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第128話 Orange sky , Blue sea ⑧

 和樹がシャワーから出た時には、もう涼矢はテーブルに皿を並べていた。 「ごはん炊いてなかったから、スパゲティで。」 「おお、すげえ。」  和樹が作ったことのあるスパゲティと言えば、ただ麺を茹でて、レトルトのミートソースをかけただけのものが関の山だ。目の前にあるものはそういったものではない。ほうれん草っぽい野菜が入っていることだけはわかる。 「いただきます。」 「はい、どうぞ。」  二人で食べ始めた時、和樹はふと違和感を覚えた。すぐにその正体はわかった。今までこのダイニングテーブルにつく時、基本的には、涼矢は自分と向き合う席に座っていたのが、今は隣に並んで座っているのだった。たったそれだけのことにときめく自分に、和樹は内心照れていた。 「あれ。ほうれん草じゃない味がする。」 「ほうれん草じゃないからな。」 「何?」 「菜の花。」 「ほう。」 「菜の花と新タマネギと釜揚げしらすのパスタでございます。」 「おお、なんか春っぽいな。」 「それがわかっていただけると大変嬉しい。佐江子さん、季節感もナッシングだから。せっかく旬の食材使っても張り合いないんだよねえ。」 「早く俺のために毎日作れるようになるといいねえ。」 「自分で作れるようになってくれたほうがその100倍嬉しいよ。」 「えっ、そうなの?」 「おまえがちゃんとまともなメシ食ってるかなって心配しなくて済むし。……ふ、二人で暮らすようになったとしても、一緒に料理するの楽しそうだし。外食しても、これ美味しいけど家でも作れそうだよね、今度作ってみようかとか、そういう会話できる、し……」涼矢のフォークを手にした右手が止まり、顔が真っ赤になっている。 「何、どうした。」 「いや、想像したら、幸せすぎて、泣けてきた。」涼矢は本当に涙目になっていた。 「そこで泣くの? 今日は泣かないでがんばるって決意したんだろ? それでそこで泣くか?」 「泣かない、よ。」涼矢は口をへの字に曲げて我慢している様子だ。 「ほら、せっかくの旬のパスタが冷めちゃうよ。」和樹はくすくす笑いながら、フォークに巻いた一口分のパスタを涼矢の鼻先につきだした。「はい、あーん。」  涼矢はびっくりしつつ、それを口に入れた。「何これ。バカップル。」猛烈に照れているようだ。 「楽しいね。」和樹はもう一度フォークでパスタを持ちあげた。「バカップルでスパゲティと言ったら、やっぱりこれじゃない? はい、この端っこ口に入れて。」涼矢の口の中に、数本のパスタの一部を入れる。そして、もう一方の末端を自分の口に入れた。「せーの。」  両端から食べ進めて、真ん中でキスをする。 「ふ……ふふ……。」 「不気味だぞ、涼矢。しかも、しらすついてる。」和樹は涼矢の唇の端についたしらすを舌先でぺろりと舐めて取り、その流れでもう一度キスをした。 「バカップルって、傍で見てて本当に馬鹿だと思ってたけど、やってみると悪くない。」 「何事も経験しないとわからないものだろ?」 「和樹は、経験者なんだ? そりゃそうだよなあ。」 「ここまで甘々なのは、やったことねえよ。あーん、をしてもらったことはあったかな。俺からしてやったのは今が初めてだし。」  涼矢は自分のパスタをフォークに巻きつけた。「あーん。」和樹がそれを口に入れる。「してもらった記憶、今ので上書きしろ。」 「したした。」和樹が笑う。 「で、どうよ。美味しい?」照れ隠しのようにぶっきらぼうに涼矢が言った。 「美味しいよ。涼矢の作るもんは何でも美味いな。」 「良かった。」 「んー、でも。」和樹は涼矢の肩に手を置いた。「さっきのしらすが一番美味かったな。」またキス。 「さっさと食え。」赤くなって、涼矢が言った。  食事を終えると、涼矢が立ちあがった。「食後のコーヒー、飲む?」  和樹はその手首をつかんだ。「飲みたいけど、その時間も惜しい。どうしよう?」 「コーヒー飲むぐらいの時間は良いだろ。それに食後すぐの激しい運動は避けたほうが。」 「激しいんだ?」 「激しいよ。」涼矢はニコリともしないでそんなことを言い、湯を沸かし始めた。「あと、悪いけど、そのお皿洗ってくれる?」 「ああ。」  たかが2枚の皿を洗うだけのことだが、思えば涼矢はそんなことすら和樹に「お願い」をしたことが今までなかった。隣に座って食事をする、皿洗いを頼む、そんな些細な「甘え」が、和樹の心を波立たせた。それは決して不快な感覚ではなく、「二人で同じ方向を見て、お互いのことを想いながら歩いて行くこと」を涼矢が受け容れてくれた証のように思えてのことだ。  涼矢が二つのマグカップにコーヒーを注ぎ、二人はまた並んでそれを飲み始めた。もうミルクと砂糖の有無を聞かれることはない。客用のカップで提供されることもない。  そして、明日のこの時間、もう隣に涼矢はいない。  和樹はコーヒーを味わって飲んだ。飲む時間さえ惜しいと言ったのは自分だが、ゆっくりと、時間をかけた。 「東京に来る時は、コーヒー淹れる道具、一揃い、持ってきて。豆も。俺、どういうのがいいかわかんないから。」 「ああ、うん。でも、ヤカンぐらいはあるだろ?」 「あ、ないかも。なんだっけ、一分で沸騰しますって電気ポット、あれは買った気がする。」 「料理する気、まるでなさそう。」 「するよ。追々揃えて行けばいいかなって。」 「そういう奴に限って、いきなりタコ焼き器だのワッフルメーカーだの買って失敗するんだ。」 「あ、タコ焼き器いいな、欲しい。」 「まずはヤカン買えよ。」 「料理にヤカンは使わないだろ。大量に沸かすなら鍋でいいし。」 「コーヒー専用のケトル買って代金を請求してやるからな。」 「ああ、あの、注ぐところが鶴みたいな奴。」 「そう、それ。あれ欲しいんだよ。」  くだらない会話に興じる。今、こんな話をする必要ないのに、と思いながら。でも、同時にこんな会話こそ貴重な気もした。

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