そんな気がしていたの。昨日のうちに手巻き寿司やってよかった。田崎くんも喜んでくれたし。」
「昨日言ってたこと、本当に、お願い。」
「言ってたこと?」
「俺がいない時でも、涼矢にメシ食わせてやって。作らせてもいいかも。あいつマジで料理上手だし、人に食べてもらうのが好きだって。」
「彼が来てくれるのはいつでも歓迎よ。でもね、何かご家庭の事情があるというのならともかく、立派なお母様もいらっしゃるんだし、こちらから誘うような差し出がましいことは言えないわ。昨日は調子に乗ってうちの子なんて言ったけど、あちらのお母様にしてみれば、自分がいるのに息子がよそのおうちで家族同然にしていると知ったらちょっとね。母親なんてそんなことで結構傷つくものよ。」恵はそう言いながらもテキパキと働き続け、和樹の前にはおかずが並べられていった。「忘れた頃にたまに来るぐらいがいいと思うわ。彼はそういうの、わかってる子だと思うけど。」
「どうしてそう思う?」
「母親の勘。」
和樹はハハッと笑った。
「大事な友達なのね。」恵は味噌汁を椀に注いでいる。「あなたって、友達もガールフレンドもたくさんいるけど、そんな風に特別扱いする子は今までいなかったのにね、なんだか田崎くんは別格の存在みたい。」
「それも母親の勘?」
「まあね。」
「うん、そう……あいつは、特別。」
「一生の友達になれるといいわね。励まし合って、磨き合えるような。」
「……うん。」
友達、という関わり方ではないけれど。それはまだ母親には言えないけれど。
でも、励まし合って、磨き合える一生のパートナーにはなりたいと思う。なれると思う。
普段なら、いただきます、を言うタイミングで、和樹は恵を見つめて「ありがとう。」と言った。
「どうしたの。」恵がびっくりする。
「いや、なんか。一応、今までお世話になりました的な。今しか言うチャンスなさそうだから。」
「やだ、もう、やめてよ。」
「そういうのも、涼矢が……。昨日、あいつ、弁当作ってきてくれてて。普通の弁当だったけど美味かった。弁当作るなんてすげえなあって思ったけど、母さんはそれ、三年間毎日作ってくれてたんだよね。俺はそれが当たり前で、自分で作ろうなんて思ったこともなかった。その上、足りないだの、もっと肉入れろだの文句つけたりして。弁当のことだけじゃなくて他にもいろいろ……面倒かけました。ありがとうございました。っつっても、まだ、これからも仕送りだって頼らなくちゃいけないし、ホント、涼矢みたいな息子じゃなくて、世話の焼ける息子ですみません。」
「馬鹿ねえ。」恵は和樹に背中を向け、肩を震わせていた。「和樹は和樹だからいいのよ。謝ったりしないで。ちゃんとご飯食べて、健康にだけは気をつけて、がんばってくれれば、それでいいの。」
「うん。……じゃ、いただきます。」和樹は照れ隠しのように、急いで白飯をかっこんだ。
和樹は「田崎」と「Fukasawa」が並ぶ表札の下のインターフォンを鳴らした。
そこにずっとあったのに、この間涼矢に言われるまで気付かなかった佐江子用の表札。
見えているはずのものでも、気が付かないことが、この世にはたくさんある。
母親が作る毎日の弁当も。
三年前から、自分を見つめていた目も。
涼矢はインターフォンに応答するまでもなく、玄関のドアを開け、和樹を迎え入れた。嬉しそうな表情。今もまた和樹を見つめている。その目に気付くことができて良かった、と和樹は思う。気付かないまま通り過ぎてしまっていたらと思うと、怖くなる。でも、自分が気付いたんじゃない。涼矢があらゆる苦しみも覚悟して、告白してくれたから。気付かせてくれたのは涼矢だ。涼矢の愛情だけじゃない。いろいろな人の想いというものに、涼矢は気付かせてくれた。
和樹はドアの内側に入ると、涼矢を両腕で抱き締めた。
「愛してる。」それが今日初めて涼矢にかけた言葉だった。
「先に言われた。」涼矢が笑った。
「遠慮せず、言ってよ。」
「愛してる。」涼矢が言い、二人はキスをした。「そういや、最初の時、俺にやたら言わせたがってたよな、好きって。ここでも。」
「俺のこと好き? 好きって言って。」
「そう、それ。」
「だってあれ、おまえに言われると、すげえ昂奮した。」
「今は好きって言うぐらいじゃ何も感じないだろ。」
「言ってみてよ。」
「す…。」涼矢は真っ赤になって、和樹から顔をそむけた。「なんか、改めて言われると……。」
「何照れてんの。言って。好きって。」
「……好き。」顔をそむけたまま言う。
和樹は涼矢のこめかみに口づけた。「すげえ昂奮する。」
「好きだよ。和樹。大好き。」二人はお互いの頬を合わせた。
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