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第132話 光射す、その先の。④

 今の涼矢は、いつもの涼矢と違う。午前中、涼矢が「飛んでいた」時にも同じことを思った。だが、その時の涼矢と、今の涼矢も、またまったく違う。明日の和樹の上京を前にして、それほどまでに動揺しているということか。  ――でも、そもそも「いつもの涼矢」ってどんな奴だっけ?  和樹は混乱した。だが、それを落ち着いて考えられる状況ではなかった。  とりあえず今は、涼矢の真意を考えないといけない気がした。涼矢が和樹の気持ちを面白半分にもてあそぶような真似をするとは思えなかった。だとしたら、どこかに答えはあるはずなのだ。 『和樹が何が何でもしてほしいことだけ言って』。和樹は涼矢のセリフを反芻する。  でも、自分から何をしてほしいと「おねだり」をするのは、涼矢に主導権を握られるようで嫌なのだ。だが、そう思いながら、当初は抵抗のあった「挿れてくれ」なんて、もっとも過激な「おねだり」なのに、それでも、今ではそう躊躇することなく言っている。それとこれとは何が違うのか。  回らない頭でなんとかそこまで考えて、和樹はようやく気付く。  自分で自分の足を抱えろ。自分で自分の腰を動かせ。涼矢はさっきから、和樹に自ら率先して快感を貪るさまを見せろと言っているのだ。  「挿れてくれ」は、自発的に言っているようでいて、その実、涼矢がそう仕向けてくれていた。現に、和樹はその言葉を口にする時、涼矢にマウントされている気分になどならない。むしろ挿れさせてやるぐらいの気持ちだった。  そうではなく……涼矢にそう仕向けられてではなく、涼矢をイカせるためにでもなく、涼矢が和樹の本心を汲んだ結果でもなく……自分の欲望を、自分の意志で、さらけ出せと言われているのだ。  「涼矢を気持ちよくさせたいから」「涼矢がそうしたいなら」「涼矢がそうしろと言うから」……そんな"言い訳"は要らないのだと。ダイレクトに涼矢に欲情して、求めろと。  俺のしたいこと、は、涼矢を満足させること、だ。涼矢の希望が俺に本当の欲望をさらけ出してほしいということなら、俺は、それに答えるべきだろう。ああ、これもまた、涼矢を言い訳にしているのかな……。俺って、言い訳ばかりだ。誰かの、何かのせいにしてしか、自分のしたいことができない。わかっている。そんなの、失敗した時の予防線なんだ。試合でも、受験でも、元カノとのつきあいも、いつもそうだった。だから結局セックスですら相手のせいにしてる。だって、失敗した時に、100%自分のせいだと思うのは、誰だってしんどいだろ。自分の選択にそんなに自信がある奴なんているのかよ。……いや、涼矢はそうなのかもしれない。自信満々ではなかっただろうけど、それでも、涼矢は、自分の選択を、常に自分の責任として背負ってきた奴だ。そうか、だから、俺のこんなところが、涼矢には、情けなくて、歯がゆく見えるのかな。  和樹の視界の端に、パソコンデスクが見えた。あのタスキ。そうだ、今日なんでこんなことになっちゃってるんだっけって、あのタスキだ。 「涼矢。」和樹は半回転して、涼矢と向きあった。涼矢の両頬を包むように手を添えてから、キスをした。そして涼矢の首に腕をからみつけるように抱いて、「縛ってほしい。」と声を絞り出した。  正確に言うと、"縛られたい"わけではなかった。ただ、両手を拘束されることの無力さは、和樹に一定の言い訳を与えてくれるのを、前回の経験から和樹は知っていた。この期に及んでまだ言い訳するのか俺は、と自嘲気味に思うが、「縛られて思うように動けないから」というのが、今の和樹にとって、最後に残されたせめてもの"言い訳"だった。このぐらいの言い訳は、まだ、許して欲しい。そんなに急には変われない。  涼矢がここぞとばかりに勝ち誇って、縛ってほしいの?本当に?何が何でも?などと、意地悪くいたぶってくることも、覚悟していた。しかし、涼矢はそんなことはしなかった。さっきいったん片付けた時と同じように淡々とした表情で、パソコンデスクまでタスキを取りに行き、戻ってきた。そして、古新聞を束ねるかのように、これまた淡々と和樹を縛り上げていった。あまりの無表情さに、これは間違った答えだったんだろうかと和樹が不安になったその瞬間、涼矢は和樹を見下ろして、優しく笑った。馬鹿にするのでもない、苦笑いでもない、むしろ安堵したような……この言葉がもっともふさわしくない場面ではあるのだが……"慈愛に満ちた"笑顔だった。

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